
SetsukoN/iStock
財政制度等審議会の分科会は2025年4月28日、高齢者医療の窓口負担を原則3割に引き上げるための工程表を2026年度内に策定すべきだとの考えを示した。70〜74歳を3割に改め、75歳以上も経過措置を視野に入れつつ同じ負担割合とすべきだ、という方向である。現在は原則として69歳までが3割、70〜74歳が2割、75歳以上が1割となっている。
高齢者医療費の自己負担引き上げは、当然ながら反発を招く。年金生活者にさらなる負担を求めるのか、必要な医療まで控えさせるのか、という批判は出るだろう。
しかし、ここで見落としてはならないのは、現在の高齢者医療が誰の負担で維持されているかである。
SNS上では、「高齢者の自己負担を上げても、結局は子が親の医療費を肩代わりする。だから現役世代は楽にならない」という反論が見られる。
一見、もっともらしい。たしかに、親の医療費が払えなければ子が援助する家庭はある。介護や医療の負担が家族に降りかかる現実は軽視できない。
しかし、この反論は制度論として粗い。なぜなら、現行制度はすでに、政府を介して、現役世代に他人の親の医療費を強制的に負担させているからである。
現行制度はすでに現役世代から強制徴収している
後期高齢者医療制度の財源構成は、窓口負担を除いた財源のうち、公費が約5割、現役世代からの後期高齢者支援金が約4割、後期高齢者本人の保険料が約1割である。つまり、75歳以上の医療制度は、本人保険料と窓口負担だけで成り立っているのではなく、現役世代の保険料と公費によって制度的に支えられている。
しかも、この負担は「親の医療費を子が払う」のような個別の選択ではない。子の有無にかかわらず、所得のある現役世代が、社会保険料と税を通じて、全国の高齢者医療を広く負担している。
さらに重要なのは、この負担が抽象的な「公費」だけでなく、現役世代の給与から直接消えているという事実である。会社員が支払う健康保険料には会社負担分がある。これは企業がどこかから持ってくる金ではなく、税の帰着論からみれば本来人件費として労働者に配分され得た原資である。すなわち、現役世代の実質負担は、給与明細に見える本人負担分だけにとどまらない。
その健康保険料の相当部分が、自分や家族の医療のためではなく、高齢者医療への拠出に回っている。健保連の集計によれば、健保組合全体の2024年度予算では、高齢者医療等への拠出金が約3.88兆円となり、保険料収入の約43%、義務的経費の約43.8%を占める。経常支出ベースでも、9.66兆円のうち高齢者医療等拠出金が約4割を占める計算である。健保組合の8割以上が赤字で、収支均衡に必要な実質保険料率はすでに10%を超えている。
この構図を踏まえれば、「高齢者の自己負担を上げても、子が親の医療費を払うだけだから現役世代は楽にならない」という反論は説得力を失う。現役世代はすでに、自分の親かどうかに関係なく、健康保険料を通じて高齢者医療を負担している。しかも、その健康保険料は本人負担分だけではなく、会社負担分を含めた総人件費として、現役世代の可処分所得を押し下げている。
しかも、この負担は任意ではない。親を扶養するか、親にどこまで医療を受けてもらうか、延命治療をどう考えるか。そうした個別の判断をする余地はない。給与から天引きされる社会保険料として、最初から徴収されている。
「高齢者の自己負担を上げれば、子が親の医療費を払うだけだ」という主張は、家族内の任意扶助だけを問題にして、国家を介した強制的な世代間移転を見ないふりをしている。
「親」を持たない現役世代も、「子」を持たない高齢者もいる
この議論には、さらに大きな盲点がある。
すべての現役世代に親がいるわけではない。親がすでに亡くなっている人もいる。親との関係が断絶している人もいる。親が経済的に自立しており、子の援助を必要としない家庭もある。
そのような人たちも、現行制度では他人の親の医療費を負担している。
一方で、子を持たない高齢者もいる。彼らは自分の子に医療費を肩代わりしてもらう可能性はない。しかし、現役世代の子を持つかどうかに関係なく、制度上は他人の子どもたちの保険料によって支えられる。
これは社会保障だから当然だ、という反論はあり得る。だが、その場合は「子が親を支える」という情緒的な説明を使うべきではない。実態は家族扶養ではなく、制度を通じた強制的な所得移転である。
高齢者の中の格差を直視する
高齢者の中にも大きな格差がある。金融資産を持つ高齢者、持ち家があり生活費の少ない高齢者、年金以外の所得を持つ高齢者もいる。一方で、資産形成の余地が乏しく、住宅費、教育費、老後資金を同時に背負う現役世代もいる。
この構図を無視して「高齢者の負担増はかわいそうだ」とだけ言うのは、あまりに片面的である。
もちろん、低所得の高齢者や重い病気を抱える人に過大な負担を押し付けるべきではない。医療アクセスを守るための配慮は必要である。高額療養費制度、低所得者への軽減、長期療養者への上限設定など、セーフティネットは残すべきだ。
しかし、それは「高齢者は一律に低負担でよい」という話とは別である。
本来あるべき改革は、低所得者や重症者を守るために「原則」を曖昧にすることではない。むしろ逆である。高齢者医療もまずは現役世代と同じく原則3割負担とし、そのうえで、低所得、重症、長期療養、高額医療などの事情に応じて例外処理を行うべきである。
年齢だけを理由に最初から低負担にするのではなく、原則は公平にそろえる。そして、支払い能力や医療上の必要性に応じて、減免・上限・給付を設計する。これが本来の社会保障である。
(後編に続く)
■
後編では、もう一つの典型的反論——「お前も老人になるのだから黙って払え」という、いわゆる「おま老」論——を取り上げる。さらに、過剰受診と「反サロン医療(反サロ)」の問題、そして価格サインを回復するための具体的改革案として、現行の現物給付から償還払いへの変更を提案する。







コメント