タイパに背を向け、AI時代の生き様を考える

gremlin/iStock

1. 効率的な“刷新感”と選挙

4月19日の結果には驚いた。なんと、7つの市長選(久喜市、東金市、嘉麻市など)で自民党の候補が敗れた。しかもその多くは、さほど「多選」とも言えない現職である。ほぼ同じ頃(4月)、新聞各社が高市政権の支持率調査を行っているが、多少の出入りはあるものの、軒並み60〜70%台の高支持率であることは変わっていない。

つまり、高市政権の支持率が特に下がったわけでも、何か極端に不人気な施策を発表したということもないままに、各地の首長選で、相次いで自民系の候補、しかも絶対的に有利とされる現職候補が多数落選したわけである。ちょっと信じられない現象だ。

兆しはあった。私はそのことを、JB Pressで3月に簡単な論考にまとめたが、お陰様で広く読んで頂き、一時期サイト内ランキング1位を獲得した。端的に言えば、2月8日と3月8日の比較である。

『衆院選圧勝の「高市人気」が石川県知事選で通用せず、原因は有権者が求める「刷新感」とあっという間に来る賞味期限』

https://a.k3r.jp/aoyamashachu/70G92975C54/118

2月8日は、衆院選挙の投開票日だ。言うまでもないが、自民党が歴史的な大勝利を収めた日である。その1か月後の3月8日は、石川県知事選挙の投開票日だ。元自民党国会議員で、現職の石川県知事である馳氏が連続当選を図ったが敗れた。イラン情勢の勃発などで多忙を極めていた高市総理も、衆院選でのサナエ・フィーバーを石川でもと、何とか都合をつけて現地にかけつけて弁舌をふるい、盤石な支援をした。しかし、馳氏はやぶれた。

私は、上記論考で、これからの選挙は「刷新感」が鍵になるところ、衆院選で「刷新感」の象徴になった高市氏の特色、すなわち、①女性のトップ、②連立相手の組み換え、③国会とは別の議論の枠組み(社会保障を議論する国民会議)などが、石川県知事選では関係のないものとなってしまい、むしろ、高市総理が応援演説で強調した「総理をすぐに呼ぶことが出来る知事」のようなフレーズが、旧来感を出してしまった、と自民の敗因について書いた。

そして、これからの選挙では、益々、「刷新感」が大事になり、刷新感を正しく際立たせる4つのポイントが大事になると特に述べた。(①インパクトの強さ、②インパクトの長さ、③社会の危機感の強さ、そして④刷新感の中の「安定感」)

その予兆は、最初に1月の福井県知事選で感じた。地元出身とはいえ、福井での政治行政経験が皆無の35歳の元外務省職員の石田氏が、自民党が支持を表明した元県庁職員の地元市長に勝利した。杉本前知事のセクハラ問題を受けての急な選挙でほぼ準備期間がなかった中での勝利であった。

そして、石川県知事選でも上記のとおりの「まさか」が起こり、その結果をもって論考にまとめたわけだが、振り返ってみると、いい意味で「予言」のような論考になったと自負している。

というのもその後、清瀬市長選では、なんと、自民と公明が推す現職が共産党と社民党が推す新人に敗れ、練馬区長選では、都庁職員だった自民系現職が後継指名した都民ファの若手候補(都議)が、人気のある小池知事の前面バックアップも得て満を持して出馬したが、政党色のない無所属候補に敗れた。「刷新感」の勝利である。

誰もがスマホを持ち、ショート動画が大きな威力を持つ時代。選挙においては、候補者は、刷新感をうまく活用して、それを動画に乗せ、若い有権者から幅広い世代へと支持を広げていくのが一つの手法・セオリーのようになりつつある。ミニ集会を繰り返したり、支持団体を細やかに回って支援の輪を広げて行ったりというこれまでのやり方がいきなり全く無意味になるわけではないが、ゲームが変わってきているのは事実だ。

恐ろしいのは、一度、いい流れに乗れば、倍速で支持が広がる半面、逆になると、つるべ落としに状況が悪くなるのが、現代のいわゆる“タイパ”(かける時間に比しての効果)重視時代、動画重視時代の特徴であるということだ。

例えば、石破氏と高市氏を比べてみた場合、両氏が自民党総裁(総理)になる前の国民からの期待・支持というのは、そんなには違っていなかったと思われる。

石破氏は、自民党総裁・総理になかなかなれない政治家ではあったが、地域の方々を中心に根強い人気を保っていた。高市氏もそれなりの人気があったのは事実だが、私もそうだが、総裁選の決選投票で小泉氏に負けるのではないか、と思っていた人も少なくなく、むしろ「刷新感」という意味では若手の小泉氏の方が勝っていたと思われるくらいであった。

ところが、石破氏は、総理就任直後から、ネガティブなイメージを動画などのネットコンテンツとして乗せた方が拡散するという「キャラ」になってしまい、本来的にはこれまでの自民党主流とは違う刷新感の要素を持っていたわけだが、食事の仕方から何から、どんどんネガティブな情報・動画が拡散していき、旧来的自民党の代表のようなレッテルが貼られ、結局1年で任期を終えることとなった。

高市氏は逆に、ポジティブな要素が広がる「キャラ」ということになり、刷新感を伴った「サナ活」的コンテンツがネットに上がってどんどん視聴されている。政権発足後半年が経過するが、未だに非常に高い人気が保たれている。この差は大きい。

人々が手元のスマホで何でも手軽に見ることができ、「見たいものを見る」ということにより忠実に生きやすくなった時代においては、「合理的に、人々の欲望に沿って、タイパ良く面白いものを見せる」、ということが鍵になる。選挙において、刷新感のある候補者と動画コンテンツというものは、益々重要になって行くことであろう。

この流れは不可逆で、逆らいようもない大きなうねりとなって社会を覆いつつあるが、私自身と言えば、元来があまのじゃくな性格でもあって、一体それで良いのであろうか、という念も禁じ得ない。まず、選挙に勝たなければどうしようもないではないか、という声には何の反論もないが、選挙に勝つことが政治の大原則であってもいけない、とも思う。

多くの人々が見たくもない現実、短い言葉や動画では必ずしも伝えることのできない真実など、政治においてはもちろん、我々の生き様としても、大切にしなければならない物事が沢山あるということを、最近、むしろ逆に痛感する次第である。

次章では、最近の中国訪問という現場体験から、そんなことを述べてみたい。有体にいえば、現在の日本の政治情勢、社会情勢的には、中国ヘイト的なことをアップする方が拡散するであろうし、特に政治家はその誘惑にかられやすいであろう。

もちろん、酷い中国、経済的に厳しい中国(不動産価格や若年者失業率など)というのもある一面、世界の最先端を行く中国、という現実もある。そんなことについて少し述べてみたい。

2. 非効率的な体験・見聞から:ファーウェイという現実

4月17日〜19日と日中リーダー会議に参加すべく深圳を訪問した。そのうち1日はファーウェイ社を訪問して、幹部の方々と意見交換したりランチをご一緒したり、社内を見学させてもらったりという行程であった。

ちょうど3月末日に同社の2025年の業績が発表されたが、米国による制裁で一時期苦境には立たされたが、主力の通信設備やスマホ事業が堅調に推移したほか、スマートカー関連事業の急成長が寄与し、売上高およそ20兆円、純利益は前年比8.7%増のおよそ1兆6800億円と大きな伸びを達成している。

今回直接に話を聞いたり、世に出ている本など(日本実業出版の本や、ご厚意で融通していただいた某日本企業の同社に関する社内レポートなど)を読んだりもしたが、同社は、良くも悪くも欧米的資本主義から見ると、株主構成にしても、ビジネスの進め方にしても、非合理の塊とも言える。

コスパを度外視してお客様に徹底的に尽くすとか、ハードウェア製造は絶対に譲らずに徹底して品質サービス向上につとめつつ、同時にAIなどソフトにも相当に攻め込んで行くとか、特に後者は、見方によっては「選択と集中」をせずにウィングを広げてもいて、一見非合理にも見える。

したがって、ライバル企業はというと、分野によってはエリクソンだったり、NVIDIAだったりと、よく分からないことになっているが、世界にあまり類をみない幅広い業種をカバーする企業ということで特別な存在となっている。

こういう果敢な精神、「合理的に器用にではなく地道に実直」にという在り方は、日本の製造業・日本の企業が失ってしまいつつあるようなもののような気がした。

非合理の極めつけはR&D・トレーニングセンターで、これは深圳の隣市の東莞市にあるが、敷地の広さが、東京ディズニーランドとシーを足した110万㎢より広い140万㎢だそうで(※東京ディズニーリゾート全体では商業施設などを足して200万㎢あるが)、フランス風エリア、ドイツ風エリア、イギリス風エリアなど、欧州各地が再現されていて驚いた。

一体、これだけの施設にどれだけ投資しているのか分からないが、社員のインスピレーションを増すというファーウェイなりの合理の結晶でもあり、上海にもより規模が大きい同様の施設があるそうだ。

余談にはなるが、ランチや議論の際には、一見無駄・非合理な体験が活きたと感じた瞬間が多々あった。私が大学時代に最初に海外旅行をしたのは、香港(当時は英国領。深圳は香港と地続き)から広州に入った経験であり、いわゆるバックパッカーとして、1か月ほど中国を旅したのだが、その時の思い出話が良い会話のスパイスとなった。合理的に考えると学業その他を犠牲にしてまでする経験かは疑問だが、かけがえのない体験だったと今にして強く思う。

また、最近香港で空前のヒット作となった「トワイライト・ウォーリーアーズ」(九龍城砦が舞台。私が上記の香港訪問をした際にはまだあった)なども話題になり、忙しい中で観ておいてよかったと感じた。タイパ的には最悪とも思われる「現場訪問」や、合理的ではない経験(映画を見るなどの行為)は、人生を豊かにしてくれることは改めて書くまでもない。

いずれにせよ、中国についても、もちろんアメリカについても、しっかりと見聞して実態を知り、観念論ではなく、どう対処・立ち向かうかが大事だと痛感した次第である。

日本政府はもちろん、各地の企業も政府も、そして次代をリードし考えていく日本人一人一人も観念論でなく、相手をきちんと知り、そして対処していくことが大事だと改めて思ったが、果たしてどれだけの政治家、国民が現実を見ようとしているのか。選挙の際などを中心に出回る大量のショート動画にしても、どれだけの人が、きちんと相手を見て語っているのか。

戦前の失敗を繰り返さないための最大の眼目は、「強い者には勝てない」と”へたれ”になることではなく、逆に知りもせずに”鬼畜米英”とばかりに相手を直視せずに毛嫌いしたり見下したりするのでもなく、相手を、現実を、観念論でなくしっかりと知る・見る、ということだと改めて感じた次第である。

3.AI時代に人間として如何に生きるか

上記1、2で述べて来たとおり、「動画全盛の時代」、「タイパと効率の良い打ち出し(刷新感)が重要な時代」に既に突入していることは論を待たない。ただ、同時に、効率や合理だけが生活の全てになっても味気ないし、逆に大効率競争の中で自分を見失ってしまう。

アナロジーで考えれば、AI全盛の時代にあって、いわゆるAI-Readyな人材(AIを使いこなせる人材)になって行くことは避けて通れないが、自分自身がAIに取って代わられたり、それどころか完全に凌駕されてしまったりする人材に成り下がるのもつまらないし、やるせない。

時間をかけて現場をきちんと見ること、旅をしたり映画を見たり、芸術に触れることで感性を磨くこと、人と語らい・ふれあい影響を受けたり影響を与えたりすること。また、AIに任せられない感性への養分をどう供給するか、無駄・非合理も意識しつつ、如何に人間の信頼を勝ち得て、人と人をつなげ、実際のアクションの糧にしていくか。これからの時代を生き抜く人類の課題でもあり、ポジティブにとらえれば、人間ならではの人生の楽しみ方でもあろう。

酷いサービスをAIに読み込ませて、詐欺まがいの商品やサービスを売りつけるというリスクが既に顕在化しているが、本当に信頼する人の紹介はいつの時代も非常に強力である。信頼される人になるためには、無駄や非合理も含めたその人の体験・全人格が問われることはいつの時代も共通である。

今月は特に文章が長いのでは?との読者諸賢からの突っ込みも聞こえて来そうだが、ここまで読んでくださった皆様おかれては良くご案内のとおり、本日のテーマに免じて、無駄も許して頂きたい。ちょうど一か月後の5月30日(土)から、青山社中リーダー塾の16期が開講する。新しい塾生たちと、こうしたテーマについても語らってみたいと思う。

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