石炭の国が変わる:ポーランド、初の原発建設へ

ポーランドが、ついに「原発ゼロ」の歴史に終止符を打つ。

今年3月、ポーランドの国営原子力発電会社(PEJ)は国家原子力機関(PAA)に対し、原子力発電所の建設許可を正式に申請した。建設地はバルト海に面した北部ポメラニア地方ルビャトヴォ=コパリノ。馬が草を食む農村が広がり、夏には海水浴客が訪れるこの地の松林の奥に、欧州最大級となる原発が建設される計画だ。

電力の半分以上を石炭に依存してきた東欧のこの国は、なぜいま原子力へと舵を切るのか。

ポーランド北部コパリノ(グーグルマップよりキャプチャー)

原発建設は政権にとって長年の政策課題だった。

ここはトゥスク首相の故郷カシュービア地方にも近い。昨年12月、欧州委員会が国家補助を承認した際、首相はSNSに「ついにやった。欧州がゴーサインを出し、資金も確保した」と投稿している。

2026年4月15日 高市首相とポーランドのドナルド・トゥスク首相
インスタグラムより

電力の半分以上を石炭に頼る国

ポーランドは長年にわたり、欧州連合(EU)加盟国のなかで石炭依存度が最も高い国だった。現在も国内の電力の半数以上を石炭が支えており、その比率は欧州の中で突出している。

その背景には地理的な条件がある。南部のシレジア地方をはじめとする炭鉱地帯は、産業革命の時代から欧州の工業化を支えてきた。

ポーランド人にとって、石炭はエネルギー源以上の存在だ。国の誇りであり、生活そのものだった。

石炭産業は1979年にピークを迎え、当時42万人の鉱山労働者が年間2億トンを掘り出していた。しかし、1990年代の市場経済への移行後、採算の取れない炭鉱が次々と閉鎖され、数万人が突然職を失った。政府は起業支援金を渡したが、具体的な指導や再訓練はほとんどなく、お金はすぐに底をついた。

特に深刻だったのが炭鉱都市ヴァウブジフだ。1995年からの閉山で1万4000人が失業し、仕事だけでなく地域社会や人間関係も失われた。アルコール依存症やうつ病、自殺が増加し、炭鉱地帯全体の失業率は一時20%に達した。

現在も約8万人が炭鉱で働くが、政府は「2049年までの石炭依存脱却」を公式目標に掲げている。炭鉱労働者の組合が脱石炭に強く抵抗する背景には、市場経済への移行後に国家から見捨てられたという、30年前の苦い記憶がある。

石炭から再生可能エネルギーへの転換を目指すポーランドにとって、原子力は欠かせない「橋渡し役」と位置づけられている。

原発を目指したのは1980年代

ポーランドが原発建設に最初に着手したのは1980年代のことだった。共産主義政権のもと、バルト海沿岸のジャルノヴィエツで工事が始まった。

しかし1986年のチェルノブイリ原発事故を境に、それまで一部にとどまっていた反原発の動きは一気に広がり、抗議運動は急速に激化した。1988年には、建設現場に搬入される予定だった原子炉2基が港に到着した際、市民が港を封鎖し、陸揚げを実力で阻止した(BBCワールドサービスのポッドキャスト、4月30日配信)。

こうした反対運動の背景には、二つの要因があった。

一つはチェルノブイリの記憶だ。事故後、放射性物質を含む雲はポーランド上空にも流れ込み、政府が「危険なし」と発表する一方で、一部の科学者が独自に警告を発した。市民の間には不安が広がり、外出を控え、水をため置くといった行動も見られた。

もう一つは、民主化運動「連帯」との結びつきである。連帯は1980年、グダンスク造船所のストライキをきっかけに誕生した労働組合で、共産党一党支配に抵抗する運動の中核となった。

反原発運動と連帯が合流したことで、ジャルノヴィエツへの反対は単なる環境問題を超えた。「原発を止めろ」という声は、「共産主義を終わらせろ」という声と重なり、体制そのものへの抵抗の象徴となった。

1989年、ポーランドは民主化を達成する。翌1990年、新政権は世論の圧力を受けてジャルノヴィエツの建設中止を決定した。

以来30年以上、ポーランドは東欧で唯一の「原発ゼロの国」として歩むことになる。

ジャルノヴィエツの廃墟に残された鉄骨と配管は、その記憶を長くとどめてきた。

「一番悪い時期に」建設を中止した

チェコ、スロバキア、ハンガリー、ブルガリア。同じ東欧でも、こうした国ではソ連時代に建設された原発がそのまま稼働を続けた。国内に豊富な化石燃料資源を持たない国にとって、原子力はエネルギー安全保障の要だった。「動いていた」という既成事実もあり、政治的な廃止運動が原発そのものには向かいにくかった。

ポーランドでも、原発の構想自体は1956年と早くから存在した。しかし膨大な石炭資源を持つポーランドには「石炭があれば電力は賄える」という安心感があり、原発建設を急ぐ必要性は低かった。その結果、着工は大幅に遅れ、ジャルノヴィエツで本格的に工事が始まったのは1982年のことだった。

1986年にチェルノブイリ事故が起きたとき、他国の原発がすでに稼働していたのとは対照的に、ポーランドはまだ「これから完成させる」という段階だった。それが決定的な差となった。

しかも1989〜90年の体制転換直後、ポーランドの国庫はほぼ空っぽだった。共産党一党支配が崩壊し、市場経済への移行が一気に進んだ時期である。ソ連の建設業者が消え、資金も技術も途絶えた。新生ポーランド政府には、巨額の費用がかかる原発建設を再開する余裕はなかった。

チェルノブイリの衝撃、民主化運動との合流、石炭という代替手段の存在、そして経済的困難。これらすべてが重なった結果、ポーランドだけが東欧で「原発ゼロの国」として取り残された。

ロシアの侵攻が背中を押す

原発建設への踏み込みを決定づけたのは、2022年2月のロシアによるウクライナへの全面侵攻だ。

それ以前にも計画は浮上しては消えていたが、侵攻を機にエネルギーをめぐる認識は一変した。ロシア産天然ガスへの依存から脱し、電力の安定供給を自国で確保することが、最優先の課題となった。

ポーランドは北大西洋条約機構(NATO)の東端に位置し、ロシアとベラルーシの双方と国境を接する。ウクライナへの軍事・人道支援でも欧州最大規模の貢献をしており、ロシアとの対立は深い。エネルギーをロシアに依存し続けることは、安全保障上の致命的な弱点となり得る。

国民の意識も急速に変わった。エネルギー省が2025年末に実施した世論調査では、回答者の92%が原子力を支持し、約80%が「自宅の近くに原発が建設されても受け入れる」と答えた。反対はわずか5%にとどまる。欧州では異例の高さだ。

計画の規模は大きい。建設されるのは、米ウェスティングハウス社とベクテル社が手がけるAP1000型原子炉3基だ。総出力3750MWe(メガワット電気)、総工費は約1920億ズウォティ(約7兆7000億円)に上る。2028年着工、第1号機は2036年の送電開始を目指す。2025年12月に欧州委員会が約142億ユーロ(約2兆6000億円)の国家補助を承認しており、資金面での基盤も整った。

ウランの入手先は?

原発の燃料となる濃縮ウランは、各国とも国際市場に依存している。

天然ウランの主な産出国はカザフスタン、カナダ、オーストラリアなどで、採掘されたウランは濃縮加工を経て原発燃料となる。濃縮は米企業のほか、欧州では英独蘭3カ国の合弁企業Urenco(ウレンコ)やフランスのOrano(オラノ)などが担う。かつてはロシアの国営企業ロスアトムも世界最大級の供給者だったが、2022年のウクライナ全面侵攻後はロシア依存からの脱却が進んでいる。

ポーランドの場合、AP1000型原子炉はウェスティングハウス製のため、燃料も同社を通じて供給される。ロシアに頼らない米国主導の供給網を選んだことは、エネルギー安全保障の観点からも重要な意味を持つ。

日本も同様にウラン資源を持たず、オーストラリアやカナダなどから輸入し、国内外で濃縮加工して原発燃料を調達している。

廃棄物問題という「宿題」

原発建設が現実に動き出した今、最大の課題として残るのが、核廃棄物の最終処分問題だ。

この問題は原発を持つどの国でも解決が難しく、原発のない国だったポーランドにとっては文字通りゼロからの出発となる。

欧州では、フィンランドが世界で初めて地層処分場(オンカロ)の建設に踏み出し、2020年代後半の操業開始を目指している。スウェーデンも建設許可を取得した。

しかし多くの国では、原発が稼働して数十年が経っても、最終処分の見通しは立っていない。ポーランドも例外ではない。

日本も同様に最終処分場は決まっておらず、候補地選定は初期段階にとどまっている。

「栗の木の下」のレストランへ

原発の建設予定地から約12キロ、ホチェヴォ村に「栗の木の下で」というレストランがある。27歳のオーナー、マクシミリアン・ミレヴィチさんは海外での仕事を経て、最近故郷に戻ったばかりだ。三代続く店を継ぎながら、原発建設による地域の変化を前向きに受け止めている。

「建設が始まる前に、地域のレストランやサービス業を整えておきたい」と話す(BBCワールドサービスのポッドキャスト)。原発が稼働すれば、村は1万5000人規模の地域へと拡大する可能性があると期待する。

石炭産業の衰退を経験してきたこの地域では、原子力を新たな機会として捉える動きが広がりつつある。

10年後の稼働を目指す

2036年、第1号機の稼働が予定されている。だが大型インフラプロジェクトが計画通りに進むとは限らない。英国のヒンクリーポイントCやフィンランドのオルキルオト3号機など、欧州の原発建設では大幅な工期遅延と費用超過が相次いでいる。

石炭大国ポーランドの、長い転換がいよいよ始まろうとしている。

10年後、バルト海沿岸の松林の奥に、原発の冷却塔は立っているだろうか。


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2026年5月8日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。

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