
blocberry/iStock
またか、と思う。朝起きると、枕元のスマホに「アレクサ、音楽流して。気持ちアガるやつで!」と話しかけている自分がいる。
『AI時代をどう生きる? 右脳オカン・ネドじゅんの未来予言』(ネドじゅん 著)永岡書店
気づけばロボット掃除機が勝手に動き出し、私が散らかしたパンくずを律儀に吸い込んでいく。あれ、私、何かしてるんだっけ? ——いや、何もしてない。AIに丸投げしている。
スマホ一つとっても、顔認証、写真の自動分類、バッテリーの最適化、夜景モードの謎の補正。あれ全部AIである。「いや知ってましたけど?」という顔をしている方々、本当ですか? 私は最近まで、写真がやけに綺麗に撮れるのを「最新のレンズすごいな」と本気で思っていた。違った。レンズじゃない。中の人(AI)が頑張っていたのである。
ネットで買い物していて、ちょっと気になる商品を一回タップしただけで、その後ずーっと類似商品が表示され続ける現象。あれ、本当にやめてほしい。
先日、ふと革靴を見ただけで、それ以降一週間、私のXのタイムラインは革靴だらけになった。私は革靴を一足も買っていない。でも見続けているうちに、なんだか欲しくなってくる。気づいたらポチッと押している。これはもう、やり手の店員どころの話ではない。プロの催眠術師である。
電車の乗り換え検索、天気の時間別予報、カーナビの渋滞予測——もはや全部AI。コンビニも例外ではない。ピッと読み取るバーコードレジはAIではないが、商品そのものを画像で認証する次世代レジは、れっきとしたAIなんだそうだ。へぇ。私はまだ実物を見たことがない。が、近所のセブンが急にハイテクになる日も、たぶん近い。
ファミレスの配膳ロボットなんて、もう完全に風景に溶け込んでいる。先日、隣の席の小学生が「ありがとう」とロボットに声をかけていた。私は何も声をかけなかった。負けた、と思った。礼儀という点で、子どもに完敗である。
こうして見渡してみると、AIはもう「来る」のではない。「いる」のだ。「便利になったなぁ。もう動かなくていいや」と思った瞬間、それはすでに私たちの暮らしの一部になっている。
これを陰謀だの世界の終わりだのと騒ぐ人たちの気持ちも、わからなくはない。だが、もう手遅れである。「AIが怖いからスマホ使いません」「コンビニ行きません」と言える人がどれだけいるか。たぶん、いない。私だって無理だ。
革命というのは、こうやって、しずかに、そっと始まるものらしい。ファンファーレもなければ宣戦布告もない。気づいたら、もう終わっている。
怖いか、便利か。判断する暇もないうちに、私たちはとっくに次の駅に着いている。降りるかどうか考える時間は、もうない。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
■
23冊目の本を出版しました。日本初のClaude実用書です。
『3時間で身につくClaude活用術』(WAVE出版)









コメント
マーケティング✕パーソナルショッパー
もうなくてはならないパーソナルショッパー。
最近過去に売ったキュレーション記事をGoogleドキュメントからリライトしてブログに上げています。約10年の記事だけどコスメ記事にしてもロングセラーになりそうな物ばかりを選んで書いていたので現在もその商品があるのでさらにバージョンアップした商品を最近購入しました。
やっぱり良い物はいい!ポチッて時間指定をしておいたら何度か帰宅途中にヤマトから電話がある。玄関前に置いといてくださいと言ったらそうしてくれた。あれ?たしか玄関前置き指定してたのに?と思ったら箱に置き配は禁止と書いていて「さすが!大手化粧品メーカーの気配り!」。
私はよく時間指定できない物が届く時玄関のドアにマジックペンで書いた貼り紙をする。
「配送さんへ。留守にしてます。玄関前に置いといてください。」
デジタルとアナログ。
この共存が美しい。