
前編で私は「認知症は治らない」と書いた。

それなのに後編のタイトルは「認知症は治せる」である。
どっちやねん、と思った人は正しい。
認知症の中核症状は治らない。記憶障害も、見当識障害も、実行機能障害も、基本的には元には戻らない。しかし、認知症によって生じる混乱、不安、不眠、怒り、孤立、家族の疲弊、生活の破綻は、かなりの部分で改善できる。
治すべきものは、脳そのものではない。認知症をめぐる不幸である。
それを説明するために、まず認知症への解像度を少し上げておこう。専門的な知識は不要だ。誰でも理解できる範囲である。
中核症状と周辺症状
認知症の症状は大きく二つに分けるとわかりやすい。中核症状と周辺症状だ。
中核症状とは、脳の機能低下そのものから生じる症状であり、記憶障害、見当識障害、実行機能障害、判断力低下などが含まれる。
なかでも最もわかりやすいのが記銘力低下、つまり新しいことを覚えられない症状だ。これは誰でも起こるし、誰でも進行する。加齢とともに認知機能は衰える。運動機能や肌つやと同じ加齢性変化だ。アンチエイジングと言っても若返るわけではない。せいぜい「年の割にはお若いですね」というのが関の山である。つまり、諦めるほかない。
一方、周辺症状とは、中核症状を基にして派生的に出現する症状のことだ。しかし現実的には、こちらで困ることの方が多い。
代表的なのが物盗られ妄想だ。
大事なものをしまった場所を忘れて、誰かに盗られたに違いないと思い込む。精神医学的な妄想とは少し違い、記憶障害から自然に生じる誤解と言った方が近い。本人にとっては、大事なものが消えたという事実だけが残る。だから「誰かが盗った」と考えてしまう。
他にも、徘徊、暴言、うつ、不食、昼夜逆転などがある。
徘徊という言葉には問題がある。辞書的には「あてもなくさまようこと」だが、認知症の方にはあてがある。買い物に行こう、娘の家に行こうとする。しかし道に迷う、あるいは目的を忘れてしまう。これはほとんど「迷子」だ。しかし大人なので迷子とは呼びにくい。適切な言葉がまだない、というのが現状だ。
そして重要なのは、周辺症状は中核症状と違って改善できることが多い、という点である。
精神科の出番
周辺症状に対する治療の一つが薬物療法だ。この時に使われるのが向精神薬、つまり精神科の薬である。気分を落ち着ける薬、睡眠薬などだ。
ただし、薬は万能ではない。高齢者への向精神薬には、過鎮静、転倒、嚥下障害、せん妄、ADL低下などのリスクがある。漫然と使うべきではない。
しかし、強い不安、不眠、焦燥、幻覚妄想、攻撃性があり、本人や周囲が限界に達しているとき、適切な薬物療法が苦痛を大きく減らすことはある。
場合によっては精神科病院での入院治療が必要なこともある。
認知症には精神科的なアプローチが有効だ。一般的には驚かれることも多いが、現場の実態はそうなっている。私自身、最近の仕事の半分以上は認知症の方への対応と言っても良いほどだ。もちろん診断においては、神経学的所見の探索など脳神経内科が優れている面もある。適材適所で関わるのが現実だ。
対応の仕方で変わる
周辺症状は薬だけが治療ではない。接し方を工夫するだけで改善することが多い。これは医療というより、単なるコミュニケーションの問題だ。つまり、医療従事者でなくとも、家族でもできる。
コツはユマニチュードとも呼ばれる考え方に集約される。認知症の方の気持ちを尊重し、尊厳を守り、傾聴・受容・共感をもって接することだ。
よくある間違いが、認知機能が衰えているからといって子供扱いしたり、見下した態度を取ることだ。認知症の方は衰えているだけで大人であり、多くは年長者だ。敬意を欠いた態度を取れば不愉快になって当然であり、適切な誘導にも従ってもらえなくなる。
相手の気持ちを想像し、考えを受け入れ、共感的な態度を示す。倫理的に正しいだけでなく、これがかえって介入をやりやすくする。急がば回れだ。
そもそもこれらは認知症に限らず、対人コミュニケーションの基本でもある。
記憶の種類と回想法
ここで重要な知識を一つ紹介しておく。記憶には大きく分けて三種類ある。
即時記憶は、数十秒から数分の短期的な記憶だ。認知症でもかなり保たれる。今この場で言われた言葉は覚えておける。だから、相当進むまでは簡単な会話は可能だ。
近時記憶は、数分前から数ヶ月前の記憶だ。認知症ではこれが著明に障害される。エピソードが丸ごと抜けてしまう。食事を摂ったこと自体を忘れる、数日前に家族と会ったことを忘れる、などが典型だ。
遠隔記憶は、数ヶ月以上前の記憶だ。これはかなり末期まで保たれる。昔のことは覚えているのである。
コンピューターで例えるなら、今この瞬間の作業領域(メモリ)は動いているが、それをハードディスクに保存することができない。だから後から呼び出せない。これが近時記憶の障害だ。しかし一度ハードディスクに保存された昔の記憶は、かなり保持されている。
つまり、会話はできる。昔のことは覚えている。
これを利用したのが回想法だ。昔のことを思い出すことで脳全体を活性化させ、認知機能を保ち、情動の安定を図る。臨床の現場でも、昔の記憶はかなりはっきりしている。幼少期のことも鮮明に語ってくれる。戦前の話をありありと聞かせてもらうとき、背筋が伸びる思いになることもある。
家族に特に勧めているのが、この回想法として昔話をすることだ。
何度話しても楽しい思い出は、家族なら必ずあるはずだ。認知症の方はついさっき話したことを忘れて、何度も同じ話をしてしまうことも多い。それを逆手に取ればいい。何度でも楽しい話をする。何度でも楽しい気分になれる。自分でも飽きない話をいくつか持っておくといいだろう。
そもそも、まだ認知症でないと思っている我々でも、記憶には限界がある。授業中の話を全て覚えていられるなら、試験はみんな満点が取れるはずだ。誰でも記憶には限界がある。だからこそ、一方的に物忘れを指摘することがいかに的外れか、わかってほしい。
社会資源を使う
もう一つ大事なことは、社会資源の活用だ。家族が認知症かもしれないと思った時、まず相談すべき場所は地域包括支援センターか認知症初期集中支援チームである。これだけは覚えておいて損はない。日本中どこにでも配置されている。
ここに相談すれば、受診の紹介、介護保険の申請、ケアマネージャーへの接続まで、何をすべきか教えてくれる。ケアマネージャーがつけば、在宅サービス、通所サービス、施設入所など、状態に応じた選択肢が見えてくる。
こうした流れをあらかじめ把握しておくだけで、余計な混乱は大きく減る。自分が認知症になった時にはこうしてほしい、という希望を家族に伝えておけばさらにスムーズだ。認知症を前提にした備えをしておくことが、本人にとっても家族にとっても最善の準備である。
臨床現場で何度も見てきた。認知症と診断された時から慌てふためく場面を。予防と治療ばかりに関心を向けてきた結果、なってからのことを何も考えていない。ここにも予防幻想の弊害がある。
介護はプロに任せよ
もう一つ、個人的に強く勧めたいことがある。過度な家族介護を避けることだ。
家族は介護の素人である。そして、家族同士であるとお互いに遠慮がなくなる。「これくらいわかってくれるはずだ」という過度な期待が、「なんでわかってくれないのか」という怒りに変わる。特に家族は、認知症になる前のしっかりした姿を知っている。現在の状態を心情的に受け入れられないことも多い。その結果、虐待や、最悪の場合、殺傷事件にまで発展することもある。これは他人事ではない。
だからこそ、介護はプロに任せた方がいい。プロは客観的に冷静に関われる。能力も家族より高い。家族は介護離職などせず、社会に仕事で貢献すれば良い。社会全体としても、その方が効率的だ。
では家族は関わるな、見捨てろということか。そうではない。
役割分担をすればいい。
オムツ交換、服薬管理、身の回りの世話といった作業的な部分はプロに任せる。家族の役割は、本人に楽しみを提供することだ。一緒に食事をする、外出する、そして何より、先述の回想法として昔話をする。これは他人にはできない。思い出を共有していないからだ。家族にしかできないことに特化する。それで十分だ。
なお、認知症を放置すればいい、という考えは現実的ではない。ゴミ屋敷、孤独死、交通事故、火事、こうしたトラブルはむしろ増える。あなたの隣で火事が起きれば延焼する。交通事故の被害者にも加害者にもなりうる。認知症への社会全体の備えは、他人事ではないのだ。
「寄り添う」とは何か
よく認知症の人に「寄り添う」という言葉が使われる。認知症基本法にもある。
しかしこの言葉は誤解されていると思う。「寄り添う」が「言うことを何でも聞く」と受け取られている節がある。そうではない。
認知症の人はその人らしく生きる。しかしそのままでは自他ともに不幸が起きうる。その時に、寄り添いながら少しだけ方向転換を促す。トラブルを未然に回避する。それが本当の意味で寄り添うことであり、結局のところ最も効率の良い対応法だ。
認知症は治る
過度な理想を持つ必要はない。治そうと躍起になることでも、目を背けて逃避することでも、放置することでもない。現実を受け入れて、ほどほどに効率的な付き合い方を探すことだ。その方法を社会全体で模索する。
それがこの超高齢化先進国・日本の課題である。
うまくいけば、世界に誇れるモデルケースとなりうる。
治すべきは、失われた記憶ではない。
治すべきは、認知症を前にした私たちの混乱であり、恐怖であり、孤立である。
認知症とは、認知機能低下によって「生活が困難になること」である。逆に言えば、認知症になっても生活ができる、しやすくなる。
それが認知症を「治す」ということだ。
薬でも手術でもなく、社会が変わることで、認知症は「治る」。
これがこの超高齢化社会で生きるということ。
これだけが希望の光なのだ。
編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2025年5月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。







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