茂木健一郎氏が日本の大学の現状を誤解しているので、簡単にコメント。
「裏口入学」という言葉自体が、日本の大学経営の発想の貧困の象徴である。入試はペーパーテストの点数だけで思考停止。資金は、国任せ。あげくの果て、文科省のいいなりになる。それでは学問の自由も、組織としての輝きもない。日本の大学は、裁量の自由な飛躍を欠いているのだ。
日本の大学は、すでに「裏口入学」だらけになっている。海老原嗣生氏が指摘するように、早稲田の政経でさえ一般入試は40%。私立大学の半分は定員割れで、当然ながら入試なんかない。慶応は昔から情実入学で知られているから、日本の私立大学では、もうほとんど偏差値なんか意味がないのだ。
大学院はもっとひどい。文科省の「大学院重点化」のおかげで、地方の無名大学から有名大学の大学院に行く学歴ロンダリングが大量に発生した。東大の柏などは毎年何百人も院生をとるから、企業の採用担当者には「柏は東大じゃない」といわれている。結果的には院卒の価値は昔より下がり、大学名を見ても当てにならないので、このごろ企業の人事は高校名を見るようになったという。
茂木氏が誤解しているのとは逆に、面接をしないでペーパーテストだけで選抜する日本の大学入試と公務員試験が、日本が近代化に成功した原因なのだ。江戸時代には、水呑百姓の子供はどんなに優秀でも武士にはなれなかった。今でもほとんどの国ではそうだ。イギリスなどは、オックスフォード・ケンブリッジの授業料を無料にしているのに、学生のほとんどは特権階級の子供で、格差が固定されている。
彼の賞賛するアメリカでさえ、政府高官や金持ちの子は、ブッシュ・ジュニアのように、ろくに字が読めなくても金を積んでハーバードに入れる。それでも向こうでは入学後の競争が激しいから「なんちゃってハーバード」は振り落とされるが、日本ではスポーツ選手でも早稲田を卒業できてしまう。
日本が試験でそういう裁量を完全に廃止してペーパーテスト一本にしたのは科挙の影響だが、これが人材の流動化をもたらし、近代化を飛躍的に進めたエンジンだった。どこの国でも権力者は権力を利用して金を集め、金持ちは金の力で権力を手にする結果、特権階級が腐敗する。日本はそういう弊害をまぬがれ、金と権力が分離され、世界でも珍しく清潔で優秀な官僚が近代化を牽引し、日本社会を平等にしたのだ。
しかしそのエンジンも、文科省の生み出した学歴のインフレのおかげで失速しつつある。もはや国立大学の学部以外の学歴は信用できないので、企業の採用はますます国立大学に集中し、底辺大学は「就学生」と称する不法就労の温床だ。山口福祉文化大学は、東京の「サテライト教室」に600人もの中国人を入れていた。
日本のようにもともと情実のききやすい社会でペーパーテストに徹した非裁量的な入試が、日本社会の公正競争を辛うじて維持してきたのだ。それさえ失われると、日本は特権階級がコネで師弟を大学に入れ、自分の会社に入れて跡継ぎにし、政治家のように世襲だらけになるだろう。