教皇レオ14世は25日、初の回勅「「マニフィカ・ヒューマニタス:人工知能時代の人類保護について」を発表したが、バンス副大統領はNBCニュースに対し、現時点では「マニフィカ・ヒューマニタス(Magnifica humanitas)」の抜粋と報告書しか読んでいないと断ったうえで、「読んだ内容は非常に深遠だと感じた。まさに教会の指導者から期待し、望むべき声明だ」と述べた。そのうえで、教皇の「正戦論」に関する発言にも言及し、「新たな技術と新たな形態の戦争が出現している。したがって、『正戦論』の教義も更新されなければならない」と強調した。そして「教皇がこの一歩を踏み出したことを嬉しく思う」と強調している。

バンス米副大統領、バチカンでレオ14世と会見、2025年5月19日、バチカンニュースから、写真ANSA通信
カトリック教会における「正戦論(Just War Theory)」とは、国家による軍事力の行使を無制限に認めるものではなく、「戦争を倫理的に厳しく制限し、回避する」ための厳格な道徳的枠組みだ。2026年、トランプ政権による対イラン軍事行動(イラン戦争)を巡り、バンス副大統領が「正戦論」を引いて戦争を正当化しようとした際、ローマ教皇や米国カトリック司教協議会(USCCB)がそれを厳しく批判したことはまだ記憶に新しい。
先ず、教会の「正戦論」について少し紹介する。「正戦論」は、キリスト教がローマ帝国の国教となる過程で、平和主義(非戦論)と国家防衛の現実的な必要性を調和させるために生まれた。思想の基礎は、聖アウグスティヌスによって築かれた。彼は「平和を守り、悪を阻止するためのやむを得ない武力行使は認められる」と考えた。中世(13世紀)に入り、神学者トマス・アクィナスがこれを体系化し、戦争が許されるための明確な倫理的条件を提示した。
現代のカトリック教会の公式な教理(カテキズム第2309項)では、軍事力による正当防衛が認められるための条件(Jus ad bellum:開戦の正義)として、4つの条件が規定されている。①侵略者によって国民や国家共同体が受けている損害が、長期的で、極めて深刻であり、かつ確実であること。②外交交渉や平和的解決のための他のすべての手段が、すべて不穏に終わるか、効果がないことが証明されていること。③軍事行動を起こすことで、事態が改善するという確実な成功の見込みがあること。④武力行使がさらなる悪を生まないこと、等々だ。
ところで、カトリックの「正戦論」は歴史的に「国家の戦争を容認する道具」として政治利用されてきた側面がある。バンス米副大統領は、ローマ教皇レオ14世がイラン戦争を批判したことに対し、「教皇のコメントは神学的真実に基づいていない」と主張した。それに対し、米カトリック司教協議会は教義(教理)委員長名でバンス副大統領の誤った「正戦論」解釈を強く非難している。教会の本質的な立場は「いかに戦争を回避するか」にあって、国家の戦争を正当化することではないという論理だ。
カトリック教会の歴史において、「正戦論」に基づいて戦争が支持された事例は実際にある。その代表的な例は. 十字軍戦争(11世紀~13世紀)だ。「正戦論」の要素を含みつつも、それを「聖戦(Holy War)」へとエスカレートされた事例だ。イスラム勢力に占領された聖地エルサレムの奪還と、東方のキリスト教徒の救援が掲げられた。アウグスティヌスの正戦論では「戦争は罪深いが必要悪」とされた。しかし十字軍では、「従軍自体が罪の償い(免償)になる」とされ、戦争が宗教的な善行へと逆転していった。
それ以外にも、レコンキスタ(国土回復運動、8世紀~15世紀)、大航海時代と新大陸の征服(15世紀~16世紀)などがある。当初は「キリスト教を拒む先住民への戦争は正当」という理屈が使われた。中世から近世にかけては、教会が「正当な権威」や「不義への対抗」を根拠に戦争を支持・容認した。しかし、近代以降、カトリック教会は正戦論の解釈を極めて厳格化した。現代の教会は、自衛以外の目的での戦争支持を事実上排除しており、「いかなる戦争も平和の破壊である」として平和主義に近い立場をとるようになっている。
J・D・バンス副大統領とローマ教皇レオ14世の間には、「正戦論」の解釈と、現実の武力行使(特にアメリカ主導のイラン戦争など)への適用をめぐり、決定的な対立と根本的な姿勢の違いがある。バンス副大統領が伝統的な「武力による正義の執行」を重視するのに対し、レオ14世は現代のテクノロジー(AI兵器など)の進化を踏まえ、「正戦論」の限界とその克服を訴えている。
例えば、レオ14世は米国イスラエルによるイランへの軍事行動について、「神はかつて剣を振るい、今日爆弾を投下する者の側に立つことは決してない」「軍事行動が自由の空間や平和の時代を築くことはない」と発言し、武力行使に明確なノーを突きつけた。一方、バンス副大統領は教皇のこの発言に強く反論し、第二次世界大戦でナチスから人々を解放した米軍を例に挙げ、「『神は剣を振るう者の側に決して立たない』などとどうして言えるのか」と主張し、正当な目的のための武力行使には神の祝福(正当性)があると反論している。
両者の間には、 正戦論の「刷新(アップデート)」に対するアプローチの違いもある。レオ14世は回勅『マニフィカ・ヒュ―マニタス(素晴らしき人類)』において、AI(人工知能)やデジタル技術の発展が紛争の形を変えたと指摘、「相手の顔を見ずに攻撃できる技術は倫理的ハードルを下げる」とし、従来の正戦論はもはや現代の条件において不十分であり、「正戦論を克服」して外交や対話に移行すべきだと唱えている。それに対し、バンス副大統領は、教皇の回勅における「テクノロジーに応じた更新が必要」という点では理解を示しているが、バンス氏の意図は、変化する世界の中で「米国の防衛や軍事行動の正当性を再定義・維持するか」という現実政治(地政学)の文脈における教義の更新にあることは明らかだ。
参考までに、レオ14世とバンス氏が自身の主張の根拠とする聖書には、「正戦論」を支持する聖句とそれを批判する聖句の2通りがあることだ。「正戦論」の生みの親であるアウグスティヌスやトマス・アクィナスは、国家の権威や秩序を守るための武力行使を正当化する際、新約聖書「ローマ人への手紙 」第13章4節「支配者は、あなたに善を行わせるために神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。彼はいたずらに剣を帯びているわけではないからです。彼は神に仕える者であり、悪を行う者に怒りをもって報復する者です」を引用する。
一方、現代のカトリック教会は、戦争がもたらす悲惨さを前に、イエスの非暴力の教えや預言者の平和のビジョンを強調し、「マタイによる福音書 」第26章52節「そこで、イエスは言われた。『剣をさやに収めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる』」を引用する、といった具合だ。
すなわち、聖書には武力を伴う「正義の執行」を認める記述と、徹底した「非暴力と平和」を求める記述の双方が含まれており、時代や教会の置かれた状況によってどちらかに重点が置かれてきたわけだ。バンス氏は前者の聖句を、レオ14世らカトリック教会側は後者の「イエスの非暴力」の聖句を自身の「正戦論」の支柱に置いているわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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