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皆さんへの質問
これから紹介する文章は、ある大学のある授業のシラバス(授業概要)の内容を記したものです。さて、どの大学で教えられている、何という講座でしょうか。
「戦略とは何か。それはどのように策定され、どのように適用されるのか。そして、いかなる目的のために用いられるのか。本コースでは、国家の利益(国益)を守り、増進するためのツールとして戦略を理解するために、歴史的・現代的な主要の枠組みや概念を批判的に分析することによって、これらの問いに取り組んでいく。さらに、現代の戦略および防衛が直面する課題への理解を広げるため、本コースでは戦略を理解するための主要な関連概念である抑止、強制、核兵器の要因、防衛外交なども紹介する。そして、戦略の形成と防衛政策への理解を深めるため、欧州や米国以外の重要な事例も取り上げる」。
これが開講されているのは、どこかの士官学校や軍人養成のための大学ではありません。オーストラリア国立大学における「戦略と防衛(Strategy and Defence)」が、その答えです。
ちなみに、欧米の大学では、こうした戦略研究や戦争研究のコースが数多く設けられています。アメリカのイェール大学で開講されている「大戦略(Grand strategy)」コースは有名です。イギリスのロンドン大学キングスカレッジには、「戦争研究コース」が設置されています。
言うまでもないことですが、これらの大学は、全て世界でトップクラスです(イェール大学10位、キングスカレッジ38位、オーストラリア国立大学73位、いずれもTimes Higher Educationによる2026年度のランキング)。
戦略研究を大学の授業にすることへの批判
もちろん、戦略研究を大学で教えることには、批判も寄せられています。以下は、世界で広く読まれている戦略論のテキストからの引用です。
「戦略研究に寄せられた大きな批判には、『大学という場所の存在理由である、リベラルで人道的な(humane)学問の価値に対して根源的な挑戦』を挑んでいるというものである。つまり、戦略研究は学術的テーマではなく、大学で教えられるべきものではない」
(15-16頁、訳文の一部は引用者が改訂)
こうした批判には一理あります。大学の使命の1つには、人間性(humanity)を涵養することがあります。この人間性とは、とらえどころがない概念ですが、とりあえず、ここでは知的理性や道徳的命令(人の道)に従う姿勢といったことを含意しているものとします。
他方、ここでいう「戦略」は、人道にそぐわない内容を含んでいると言わざるを得ません。上記の『戦略論』には、この道の大家であるコリン・グレイ氏の戦略の次の定義が引用されています。
「政治目的のために、組織化された力の行使あるいはその行使の威嚇をする際の理論と実践」。この定義を読んだ方からは、こう叱られそうです。「学問を政治に従属させるのか!」、「物理的暴力である軍事力の利用方法を研究するなど、人の道にもとる!(=道徳的・倫理的にけしからん)」と。
大学における戦略研究の意義
では、大学は戦略研究を無視しても構わないのでしょうか。そんなことはないという論者もいます。西原正氏は、今から40年近く前に出版された『戦略研究の視角』人間の科学社、1988年において、戦略研究の意義をこう主張しています。
「(戦略研究は)大学教育に馴染まない科目であるという意見は多い。…しかし…大学教育が…どんな政策を採ることが必要かという問題意識の高揚にも貢献することが、将来の指導者を培うことになる。大学はすでに経済政策、科学技術政策、環境政策、医学など多くの分野で政府の政策立案に貢献してきている。安全保障や戦略の分野でも、そうした政策指向の教授陣がいなければならない」
(iv頁)
私は、この意見にも一理あると思います。国家戦略や安全保障政策が、国民生活の根幹を支えるものである以上、その立案や変更を研究することも大切だからです。残念ながら、「あなたは戦争に関心がないかもしれないが、戦争はあなたに関心を持っている」(トロツキー)というのが、おそらく現実でしょう。だから、われわれはいやおうなく、戦争や軍事を考えざるを得ないのです。
ここで注意していただきたいのは、戦略研究者は「御用学者」ではないことです(そういう人もいるでしょうが)。たとえば、米国では、多くの戦略研究者が、ブッシュ大統領のイラク侵攻やトランプ大統領のイラン戦争を公に批判しています。戦略研究は、大学教育の1つの根幹である「批判的思考」の育成と両立するのです。
大学で戦略研究を忌避する代償
欧米で戦略研究が「学問」として多くの大学で教えられている一方、日本の大半の大学において事実上、開かれていない状態が続けば、この分野の欧米と日本の学問的ギャップが、広がるばかりです。これは、はたして学術的に健全なのでしょうか。上記のテキスト『戦略論』によれば、「戦略は依然として学術研究のなかで単独の価値を有する領域であり続けてい」(21頁)ます。
戦略は社会科学の学問分野の構成において、政治学⊃国際関係論(国際政治学)⊃安全保障研究⊃戦略研究と位置づけられます。その国際政治学の1つの分野を構成する「戦略研究」が、一部の例外を除き、日本の学界、そして「大学のカリキュラムにおいてはタブー視され、意図的に排除されてきた」(西原、前掲書、iv頁)のであれば、今からでも遅くありません、「輸入学問」たる日本の国際政治学に「戦略研究」をもっと取り入れるべきでしょう。
もちろん、日本の大学に全く戦略研究やそれに類似するコースがないわけではありません。たとえば、政策研究大学院大学には「戦略研究プログラム」があります。しかし、このコースの対象となる学生は、同大学院のウェブサイトによれば、「各国の外交・防衛・安全保障等に関する行政機関の幹部職員であり、当該業務について5年以上の実務経験を有する者」なのです。
こうした実務家の能力をさらに向上させることは大切である一方、これでは戦略を一般市民に広く理解してもらうことは難しいでしょう。
戦略と実践の乖離
世界には「良い戦略」もありますが、「悪い戦略」もはびこっています。いや、現在のイラン戦争のような「戦略なき戦争」さえ珍しくありません。
トランプ2.0政権の「国家安全保障戦略」は、良い戦略だと評価できます。なぜならば、同戦略では、世界情勢の診断(国内産業の弱体化や中国の台頭による米国の衰退など)や基本方針(米国第一主義や対中抑止)、行動計画(投資の引き入れや中東への関与縮小、パートナーとの協力による抑止強化など)の3本柱が的確かつ明確に記されているからです。
にもかかわらず、米国は戦略の優先順位を下げた中東地域でイラン戦争を始めてしまいました。これは同戦略の「長期的計画から日々の対外政策に至るまで、米国の外交政策が中東に振り回されていた時代は、ありがたいことに、もう終わったのだ」との言明と矛盾します。
さらに悪いことに、トランプ政権は逼迫した兵器をイラン戦争で浪費することで、優先順位が高いはずのインド太平洋における対中抑止力を低下させていることです。すなわち、米国は自分が構築した戦略と矛盾した行動をとっているのです。
戦略の論理に反する行動をしないためには、実務者の能力を向上させるだけでは不十分です。なぜならば、どんなに知的訓練を受けたエリートの集団であっても、何らかのきっかけにより一旦始めてしまった国家の間違った行動を「良い戦略」で示された指針に戻すことを躊躇しがちだからです。
こうした変革を阻む1つの重大な要因が「現状維持バイアス」です。すなわち、大半の人間は「今のままで大丈夫だろう」とか、「政策変更にともなう責任をとりたくない」とか、「変革がもたらす損失を過大に見積もる」といった思考の歪みから完全に逃れられません。「最後の一押しがあれば何とかなる」といった妄想を振り払うのも、かなりの勇気が必要でしょう。「集団浅慮」という「空気の支配」に水を差すのも容易なことではありません。
戦略の原理
戦略は科学に似ています。こうすればうまく行くだろうという「仮説」こそが、戦略の中核なのです。そして、仮説である戦略は、それを実行することで「検証」されます。その結果、戦略目的を達成できなければ、これは「失敗」であり、「仮説」が間違っていた、言い換えれば、戦略が悪かったと判断すべきです。そして、古い戦略は新しい戦略に地位を譲らなければなりません。このことについて、戦略論の泰斗であるリチャード・ルメルト氏(UCLA)は、以下のように指摘しています。
「新しい戦略は、科学の言葉で言えば、『仮説』である。そして、仮説の実行は『実験』に相当する。実験結果が判明したら、有能な経営者(や指導者)は何がうまくいき何がうまくいかないかを学習し、戦略を軌道修正する」。
リチャード・ルメルト『良い戦略、悪い戦略』日本経済新聞出版社、2012年、318頁より
しかし、政治家や官僚は概して、自分たちの間違いをなかなか認めたがらないので、「実験結果」が否定的であっても、先述の「現状維持バイアス」も相まって、既存の行動をなかなか軌道修正できません。
もちろん、ミスを認めて改革につなげようとする指導者もいます。たとえば、自分の戦略的判断が間違っていたことを認めた珍しい大物としてロバート・マクナマラ氏(フォード自動車社長や国防長官を歴任)がいます。ですが、彼でさえベトナム戦争が間違いだったと公に認めたのは、現役のときではなく、政財界の第一線を退いた晩年のことです。それでは国益が大きく損なわれるのを防ぐには遅すぎます。
戦略と民主主義、そして大学
民主主義国家においては、エリートが戦略から逸脱したり、悪い戦略にとらわれたり、戦略なき愚行に走ったりしてしまった結果、国家の命運を任せられない場面になったときこそ、国益の増減に生活を大きく左右される国民/市民の出番ではないでしょうか。
国家の行動が戦略の論理に合致しているかどうかを見極め、それに反していると判断できる場合、現行の政策をやめるよう政府に圧力をかけたり、選挙で与党に異議申し立てを行ったりするなどして、国家に戦略を軌道修正させる原動力になれるのは、われわれであるということです。
そのためには、知的理性と相互に発展する関係にある科学のトレーニングができる大学において、より多くの人が「科学としての戦略」のイロハを広く学べる教育インフラを充実させるべきでしょう。「戦略研究」関連の科目を大学で開講することは、そのための第一歩になるはずです。








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