
前編で、就労継続支援B型の「公金チューチュー」批判は的を外していると述べた。B型は働ける人を囲い込んでいるのではない。働けない人を地域で支えているのであり、そのコストがB型という見えやすい場所に集まって見えているにすぎない。問題の根幹は、病床を埋めるほど収益が立つ精神科病床の構造にある、ということだ。
https://agora-web.jp/archives/260605223820.html
ではどうすべきか。本稿では、制度設計の具体的な中身——というより、その背後にあるべき考え方、方向性を論じる。
手本は、すでに精神科医療の中にある
結論から言えば、精神科急性期治療病棟の診療報酬の仕組みを応用すれば良い。
この病棟は、入院が30日、60日、90日を超えるごとに、診療報酬が段階的に下がる。長期化するほど収益単価は減る、ということだ。同時に、新規入院患者の一定割合を3か月以内に自宅等へ移行させることが、施設基準として求められる。つまり、なるべく早く多くの患者を退院できるよう治療しろ、というインセンティブだ。
さらに条件がある。短期間で再入院した患者は、退院実績にはならない。「とりあえず退院させて数字を作る」ことはできない、ということだ。要するに、安定した自宅生活ができるように治療しろ、安易な退院は許さない、ということである。
この二つを合わせると、なるべく早く、しかし安定して暮らせるように治療して退院させろ、となる。治療目的としても合理的で、長期入院の囲い込みを防ぎつつ、無理な追い出しも防ぐ構造だ。逆にいえば、「抱え込むほど損、しかし放り出しても得にならない」という設計である。これを病院の外——デイケア、B型、A型——へ延ばしていけば良い、というのが本稿の趣旨だ。
基本単価は下げ、重症度に報いる
第一の柱は、重症度に応じて報酬に差をつけることだ。
今の制度は大雑把に言えば、「誰を見ても、何をしても、来ていれば同じ単価」に近い。これでは、手のかからない軽症者を集めて座らせておくのが最も効率がよく、重症者は手間がかかる分だけ損になる。当然、重症者は敬遠される。
そこで、基本単価そのものは下げておき、漫然と人を集めるだけではさほど儲からない水準にする。その代わり、重症度の高い人を支えるほど報酬が上がるようにすれば良い。指標としては、現行の障害支援区分を土台に、精神障害者保健福祉手帳の等級や過去の入院歴を組み合わせて測ることが考えられる。とりわけ頻回入院歴は強い指標になる。制度が最も避けたいのは再入院なのだから、「放っておけば再入院する人」を地域で支えている事業者にこそ、厚く払うべきだ。
ただ、こうした精緻な指標は、現時点ではまだ整備されていない。障害支援区分は身体面の評価が大きく、精神症状の重症度に対応できていないという批判も従来からある。それでも、まずは現場で使われている障害支援区分を出発点とし、手帳の等級や入院歴を組み込みながら精度を上げていくのが現実的だ。完璧を待っていては、現状の非効率は変わらない。
これだけでも、軽症者を囲っても儲からず、重症者を地域で支えると報われる、という形に経済合理性を変えられる。
漫然利用も、入院回避なら成果だ
「B型では何もせず座っているだけの人がいる」という批判にも、誤解がある。確かに、作業もなくただ居るだけというのは、就労支援とは呼びづらい。しかし、軽症に見えるその漫然利用も、居場所を失えば悪化してしまう人にとっては、入院予防になっている。精神医療全体を俯瞰すれば、毎週通い続けていること自体が、安定の証であり、成果と言える。「就労支援」という言葉に囚われると、本質を見落とすのだ。
だから、「漫然利用」を一律に悪と決めつけるべきではない。
報酬の設計としては、精神状態を支えるだけなら収支がぎりぎりになる水準を最低ラインとし、重症者を支えたり、無理のない就労移行を成功させたりして初めて、さらに利益が出るようにする。これなら、居場所としての機能は維持しつつ、軽症者を大量に囲い込んで大きく儲けるというビジネスモデルを抑えられる。
移行は「6か月続いたこと」で測る
第二の柱は、成果の測り方である。
デイケアからB型へ、B型からA型へ、A型から一般就労へ、あるいは通所をやめても地域で暮らし続けられること——こうした上位への移行は、きちんと評価されるべきだ。ただし、ただ移せば良いのではない。まだ不安定な人まで形だけ送り出し、名目だけの移行で儲けられては困る。
そこで、例えば6か月間、移行先や地域での生活が続いたことを確認して初めて、成果として評価する。退院実績として短期再入院を数えない急性期病棟と、同じ考え方である。
精神疾患には再燃・再発がつきものなので、移行先で調子を崩して戻ってくることは珍しくない。6か月に届く前に戻ってきた場合は、成果とは数えず、下がった単価のまま前回の続きとして扱う。一方、6か月以上を維持した後の再燃なら、新規の利用として受け入れ直し、また高い単価から始める。
6か月もちこたえるのは、簡単ではない。一度地域に出られた人が再び支援を必要としたときには、できるだけ受け入れやすい条件を用意すべきだ。これは、事業者が重症・不安定な利用者の移行を前向きに考えられる安心感にもつながる。
必要な入院を防ぐのではなく、不要な入院を減らす
入院回避を成果にすると、本来入院すべき人まで地域で抱え込んでしまうのではないか、という懸念があるかもしれない。だが、これは実態とは逆だと言ってよい。
そもそも精神症状が本当に悪化したとき、それを地域支援だけで食い止めることは極めて難しい。逆に言えば、地域支援で安定を保てたのなら、少なくともその時点では入院に至らずに済んだのであり、それ自体がむしろ評価すべき成果だ。B型やデイケアが「成果が下がるから入院させないでおこう」と操作できる余地は、現実にはほとんどない。
日本の精神科医療の問題は、必要な入院が妨げられることではない。そもそも不要な入院、長すぎる入院が多すぎることだ。だから、入院回避を成果にする弊害を、主たる問題として過大視する必要はない。
不正は、少数精緻な抜き打ち検査で潰す
漫然とした軽症者の囲い込みで儲けることを防ぐには、基本単価を下げる必要がある。しかし、正直に運営すれば薄利になる以上、儲けを不正に求める誘惑が生まれやすい。その対策として、外部からの検証は欠かせない。これは厚労省が責任を持って行うべきだ。
とはいえ、全事業所をくまなく検査する必要はないし、現実的でもない。むしろ少数を、精緻に、的確に摘発することを目指すべきだ。異常に高い移行率、不自然な出戻り、A型なのに生産活動の収支が合わない事業所、重症度加算が多いのに支援記録が薄い事業所——そうしたデータの異常値を手がかりに標的を絞り、抜き打ちで調べる。
そして罰則も階層化する。単なる事務ミスは指導、不適切な運用は返還、悪質な虚偽請求には割増返還・指定取消・公表まで踏み込む。ここを分けなければ、記録が整理しにくい重症者を誠実に支える事業所ほど萎縮してしまう。
一件の摘発が広く報じられれば、それだけで全体が警戒し、予防効果を生む。病院でも、厚労省の監査での指導やレセプトの減額査定は、瞬く間に口コミで広がり、対策が周知されるのと同じである。
お尻を叩いても、人は働けない
就労支援への批判には、もっと根本的な誤解があるように思われる。
そもそも精神障害のある人に対して、「怠けている」「能力が低いのだから、尻を叩いて働かせよう」という発想は、うまくいかない。これは、精神医療の実態をあまり知らない者の発想であろう。
必要なのは、まず精神の安定であり、生活リズムであり、安心できる居場所である。安定すれば、自然と働きたいという人は増える。多くは、働きたくないというより、働きたい気持ちがあっても、自分の状態が追いついていないのだ。だからこそ、状態が整ったときに、作業やB型、A型、一般就労へと意欲を支える場が必要になる。
成果主義そのものは、報酬の設計としては必要だ。漫然とした公金の垂れ流しを防ぐには、何かを成果として測るしかない。だが、社会の側が一般企業の競争原理を持ち込んで、「もっと働かせろ、もっと移行させろ」と迫るのは、無理であるばかりか逆効果だ。急かされて疲弊し、かえって状態を崩して入院してしまえば、本末転倒である。
繰り返すが、評価すべき成果とは、多く働かせることでも、速く移行させることでもない。状態を悪化させず、安定を保ち、本人の意欲が芽生えたときに支えることだ。就労支援を「働かせていないから無駄だ」と叩くのは、精神医療の目的の本質から外れた批判なのである。
すべてを「避けた入院コスト」で値付けする
結局のところ、B型批判の最大の問題は、精神医療の実態が社会に理解されていないことである。世界最多レベルの精神病床に、適切な地域移行のインセンティブもつけず、漫然と公金を垂れ流し続けていること——それこそが最大の問題であり、真の巨大な闇なのだ。
精神疾患、とりわけ統合失調症を、そして近年は認知症を、社会は直視することを避け、精神科病院に押し込め、金だけ流して見て見ぬ振りをしてきた。その末路が、今である。そしてわずかに表面へ顔を出したのが、就労支援B型の乱立という、楽に儲けるシステムだったというだけだ。
であれば、報酬の設定は、公的負担の重さを基準に考えればよい。一番の目的は、地域で人を支え、社会的には入院コストを減らすことだ。漫然とした居場所も、手厚い重症者支援も、就労への移行も、物差しは同じ——本来かかったはずの病床の費用を、どれだけ肩代わりしたか、である。
具体的なイメージのために、ごく粗い数字を置いてみよう。精神療養病棟入院料だけでも1日約1万2千円であり、加算や薬剤、食事などを含めればさらに膨らむ。一方、精神科デイケアは大規模で1日7,000円、小規模でも5,900円だ。しかも地域生活では、外来、薬剤、訪問看護、生活保護などの費用も別にかかる。つまり、地域へ移すだけでは、公的負担は自動的に大きく減るわけではない。
だからこそ、地域支援の基本単価は、入院より明確に低く設定する必要がある。たとえばデイケア的な濃い支援を1日6,000円程度、B型のような作業付きの居場所を5,000円程度以下、A型に行ける程度の人はさらに低く——という具合だ。数字には議論の余地があるが、考え方は明確である。低リスクの滞留では儲からず、入院リスクを下げ、無理のない移行を実現したときにこそ報われる。
そして、もう一方の入院側の報酬は、むしろ下げなければならない。地域支援の単価を減らすだけでは、片手落ちだ。病床を埋め続けるより、デイケアや就労支援に乗り出したほうが得だと事業者が感じる流れを作らなければ、人もカネも病床から動かない。それは、地域支援を増収させて誘うことではなく、入院を儲からなくする、病床に居座る経済合理性を削ぐ——それこそが、人とカネを病床から地域へ動かす、本当の決定打なのだ。
そして、本当に目を凝らすべき先は、就労支援ではない。地域で暮らせるはずなのに、精神科病床で何年も入院し続けている統合失調症の人々であり、行き場を失って精神科に長期入院する認知症の人々である。そこでは、巨大な公金と、人権問題と、利権が絡み合っている。B型の「公金チューチュー」など、たまたま光が当たった入り口にすぎない。本当の闇は、その奥に、手つかずのまま広がっている。
せっかく現れた闇だ。
その先にしっかりと目を凝らし、積年の闇に光を当てる千載一遇の機会とするべきだ。
編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2025年6月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。







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