沖縄は「日本の縮図」:拠り所を失う時代に日本人が考えるべきこと

「沖縄は日本の縮図である」

「沖縄学の父」とも呼ばれる伊波普猷(いは ふゆう:1876~1947年)学士のこの言葉は、現在にもあてはまるかもしれない。

沖縄を考えることは、日本を考えることでもある。変化の時代に、私たちは何を拠り所に生きるのか。

沖縄をどう見るかは、日本をどう理解するかにつながっているとも言える。

沖縄はなぜ「日本の縮図」なのか

伊波普猷が生きた時代、世界は白人中心の列強によって支配されていた。その文脈で「沖縄は日本の縮図である」という言葉を読むなら、日本の中での沖縄の立場は、列強支配の世界における日本の立場を映している、と読むこともできる。

沖縄が島々から成り、日本の一部となってからの歴史が決して長いわけではないように、日本もまた、近代国際社会の中で自らの位置を模索してきた国だった。外から与えられた秩序に参加しながら、その中で自らの立場を探り続ける。その構図は、沖縄と日本の関係にも、世界の中の日本の姿にも重なって見える。

外の世界で問われた「あなたは何者か」

私は歴史学者でも民俗学者でもない。沖縄に生まれ、その後、東京、パリ、ボストンなど複数の文化圏で学び、働いてきた一人の科学研究者である。

外の世界に出るたびに、私は何度も「あなたは何者なのか」を説明しなければならなかった。そしてそのたびに、他人に説明する以上に、自分自身に対して同じ問いを突きつけられることになった。私は何者なのか。どこから来て、何を受け継ぎ、何を拠り所に生きているのか。

物理学者の江崎玲於奈博士は、かつて、アジアの研究者は自らの文化的背景とサイエンスとの間で葛藤を経験すると述べている。近代科学が西洋で生まれたものである以上、それは避けがたい、という趣旨である。これは英語での発言をもとにした私訳だが、その指摘は示唆に富む。

私はその感覚のどこかに、かつて沖縄の人々が日本本土で味わってきた経験と重なるものがあるように感じてきた。もちろん、現代の状況は過去と同じではない。グローバル化と情報化が進んだ今、若い世代の多くは、かつてのような日本本土での差別や「中央との距離」を以前ほど強く意識せずに生きられるようになっている。地方や離島からでも、世界と直接つながることができる時代だ。

その意味で、時代は確かに進んできたともいえる。

「にが世」から「あま世」へ、そしてその先へ

伊波普猷は、沖縄が経験した苦難の時代を「にが世」と呼び、その先に訪れる理想の時代を「あま世」と表現した。

第二次世界大戦で壊滅した郷土を憂い、ついに帰郷することなく亡くなる前に、彼は次のような言葉を残している。

「ここにはただ地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、『あま世』を楽しみ十分に個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る、との一言を付記して筆を措く」

ここで注目すべきなのは、「にが世」からの解放だけではない。その後に続く「十分に個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る」という一節である。伊波が見ていたのは、被害の記憶に閉じこもる沖縄ではなく、世界に向かって開かれていく沖縄の姿だったのではないか。

スポーツや芸能の分野を中心に沖縄出身者が全国で、そして世界でも活躍する現在、私たちは伊波のいう「あま世」に、部分的には近づいているのかもしれない。

問題はこれからである。

変化の時代に、日本人は何を失いつつあるのか

近年、「VUCA」という言葉が頻繁に使われる。変化が激しく、先行きが見えず、複雑で曖昧な時代を指す言葉である。社会の変化は加速し、国際秩序は不安定さを増し、昨日までの前提が今日には揺らぐ。いま私たちは、そうした時代を生きている。

以前、アメリカ人の作曲家・ピアニストの友人から、作曲家の武満徹が「変化し続けることは必要だが、早すぎる変化は危険である」という趣旨のことを語っていたと聞いたことがある。これも英語で話し合ったことの私訳だが、現代を生きる我々の課題をよく言い当てている。

私たちは、新しい知識を学び続けることを求められている。変化に適応しなければ取り残される、という切迫感は、多くの人に共有されているだろう。変化についていけても、自分の足場がわからなくなることは、不安定さを招いてしまうかもしれない。

人も情報も国境を越えて行き交う時代だからこそ、私たちは改めて、自分の拠って立つものを問い直さなければならない。

沖縄を考えることは、日本を考えること

自分は何者なのか。
どこから来て、何を受け継ぎ、どこへ向かおうとしているのか。

自らの足場を持たない者は、本当の意味で外の世界に開かれることができないのかもしれない。日本の中の沖縄を見ることは、世界の中の日本を考えることにつながる。

大国に挟まれ、亡国の危機の中で自己の立ち位置や生き残りをかけた選択に迫られ続けてきた琉球国とその後の沖縄の歩みは、日本がこれからどの方向に進むべきかを考える上で、有力な示唆を与えてくれるかもしれない。

何を手放さずに変わっていくのか。

それが、沖縄だけでなく、今後の日本に必要な問いではないだろうか。

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