今、国会では皇室典範という法律の改正に向けた「安定的な皇位継承をめぐる協議」が行われており、議論は山場を迎えています。
ところが、世論調査では「愛子さまが天皇になる」と考える声が多数派なのに、国会の議論にはそういった話が出てきていません。

愛子さま 外務省HPより

一言でいえば、今のままではなれません。
次の天皇になる権利=皇位継承権とその順番は、皇室典範の第1章で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められているからです。
※「男系」はあとで説明します。
なので愛子さまが天皇になるには、国会議員がこの皇室典範を国会で変えなければいけません。
もちろん皇族のうちだれが天皇になれるかを決めるルールも皇室典範で定められているため、そちらも合わせて変える必要があります。
ちなみに今の継承順位1位は、今上陛下(「今の天皇」を現代ではこう呼びます)の弟にあたる秋篠宮文仁親王であり、このままいけば次の天皇になります。
日本国憲法の第2条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定められています。
皇室典範を変えることは国会にしかできず、天皇ご一家が決めることはできません。
「男系の男子」という言葉について、特に「男系」がみなさんにはなじみがないものと思います。
これは「家系図でお父さんの方をさかのぼっていくと、これまでの天皇にたどり着く」という意味です。
逆に「お母さんの方をさかのぼっていくとたどり着く」場合は、「女系」といいます。

男系と女系 ChatGPTにて出力
今上陛下の娘である愛子さまは、男系ではありますが女子なので、皇位継承の順位には入れないのです。
愛子さまが天皇になるには、皇室典範から男子の条件をなくす必要があります。
なお、もし愛子さまが天皇になった場合、生まれるお子さまは女系になります。
そのため男系の条件もなくさなければ、愛子さまのお子さまも天皇になれるかどうかという同じ議論が、また繰り返されてしまうでしょう。
いま差し迫っている一番の問題は、今の皇室典範のままでは、いずれ皇位を引き継げる男系男子が途絶えて、天皇がいなくなりかねないことです。
もし天皇がいなければ、国会の召集や法律の公布といった国事行為を行う人がいなくなり、国の機能がマヒしてしまいます。
歴史の授業で習う「摂政」を置く方法もありますが、摂政はあくまで天皇が在位していることを前提にしたしくみです。
天皇そのものがいなければ、摂政も置けません。
では今すぐ大変かというと、まだ大丈夫です。
今上陛下(66歳)に万が一のことがあれば、秋篠宮さま(60歳)が天皇になるしくみがあるからです。
ただ、還暦を超えたお二人が合わせて上皇さまのように30年以上務められるかは難しいでしょう。
お二人の後の男系男子は、常陸宮正仁親王(90歳)と、秋篠宮さまの息子さまであり愛子さまのいとこでもある、悠仁親王(19歳)のお二人です。

悠仁さま 宮内庁HPより
常陸宮さまは今上陛下よりさらにご高齢のため、実際には悠仁さまお一人が頼りという状況です。
悠仁さまに万が一のことがあれば、あるいは悠仁さまと将来の奥さまとの間に男子が生まれなければ、男系男子による皇位継承は途絶えてしまいます。
だからこそ急いで、皇位継承のあり方を考えなければいけないのです。
ヨーロッパの多くの王室では、20世紀の後半から「男女は同権」という考えが広まる中で、国王になる権利を女子にも認めるように、次々とルールを変えてきたのです。
今もヨーロッパで女性が国王(女王)になりにくい制度を残しているのは、スペイン、モナコ、リヒテンシュタインなど一部の国だけで、それ以外の多くの国は、すでに男女の区別がない長子優先の制度に切り替えています。
実際に今のスウェーデン、オランダ、ベルギーの第1王位継承者はすでに王女です。
男子優先の制度を残すスペインでも、日本と同じく直系の男子がいないことから、レオノール王女が第1継承者となっています。
側室(奥さんの他に複数の女性と子どもをもうける慣習)のない現代でも継承が途絶えなかったのは、こうして継承できる人の幅を広げてきたからでもあるのです。
日本も同じように皇室典範を変えればよいのですが、「男系男子でなければならない!」と、21世紀になっても男尊女卑にこだわる議員や有識者の声が大きく、これができないのです。

しかし前の節でもみた通り、秋篠宮さまの次の世代で男系男子として天皇になり、男系のお子さまをもうけられるのは、今では悠仁さまお一人です。
ここで考えてみてください。
「継承が途絶えてはいけない」というなら、本来の解決策はヨーロッパと同じように女性や女系を認めていくことのはずです。

日本でも皇室典範がなかった時代までは、推古天皇や持統天皇といった女性天皇を何人も経て継承してきたことは、みなさんも日本史の授業で習いますね。

つまり、男系男子にこだわり続けることこそがリスクを最も大きくしているのです。
そんな状況で、愛子さまをはじめとした内親王だけでなくそのお子さままで、危機感の足りない議員たちのこだわりで継承から締め出せばどうなるか。
その答えは、ここまで読んできたみなさんにはもう見えているはずです。







コメント
この記事が引いている「『男系天皇』が古代からの伝統だという話は明治時代の創作」という主張には、強い疑問があります。
「大昔の初代の天皇あたりは、本当にいたのかあやしい」という議論なら、あってよいと思うのです。
神武天皇のあたりは、聖徳太子よりさらに千年も前。
弥生式土器を使い、竪穴式住居に住んでいて稲作が始まりましたくらいの時代の話ですから、
文字の記録がとぼしく、神話と歴史の境目があいまいなのは当然です。
古代の不確かさを指摘すること自体は、自然な態度です。
問題はそこではありません。「神話の時代があやしい」ということと、「男系で受け継いできたという実態がなかった」ということは、まったく別の話だ、という点です。
たしかに、「男系の男子」と法律の文章にはっきり書かれたのは明治時代です。
それは事実でしょう。
けれども、「明治より前には明文化された資料がない」というだけで、「だから男系の伝統は明治の作り話だ」と結論づけるのは、話が飛びすぎています。
なぜなら、法律に書かれていなくても、実際にどう受け継がれてきたか、その中身を見なければ、伝統があったかどうかは判定できないからです。
ではどうやって確かめればよいか。
やり方は単純です。
初代から今までの百二十六人の天皇を一人ずつ並べて、「男系でつながっている」「つながっていない」「資料がなくてよく分からない」の三つに仕分けするだけです。
その結果、男系でつながっているのが六割くらいしかないなら、「昔は男系の伝統なんてなかったのでは」という主張に説得力が出てきます。
逆に、八割以上が男系で説明できるなら、「やはり実態として男系が重んじられてきた」と考えるのが自然です。
ところが、「明治の創作だ」と言う人たちから、こうした整理表が出されたのを、私は一度も見たことがありません。
よく持ち出されるのは「推古天皇や持統天皇など、女性の天皇がいた」という話です。
でも、ここは注意が必要です。
「女性天皇がいた」ことと「女系天皇がいた」ことは、同じではありません。
過去の女性天皇は皆、天皇の娘であり、次の代では元の男系の血すじに位を戻しています。
ここで一番大切なルールを確認します。
それは「長く信じられてきた説をひっくり返したい人の側にだけ、証明する責任がある」ということです。
これは議論の世界の基本ルールです。
「日本の天皇は古代から男系で続いてきた」というのは、長く信じられてきた説です。
それを「明治の作り話だ」と覆したいのなら、覆す側が、百二十六代を実際に検証した表を示し、「こことここは男系では説明できない」と具体的に証拠を出さなければなりません。
証拠の表を出さないまま「明治の創作」という強い言葉だけをくり返し、男系を支持する人を「男尊女卑だ」と決めつけるのは、冷静な議論とは言えません。
男系をどう評価するかは、男女差別の問題ではなく、「長く続いてきた歴史のつながりをどれだけ重く見るか」という、歴史の見方の問題のはずです。
最後に、念のため。私は「だから愛子さまは天皇になれない」と言いたいのではありません。
女性天皇や女系天皇を認めるか、旧皇族の方に戻っていただくか――こうした制度の議論は、未来に向けて大いにやるべきです。
ただ、その議論を後押しするために、わざわざ「男系は明治の創作」という確かめられていない歴史認識を持ち出す必要はありません。
「継ぐ人が足りない」という動かせない現実だけで、十分に話は立てられるはずです。
証明されていない強い言葉が先に走ってしまうと、かえって改正論そのものの信頼まで傷つけてしまう。
だからこそ、根拠にする情報はもっと慎重に選んでほしいと思うのです。
気になるのは「欠史八代」って言葉すら出てきてないってことだ。
こども版を読んでくださっているみなさんの勉強のために、このコメントにある「論理的誤謬(ろんりてきごびゅう)」を一緒に確認してみたいと思います。
なお「論理的誤謬」については、藤原かずえさんによるアゴラの「藤原かずえのメディア・リテラシー」で詳しく載っていますので、興味があれば読んでみましょう。
https://literacy.agora-web.jp
ちなみに、この論理的誤謬を知っていてわざと使うことを「詭弁(きべん)」、詭弁を使って人を騙そうとする人を「マニピュレーター」といいます。
みなさんはマニピュレーターになってはいけません。
問題①「答えるべき話に答えていない」――論点のすり替え
この記事が伝えていることは、きちんと読んだみなさんにはわかりますね。
・今のルール(皇室典範)では愛子さまは天皇になれない
・男系男子だけで継承し続けると、近い将来継ぐ人がいなくなる
・ヨーロッパの王室は女性も継承できるようルールを変えてきた
ところがコメントは、この記事が参考として紹介した別の記事(「男系天皇が古代からの伝統だという話は明治時代の創作」)への批判をしています。
この記事本体の①②③には、一言も答えていないのです。
これを【論点のすり替え Ignoratio elenchi】といいます。
「答えるのが難しいことには答えず、答えやすい別の話をする」という誤謬です。
テストで「問2に答えなさい」と言われて、問1を必死に答えるようなものですね。
藤原かずえさんによれば、アリストテレスはすべての論理的誤謬は「論点のすり替え」の形式をとると主張しているそうです。
問題②「自分でも同じことを言って自爆する」――自己論駁(じころんばく)的論証
コメントはいくつもの(記事とは関係ない)話を束ねていますが、最後のほうを見てください。
> 「継ぐ人が足りない」という動かせない現実だけで、十分に話は立てられるはずです。
これは、この記事に書いてあることとまったく同じですね。
「継ぐ人がいなくなるのが問題だ」→「だからルールを変えなければ」はこの記事の中心にある話で、十分に話は立てられています。
最後に「あなたの言っていることは正しい」と自分で認めてしまったのです。
これを【自己論駁的論証 Self-defeating argument】といいます。
古代ギリシャの哲学者プラトンが著した対話篇『テアイテトス』のエピソードから、「プロタゴラスの自己論駁」と呼ぶのが一般的です。
批判しているようで実質的に同意しているのですが、それなら普通に「同意です」と書いた方が誠実ですね。
問題③「書いていないことを批判する」――ストローマン論証/藁人形論証
> 「女性天皇がいた」ことと「女系天皇がいた」ことは、同じではありません。
これ自体は正しい説明です。
でも、この記事のどこを読んでも「女系天皇がいた」とは一度も書いていません。
書いてあるのは「女性天皇を何人も経て継承してきた」です。
これは歴史の教科書にも出てくる事実の紹介です。
存在しない主張を作り上げて、それを批判する。
これを【ストローマン論証/藁人形論証 Strawman fallacy】といいます。
本物の人を倒すのは大変だから、藁(わら)で作った人形を立てて、それを倒して「勝った」と言うイメージです。
ここでネタばらしをすると、これを区別できない批判は来るだろうな、と分かっていて「女性天皇がいた」とだけ書きました。
このコメントは、見事に引っかかった形になりますね。
問題④「ルールを作る前に、もう答えが決まっている」――先決問題要求
> 「長く信じられてきた説をひっくり返したい人の側にだけ、証明する責任がある」ということです。
> 「日本の天皇は古代から男系で続いてきた」というのは、長く信じられてきた説です。
一見、フェアなルールに聞こえます。
「昔からの説を変えたい人が証明する責任を持つ」というのは、議論の場でよく言われることです。
でも、ここに一つ大きな問題があります。
「日本の天皇は古代から男系で続いてきた」は、まさに今このアゴラの中で、正しいかどうかを議論して確かめようとしている話です。
それなのに「これは長く信じられてきた説だ」と最初から決めつけて、そこからルールを作っている。
つまり、「答えが正しい」という前提でルールを作り、そのルールで「答えは正しい」と証明しようとしているわけです。
これを【先決問題要求 begging the question】といい、誤謬では有名な【論点先取/論点窃取 petitio principii】の1つにあたります。
わかりやすい例でいうと、「この薬は効く。なぜなら効果があるからだ。なぜ効果があるとわかるか?この薬が効くからだ」と言っているようなものですが、グルグル回っていて何も証明できていませんね。
今回も同じ構造です。
問題⑤「存在しないと言うためには、全部調べた証拠が必要」――無知に訴える論証
> 「明治の創作だ」と言う人たちから、こうした整理表が出されたのを、私は一度も見たことがありません。
「見たことがない」は、「存在しない」と同じではありません。
図書館に行ったことがない人が「この本は存在しない」と言えないのと同じです。
実際には、義江明子(よしえあきこ)さんといった歴史の専門家が、古代の皇室の系図が男系・女系の両方を含んでいたことを、文献を使って研究していることが、池田さんの他記事でも紹介されています。
「自分が見たことがない」を「世の中に存在しない」と言い換えるのは、調べていないことを証拠にするという論理的誤謬です。
これを【無知に訴える論証 argumentum ad ignorantiam / appeal to ignorance】といいます。
もし「存在しない」と言いたいなら、本や論文を広く調べたうえで「これだけ探したが見つからなかった」と示す必要があります。
問題⑥「六割、八割という数字に根拠がない」――特別訴答
> 男系でつながっているのが六割くらいしかないなら、「昔は男系の伝統なんてなかったのでは」という主張に説得力が出てきます。
> 逆に、八割以上が男系で説明できるなら、「やはり実態として男系が重んじられてきた」と考えるのが自然です。
なぜ六割くらいと八割以上なのか、まったく説明がありません。
・なぜ七割ではないのか
・なぜ九割ではないのか
・そもそもこの数値の根拠はどこにあるのか
と無数の疑問が浮かびますが、これらについては証明する責任を持たれないのでしょうか。
これを【特別訴答 special pleading】と言います。
プレイヤーが試合中に、審判でもないのにルールを勝手に決めるようなものです。
さらに問題なのは、この閾値がどちらに転んでも、自分に有利な設計になっている点です。
六割くらいから八割以上という幅を設けることで、その間の値が出た場合の判定を曖昧にしています。
問題⑦「批判のつもりが逆効果になっている」――ブーメラン
> 気になるのは「欠史八代」って言葉すら出てきてないってことだ。
「欠史八代」とは、第2代から第9代の天皇のことで、日本書紀にほとんど記録が残っていない時代のことです。
「この言葉が出てこないのはおかしい」と批判したかったようですが…
欠史八代は、文字の記録がほとんど残っていないため、「男系がずっと続いてきた」ということを証明するのが特に難しい時代なのです。
つまり「男系の連続をここでは確かめられない」という話に自分でつなげてしまっています。
批判のつもりが、相手の話を補強する結果になっているのです。
これは先程挙げた結論レベルの【自己論駁的論証 Self-defeating argument】とは異なる、証拠選択レベルの自爆ですね。
当てはまる論理的用語はないのですが、【ブーメラン】が最も的確な表現でしょう。
実はこれ以外にも、このコメントにはブーメランがたくさんあります。
みなさんで探してみましょう。
さらに繰り返しになりますが、これも歴史の話なので、批判しているのはこの記事ではなく引用記事にあたり、【論点のすり替え Ignoratio elenchi】にも該当しますね。
議論やコメントを読むとき、「この人は本当に問いに答えているか」を確認する習慣を持つと、情報を見抜く力がぐっと上がります。
コメントの言葉が(見た目だけ)丁寧でも、長くても、中身があるかどうかは別の話なのです。