「考えないことは悪だ」と言われたら、普通の人ならどう感じるだろうか。「自分はカントやニーチェのような哲学者ではない」と反発するかもしれない。「思考しない悪」といわれれば、「思考しない人」及び「思考できない人」への差別と受け取る人が出てくるかもしれない。しかし、「思考しない悪」が社会や国全体に覆っていた時代があった。例えば、ナチス時代だ。そして共産主義世界、全体主義社会では今なおそうだ。

アイヒマン裁判を傍聴するハンナ・アーレント、Wikipediaから
ドイツ生まれのユダヤ人で、ナチス時代に米国に亡命した政治哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年10月14日 – 1975年12月4日)は1963年の著書「エルサレムのアイヒマン」の中で語っている。彼女は米国の雑誌「ザ・ニューヨーカー」の特派員としてエルサレムで開かれたユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の移送実務を指揮したアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した。その裁判談をまとめた「エルサレムのアイヒマン」の中に「悪魔の凡庸さ」という表現が記述されている。それに関連し、アーレントは「思考しない悪」を主張しているのだ。
裁判を傍聴したアーレントは、ユダヤ人移送の責任者アドルフ・アイヒマンが、残虐なモンスターではなく「命令に従うことしか考えていない極めて平凡な小市民」であったことに驚く。アイヒマンは裁判では「自分は上司の命令に従っただけだ」と繰り返し答えた。
アーレントは代表作『全体主義の起源』(1951年)において、ナチズムとソ連のボリシェヴィズム・スターリニズムなどの全体主義を分析している。多くの人々が思考停止の状況に陥り、その時のシステムや命令に対して、それが道徳的に正しいかどうかを自分で考えない。その結果、組織のルールや上司の指示に盲従することで、普通の人々が罪悪感を持たずに残虐な行為を行う。アーレントは「自分は命令に従っただけだ」と答えるアイヒマンから「思考停止」が残虐な行為を平気に行った最大の要因だったことを知る。
アーレントの「悪の陳腐さ」という表現はナチス政権で犠牲となった多くのユダヤ人から強い反発、批判が出た。家族を殺され、全てを失ったユダヤ人にとってアイヒマンは極悪非道の犯罪者だ。そのアイヒマンに対し、アーレントは「思考停止した凡庸な悪」と表現したのだ。「アーレントはナチスの蛮行を擁護している」という非難の声が生き延びたユダヤ人たちから聞こえた。
17世紀のフランスの哲学者ブレーズ・パスカルは「人間は考える葦」と述べ、人間が思考できる点で他のすべての存在より優れていると強調した。確かに、犬や猫が「なぜ生きているのか」、「なぜ争いが絶えないのか」、と哲学することはない。彼らは与えられた本能に基づき生きている。人間だけが思考する。その人間の特権ともいえる「思考」を恣意的に停止して生きる。アーレントはナチスや共産主義世界、全体主義社会に生きる人々の中にその思考停止を見出したのだ。
ロシアの著名な哲学者アレキサンダー・ジプコ氏は独週刊誌シュピーゲル(2023年7月8日号)とのインタビューの中で、「プーチン大統領は生来、自己愛が強い人間だ」と述べる一方、「ロシア国民は強い指導者を願い、その独裁的な指導の下で生きることを願っている。ロシア人は自身で人生を選択しなければならない自由を最も恐れている」と語っていた。そしてプーチン氏の圧政や非人道的な政策に対し、批判せずに、「思考停止」に陥る。
ロシアの著名な反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)は2024年2月16日、シベリア北極圏ヤマルの刑務所で死去したが、ナワリヌイ氏はアカデミー長編ドキュメンタリー賞(2023年3月)を受賞した映画「ナワリヌイ」の中で、ロシア国民に何をメッセージに残したいかという質問に対し、「悪なる者が勝利するのは、(それを阻止するために)他の者たちが何もしなかった時だ。だから、諦めてはならない。強く雄々しくあってほしい」と答えた。
アーレントはその著書『エルサレムのアイヒマン』(大久保和郎訳、みすず書房)で「彼(アイヒマン)は愚かではなかった。まったく思考していないこと、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」と述べ、「孤立した人間が自分で考えることをやめ、公の場で他者と対話をしなくなったとき、社会はいつでも恐怖の全体主義へ逆戻りする」と警告した。
私たちは無数の情報が瞬時に手に入る時代圏に生きている。それだけに、情報に主導権を奪われて「思考しない悪」に陥ることなく、今こそ哲学すべきだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年6月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。








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