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皆さんは、「対立」=「悪いこと」と思い込んでいないでしょうか。国際関係のみならず人間関係でも、そこでの対立には悪いものがある一方、善いものもあると考える人は、珍しいのではないでしょうか。
そんな常識をくつがえして、対立には「善いもの(健全なもの)」と「悪いもの(不健全なもの)」があると主張したのが、作家でジャーナリストのアマンダ・リプリー氏です。彼女はベストセラー『よい対立 悪い対立』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2024年)において、これらの違いを分かりやすく説いています。
対立を不健全にする善悪論
ここで私が重要だと思うのは、彼女のいう「悪い対立」すなわち「『善と悪』…といった相反する関係が明確になったときに起こる不健全な対立」(前掲書、13頁)が、抑止の失敗による戦争などに通じるということです。
なぜならば、そうなると人間は事実の確認より、勝ち負けに固執するようになり、邪悪とみなす敵のいうことにも耳を傾けなくなる。このような「悪い対立」は「善い対立」すなわち自分自身を守るために相互理解の道を探る状況に変えたほうが、望ましいでしょう。
もちろん、これだけで対立を根本的に解消することはできません。対立は続くかもしれませんが、それをできるだけ健全なものにする(究極には「戦争」を避ける)、ということです。
リプリー氏は、そのために必要なこととして、①直観に反することを冷静に行うこと、②対立の扇動者から離れること、などを助言しています。①については、「抑止の失敗を防ぐためには、敵を脅すのではなく安心させることがしばしば効く」という、一見、直観や常識に反する行為の意義を理解する重要なヒントを与えてくれるので、これから少し詳しく解説します。
②については、イラン戦争やウクライナ戦争、ルワンダ内戦などの終結や鎮静化にも大いに関係するだろうと、多くの読者は気づくことでしょう。
悪役としてのイランの核問題は軍事力で片づけられると煽った「戦争屋」、根っからの帝国主義者であるプーチン政権から発信される情報を聞くのは「ロシアの思う壺」と決めつける人、ある民族を「ゴキブリ」とレッテルを貼るルワンダのラジオ放送のディスクジョッキーなど…。
こうした扇動の前提は、邪悪な敵の本性はお見通しであり、何をしても変わらない、ということです。そうなると、もはや人は、この前提そのものが正しいかどうか、敵の言っていることのどれがプロパガンダやノイズでどれがシグナルなのか、を確かめようとさえしなくなります。その結果、悪い対立はどんどん激化することになるでしょう。
閑話休題
納得しやすい合理的抑止論
近年の国際関係論は、合理的選択論から距離を置きながら、心理学や行動経済学の研究成果を取り込んで、新しい学問的進展を見せています。こうしたアプローチは、脳科学や神経科学も取り入れた「行動国際関係論」へと発展しました。
そもそも国際関係論に認知心理学が導入されたのは、半世紀以上も前であり、政治指導者の合理的選択からの「逸脱」とみられる行動を説明することを主な目的としていました。
この画期的な1冊の重要書が、ロバート・ジャーヴィス『国際政治における認知と誤認知』(みすず書房、2025年〔原著1976年〕)です。
その後、抑止研究において、心理学を取り入れた国際関係論の1つの先駆けとなったのが、ロバート・ジャーヴィス氏、リチャード・ネド・ルボウ氏、ジャニス・グロス・スタイン氏によって編まれた『心理学と抑止』(ジョンズ・ホプキンス大学出版局、1985年)です。
この研究書の目的の1つは、安全保障政策の最も根本的な柱である「抑止(deterrence)」が、「期待効用の最大化」というエレガントな合理的選択論に基づくロジック通りに必ずしも作用していないことを政策決定者の認知などに注目して、明らかにすることです。ここで言う「抑止」とは、防御側が、自らが望まない行動を敵対国にとらせないよう、そうした行動のコストが期待される利得を上回ることを分からせて防ごうとする戦略です。
この定義から分かるように、このような「古典的な」抑止理論は、直観に沿うものであり、現状維持を志向するアクターを前提として構築されています。
ただし、上記のオーソドックスな抑止理論は、実は「目隠し」をして構築されていることに注意が必要です。すなわち、この理論には、現状維持を変えようとする「挑戦国(challenger)」という相手の視点が欠けているのです。
国際政治における危機や戦争を観察してみると、国家は成功の見込みが低いにもかかわらず、現状変更に挑戦することがあります。こうした行動は、「合理的行動」から逸脱しているように見えます。抑止する側が相手に手痛い報復をする力を行使できる場合、挑戦国は現状打破行動に伴うコストが利得を凌駕すると悟り、成功の見込みが小さい戦争などを慎むと思えるからです。その結果、国家はたとえ現状を打破したかったとしても、そうした行動は割に合わないので、侵略などは選択しないと期待できます。
しかし、敵が本当にそう考えているかは、抑止対象国の意図を知らなければ、あやふやな推測の域を出ません。敵国の意図を誤認することは、抑止を不安定化して危機を招く恐れが強い。これが戦争になるのを避けるには、たとえ敵であっても、指導者同士が対話をして、相手を理解することが初めの第一歩です。これはベトナム戦争で致命的な誤認をしたマクナマラ元国防長官が、戦争回避のための教訓として強調していることです(東大作『我々はなぜ戦争をしたのか』岩波書店、2000年、208-209頁)。
もちろん、不確実性の高い国際政治では、相手国が何をしようとしているのかを知るのは至難の業です。だからこそ、米国の政治学会では、敵を知るための研究が盛んです。対照的に、日本では「認知戦に負けるな」運動の名の下において、このような実証研究は、仮にやろうと思っている研究者がいても、実質的にはほとんどできないように、私には見えます。
勝てないと分かっていても起こる戦争
『心理学と抑止』の寄稿者たちは、こうした「合理的な」抑止理論に異議を唱えます。これらの研究者は、中東における「消耗戦争」と第四次中東戦争、フォークランド紛争の事例を観察すれば、合理的抑止理論の前提が概ね満たされていた場合でも、武力衝突は起こってしまったことが分かると主張します。
そうであれば、日本政府の「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」において、「抑止力とは…戦って勝てる能力を予め整えることによって、相手に攻撃を思い止まらせ、実際に戦争が起こるのを防ぐこと」と記録されているのを読むと、高市政権やその周辺の人たちは、既に廃れかけた信頼性の低い抑止論に頼っているだけでなく、軍事力の強化による抑止が、特定の条件下では「挑発」になる危険なメカニズムを知らないのではないかと心配になります。
第四次中東戦争
中東の事例では、イスラエルがエジプトに対して軍事的優位を持っており、後者は前者に「戦争」をしても勝てないと分かっていたにもかかわらず、武力行使に訴えました。
その理由はいくつかありますが、現状維持すなわちシナイ半島がイスラエルに占領された状態を外交的手段により覆すことが出来そうにない行き詰まり状況に対する「損失」感(本来エジプトのものであるはずの領土を奪われたという「損失」感)、対イスラエルの軍事バランスがエジプトに不利に傾きつつあることへの焦燥などに、エジプトの政治・軍事指導者は突き動かされたのです。要するに、エジプトは「現状維持」を耐え難いものだと考えていたのです。
そこで同国の指導者は、イスラエルに消耗を強いる軍事行動や奇襲攻撃なら、こうした行動から生じる「損失」は許容範囲に収まるとの希望的観測に基づき、軍事オプションのリスクを承知しながらも、イスラエルに武力を行使したのです。その結果、抑止は破綻してしまいました。
フォークランド紛争
フォークランド紛争も、抑止が失敗した事例として扱われています。
アルゼンチンにとって「マルビナス諸島(フォークランド諸島)」は、過去、イギリスに強奪された島であり、本来、自分のものだった領土を失ったと強く思っていました。アルゼンチンのフンタ(軍事評議会)は、マルビナス諸島をイギリスとの交渉によって取り戻すことを何度も試みていたのですが、これまで失敗に終わっており、また、国内では経済政策の失敗などで批判にさらされていました。こうしたことは、フンタの将軍たちの立場を悪化させていました。
そこで、かれらは領土を取り戻すとともに、国民の信頼を得る劇的な方策として、軍事的手段による同島の奪還に期待するようになりました。アルゼンチンの指導者は、ポートスタンレー島を占拠しても、イギリスのサッチャー政権がそれに対抗することなく折れて、同島の主権をアルゼンチンに返還するだろうとの希望的観測にもとづき、一か八かのギャンブルに打って出たということです。
ところが、サッチャー政権は、こうしたアルゼンチンの期待に反して、引き下がるどころか、フォークランド諸島を奪還する断固たる「決意」を固めて、遠路はるばるイギリス軍を南半球に派遣しました。フンタは、イギリスの「決意」を見誤ったということです。
直観に反する安心供与による抑止
抑止は、よく言われるように、現状打破を志向する挑戦国が防衛する側の弱みに付け込むことで破綻する場合もあります。ヒトラーのドイツがポーランド侵攻を決めた一つの理由は、大英帝国の負の遺産に苦しむイギリスには、同国を助けられる余力などほとんどないという判断でした。
他方、中東戦争やフォークランド紛争の事例が示唆することは、抑止は、挑戦国が自らの損失を取り戻すために、武力行使に伴うリスクとコストを承知の上で、軍事力による現状変更を企図することでも失敗する事実です。
もし挑戦国が現状に対して「悲観的な」認識を持っている場合、抑止の脅しは逆効果になりかねません。抑止で避けようとした事態、すなわち挑戦国が軍事力で現状を変更する行動を招くこともあるのです。
挑戦国がさまざまな「損失」を意識しており、自らの立場が脆弱になることを恐れている状況下において、「戦争」や「軍事衝突」を防止するためには、威嚇による抑止戦略に頼るのはかえって危険かもしれません。
衰退への恐怖と抑止の失敗
私は、バランス・オブ・パワーが中国有利、日本不利に大きく傾いている現状では、我が国が均衡を保つために国力としての抑止力を強化することに賛成である一方、想定しにくいことかもしれませんが、中国が「衰退への恐怖感」を高めているかどうかもよく観察すべきだと思います。
ハル・ブランズ氏とマイケル・ベックレー氏が強調するように、「国際政治において最も危険な流れは、長い上昇期の後の急降下」だからです。それでは、こうした変化はなぜ危ないのでしょうか。少し長くなりますが、重要なことなので、かれらの説明を以下に引用します。
「不満を感じている大国の『チャンスの窓』が閉じ始め、その指導者たちが国民に約束した栄光を実現できないことを恐れるようになると、たとえそれが『低い確率の勝利』への突進であっても、『屈辱的な転落』よりはましだと感じるかもしれない」。
ハル・ブランズ、マイケル・ベックリー『デンジャー・ゾーン』飛鳥新社、2023年、144頁より
このような戦略状況では、「戦って勝てる抑止力」は、敵国の現状打破行動を止める効果があまり見込めません。こうした視点は、はたして高市政権や先の有識者会議にあるのでしょうか。
敵対国の指導者が転落への不安に駆られている場合、抑止とは別の戦略である「安心供与/再保障(reassurance)」の方が、現状維持にうまく働くというのが、『心理学と抑止』の寄稿者たち(とりわけルボウ氏)の主張です。
安心供与とは、戦争や危機の引き金になる、政治指導者の恐怖や不安を和らげる戦略のことです。このような敵対国に便宜を図る政策は、「宥和」になりかねない危険なものに映ります。もちろん、『心理学と抑止』は、抑止がしばしば武力行使を思いとどまらせることを認めています。その一方で、上記の条件下では、抑止は挑戦国を軍事力の使用へと挑発しかねないので、安心供与戦略の方が望ましいと主張しているのです。
安心供与戦略が敵対国に対する適切な選択かどうかは、挑戦国の現状に対する認識によります。この戦略を採用する上での大きな実践的問題は、不確実性が高い国際政治の世界において、われわれが、どのようにして相手のパーセプションを精確にとらえるかでしょう。
そのために必要なことの1つは、敵対国が自らの脆弱性を認識して行動しているかどうかに注意を払うことです。先述の通り、敵を知ろうとするということであり、もし自らの弱さからイキっていることが分かれば、直観に反する安心供与策を試してみることです。
直観的には、弱い国家は強い国家に対して武力を行使しても、負ける確率が高いので、そのような損になることをしないと、われわれは予測しがちです。また、敵対国に安心供与を適用するのは、「ミュンヘンの宥和」のアナロジーが示すように、現状打破国に弱みを見せることになり、侵略の機会をわざわざ提供するだけだと思いがちです。
しかしながら、国家は自らの脆弱性ゆえに、衰退する恐怖から逃れようとしたり、損失を回避しようとしたりするために、リスクが高いことを承知で、軍事力の行使というギャンブルを企図している場合、こうした軍事的行動を防ぐには、安心供与が効果的であることを『心理学と抑止』は読者に訴えているのです。
抑止失敗を避けるための「善い対立」政策
『心理学と抑止』は、従来の合理的選択に依拠した抑止理論の欠陥を明らかにして、新しい抑止の見方を提供するとともに、安心供与戦略の効用を理論的に示した、画期的な研究成果です。そして、こうした心理学を援用した国際関係論は、この書物が刊行されたのちに、次々と新しい斬新的な研究を生み出し、現在の「行動国際関係論」につながりました。
たとえば、抑止や強制の威嚇は、それに信ぴょう性を持たせた結果、脳の構造とりわけ偏桃体を過剰に活性化させてしまうと、相手に屈服ではなく抵抗や報復を促しかねないことが分かってきました(もちろん、脅しが抑制を導く脳の作用の解明も必要です)。このメカニズムは、抑止の失敗を説明する有力な仮説でしょう。
しかし、敵との対立に善悪の構図を持ち込んでしまうと、われわれは、こうした「事実」さえ考えなくなるだけでなく、敵も自分と同じ脳を持った「人間」であると認められなくなり、われわれとは違う「奴ら」とみなしがちになります。
その結果、「悪い対立」を「善い対立」にするための交渉による相互理解や対立緩和への道の模索などは、論外と一蹴されます。邪悪な相手に付け入られるスキは見せられない、敵は打ちのめすだけだという強硬策しか残らなくなる。その最悪の結果が、「予言の自己成就」としての抑止失敗による戦争であり、善悪二分論の世界観に導かれた「民主主義十字軍」なのです。
日本は、不毛な「悪い対立」から抜け出して、「善い対立」に近づく戦略や政策を追求すべきです。









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