奇妙な養子案をめぐる迷走の原因は、それを推進する自民党右派が、何のためにそんなややこしいことまでして「男系男子」を守るのか理解していないことだ。
かつては「男系の皇統」という神話があったが、今日の歴史学では否定されている。それでも安倍元首相のように天皇を「歴史の縦糸」として懐かしむ人がいる。その一人がおそらく麻生副総理だろうが、これも明治憲法とともにつくられた神話なのだ。
普通は憲法は政権の樹立と同時に制定されるもので、アメリカ独立から11年もかかった合衆国憲法は例外的に長いが、大日本帝国憲法は明治維新から21年もかかった。それは政府の中で「国のかたち」についての長い論争があったからだ。
福沢諭吉や大隈重信は、イギリスの立憲君主制をモデルとする議院内閣制の憲法を提案したが、井上毅は「明治14年の政変」で大隈を政権から追放し、プロイセン型の絶対君主制にしようとした。
伊藤博文が1887年に起草した憲法の「夏島草案」では「行政権は帝国内閣に於て之を統一す」と責任内閣制を考えていたが、井上は「行政権は内閣に於て統一すとの正条を憲法に掲ぐるは、あに天皇の大権を冒触せざらんや」と強く批判した。
井上は天皇の大権を守るために内閣の規定を削除し、「内閣が連帯して行政に責任を負う」という規定も削除し、憲法から「内閣」も「総理大臣」も消してしまった。男系男子の皇室典範も、女性を政権から排除する思想だった。
そこには「グローバリズム」を拒否して「一君万民」で国家を守ろうとする儒教思想があった。彼は岩倉使節団に随行して、ドイツの国制と「歴史法学」と呼ばれる民族の独自性を強調する法学を学び、イギリスのような立憲君主制は日本の国柄にあわないと考えたのだ。
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