「高収入の仕事」が必ずしもえらいわけではない

黒坂岳央です。

「稼いでいる人が勝ち、稼ぎが悪い人は負け」昨今このような極論が繰り広げられている。

「資本主義なのだからお金を持っている人が勝ち」という意見は表面上はもっともらしく聞こえる。だが、「勝ち=えらい、社会の役に立っている」というわけではない。「お金が全て」という論法には致命的な欠陥がある。

「市場が評価するもの」と「社会が必要とするもの」は明確に違う。

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「代替困難性」にお金が払われる

経済学的に見れば、賃金や収益を決めるのは主に次の要素だ。

需要の大きさ>希少性(代替困難性)>資本所有>交渉力>制度的な参入障壁

この中に「社会への貢献度」は存在しない。

わかりやすい例がエッセンシャルワーカーだ。介護士、保育士、看護師。これらは社会が機能するために不可欠な職種だ。彼らがいなければ社会はまったくまわらない、極めて価値の高い重要な仕事である。だが彼らの給与は低い。

理由は単純で、参入障壁がそれほど高くなく、代替可能な人材が一定数確保できるからだ。社会的重要性とは無関係に、市場原理が冷淡に価格を決める。

逆に、「ふざけて暴れる動画」や「炎上系コンテンツ」には数千万円規模の広告収益が発生することがある。だが社会的な有益性はほぼゼロといっていい。もちろん、そうしたコンテンツを楽しむ人には役に立つが、社会全体で見れば彼らがいなくなってもほとんどの人は困らない。

だが「その人でなければ集められない視聴者」という希少性が市場から評価される。人気YouTuberはその人だから見るわけであり、「今日は代打で別の人が対応します」となればいきなり再生されなくなる。

つまり、市場は善悪を問わず、需要と希少性に反応するだけだ。そういう意味で、「稼げる人はみんなえらい」とはならない。

迷惑な仕事でも稼げてしまう

さらに問題なのは、高収入を生む仕事の中に「社会コストを他者に転嫁する」構造のものが少なくないことだ。端的にいえば、犯罪者、またはそれに準じる半分反社会的な者達ほど高収入である。

たとえば麻薬の売人ほど稼げるものはないし、そこまでいかずとも依存性を設計したギャンブルは、利用者の意思決定能力を意図的に損なうことで大きな収益を上げる。

その結果として生じる家庭崩壊、精神的健康の悪化、生活困窮は社会全体のコストとして医療費や福祉費に転嫁される。しかし、その企業の帳簿にこの外部コストは計上されない。

高利の消費者金融、依存を促すアルコールマーケティング、健康被害を軽視した食品産業も同様だ。これらはいずれも合法であり、需要があり、巨額の利益を生む。これらの経営者は「高収入」になるわけだが、社会貢献や人々を幸せにしたかを問われると答えはYESと言い難い。

むしろ、市場価値が高く、かつ社会コストを外部化することで利益を最大化している存在は、「えらい」の対極にいることも多い。稼ぎは小さくても「えらいし役に立つ仕事」はごまんとあるのだ。

「稼ぐ能力が高い」と「えらい、社会的価値が高い」はまったく別で、混ぜるべきではない。「稼げないのはダメ」といっている人間も小さい頃は保育士に育てられ、病気をすれば看護師に世話になり、晩年は介護士に助けられるはずである。他者の仕事へのリスペクト、感謝がない姿勢が炎上の原因なのだろう。

そもそも、「お金を稼いでいる人はえらい」を自己弁護に使う事自体におかしさを感じる。日々、お客さんから「ありがとう」「助かった」と言われている人なら「自分はお金を稼げてえらい」なんてわざわざ言う必要がない。つまりそう言わないと周囲に仕事の意義を保てない時点で、自分では「稼いでも役に立っていない」と後ろめたさを自覚している証拠である。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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