今日は日本に絞った教育問題を考えてみたいと思います。
維新が政府に提出する大学改革案が報じられています。要は少子化に伴い、今の18歳は109万人いるけれど2040年には74万人になり、更にその減少傾向は今のところ歯止めがかかりません。2025年現在で812校もある大学は経営的にも質的にも維持できないだろうということから大学の統廃合を目指しましょう、という提言であります。
その数、4割近い300校を減らすとなっています。

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今、日本全体で812大学ある募集定員の総数は62万5千人です。一方、大学進学率は60%弱(58.6%)になっています。この比率はこの数年でぐっと上昇したのですが、主因は短大が減ったことで女子が4大にシフトしていることがあります。さて、仮に109万人の6割が大学に行くとすれば65.4万人で募集総定員数と若干違いますが、ほぼ需給均衡点にあります。2040年に18歳が74万人になり、大学進学率が6割のままだと潜在的な日本人学生数は44.4万人となり、2025年比32%減となります。
維新の提言の4割減が正しいかはともかく、需要と供給という数の上ではそれぐらいの統廃合は確かに必要に見えます。ところでこれはあくまでも学生数をベースにした話なのですが、大学機関の意味合いは日本の理系文系を問わず基礎研究と能力の底上げでもあります。このままいくと学生減⇒大学減⇒教授減⇒論文の減少⇒世界における日本の存在感がより薄くなるというサイクルに入ってしまうのです。
つまり維新の提言とは学生数が減るんだから大学を減らすべきだ、と言う小学生の足し引きの計算にしかみえないのです。もちろん、私も現在の812大学が必要かと聞かれれば名ばかりの大学の淘汰も必要だと考えます。ただ、一方で日本が世界に誇る基礎研究をさらに推進し、今後もノーベル賞をコンスタントに頂けるような教育の充実という観点は考慮したいところです。また日本人の博学とは江戸時代の寺小屋の頃から続いているものであり、その知識欲や深掘りするチカラは大学機関による支えが今後も必要だと思います。
大学は会社のように儲けるために経営するものか、それとも官民が一体となってそれを盛り立てていくのか、という観点からもう少し深堀しても良いと思います。
国際卓越研究大学という仕組みが官を通じて提供されています。これは10兆円ファンドの運用益を認定された大学の研究費に充てるものです。第1号が東北大学、第2号が東京科学大学(旧東工大と旧東京医科歯科)で、たぶん第3号は京都大学になるはずです。この認定は単に大学を作れば一定の政府補助が出る仕組みではなく、大学としてどれだけの成果を上げたかを厳密に審査する点で質の向上として極めて有効な手段だと思います。
我が出身大学は駅伝とか野球が強く、人気大学として理事長はホクホクしているのですが、以前、ある先輩が理事長や学校運営幹部が並ぶ会議において「わが校は大学である以上、運動で名を馳せるより学問を煎じ詰めるのが先決であり、そちらの方で一番を取る努力を怠ってはならない」という趣旨の名発言をされました。(その方は既にお亡くなりになりましたが、NHKで40分の特集番組が組まれたほどの方です。)この時は会場から割れんばかりの拍手となりました。
大学の教授が研究費不足に泣かされているのも見えない視点です。私とタッグマッチを組む京大の教授は科研費申請で失敗しないと自負しています。つまり毎年、何らかのテーマに基づく研究活動費を科研費として頂くわけです。複数年度に渡る研究ならば数百万円単位です。それを明治大学の教授に話したらそんなすごい方がいるのか、と驚いていましたが、大学教授が研究費無くしてどうやって切磋琢磨するのか、という問題点を如実に表しているとも言えます。
もちろん程度の低い大学の先生もいらっしゃいます。常に上がいれば下がいるのは当たり前でありますが、全体のパイを縮小してしまうと教授の中でも特Aクラスの人も相対的に減るのです。アメリカや中国の研究論文数が異様に多いのは絶対数が多いことはあるでしょう。また優秀な先生方はより高度な研究を求め、海外に出ていく傾向もあり、国内教授陣の層が薄くなるリスクもあります。
とすれば私の提言は一方的に減らすのではなく、どこまで現状を維持しながら質を向上させられるか、もっと前向きにとらえるアプローチもありえると思います。お前の答えはわかっているよ、留学生を増やせというのだろう、と。確かにそうです。大事なのは日本に学びに来たいと思わせる意識向上、教育プログラム、そして成果なのです。
私がカナダで教育関係者とやり取りしてもカナダ人からすると「日本に留学????」なんです。理由はあまり言いたくはないけれど白人至上主義のマインドは一定程度あるのでアジアに学ぶという意識は高まりにくいのです。それと日本の場合、英語の授業が極めて少ないのです。早稲田は最も力を入れている大学の一つで、最近は他の大学でも学部ベースでポツポツ増えてきています。また私が少しだけ関与している京都先端科学大学も理工系は全部英語での授業です。
なぜ留学生が必要か、と言えば学問は様々な見地からの討議、検証の上に成り立つのです。日本人目線で正だとしても他の国の人から見れば偽となることもあるでしょう。あるいは日本的発想が世界にプレゼンできないとなれば日本の教育は井の中の蛙なのです。これを避けるには西洋の大学がどこでもやっているように大学の国際化がもっとも重要であり、これぞ日本の国際化の基礎中の基礎をなす部分になると考えています。
私が近年、日本から来た方と入社の面接をしていて「英語は?」ときけば「学校を卒業してから全くしゃべっていません。だけど日本で英語ができないと困る時代になったことを実感してカナダに来ました」という方が後を絶ちません。これは日本の若者の意識が変わっていることを如実に表しているとも言えます。
教育の行方の議論は足し引きではありません。ニーズと底上げをもっときちんと議論すべきでしょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年6月21日の記事より転載させていただきました。







コメント
記事の指摘は鋭い。
筆者の「留学生を増やそう」という意見にも、注意したいことがあります。
学問はいろいろな国の人と議論してこそ深まる、という考えはまったく正しいです。
でも、留学生を「学生が足りないから穴うめに使う」のはちがいます。実際にカナダでは、人数を埋めるための手段になりかけました。
少子化で大学を4割減らそうという維新の案について、「学生が減るから大学も減らせばいい」という考え方を「小学生の足し算引き算みたいだ」と批判している筆者の意見に、私は強く賛成します。
大学は、学生を入れておくただの「箱」ではありません。
新しいことを発見する研究をしたり、地域のお医者さんを育てたり、会社で働く人を育てたりする、社会を支える大事な土台です。
ただ、私はこの記事に二つ、付け加えたいことがあります。
一つ目。「大学を減らすと教授も論文も減る」という話は、少し単純すぎる気がします。
大学の数と研究する力は、そのまま比例するわけではありません。
小さな大学をいくつかまとめて、先生やお金や設備を一か所に集めたほうが、かえって良い研究ができることもあります。
守るべきなのは「812校」という数字そのものではなく、「質の高い教育と研究」のはずです。
二つ目。これが一番言いたいことなのですが、この議論は、大事な視点が抜けています。
今の日本では、19〜22歳の若者の進路が「4年制大学か、専門学校か」という、ほぼ一本道になっています。
大学に約210万人、専門学校に40万人ほど。
昔は女子が多かった短大は、今では約7.8万人まで減りました。
日本の本当の弱点は、大学が多すぎることよりも、社会人で学び直す人、留学生、大学院生が少なく、大学を「日本人の若者」だけで支えていることなんです。
だから少子化のダメージをまともに受けてしまいます。
外国を見ると、進路はもっといろいろあります。
アメリカには2年制の「コミュニティカレッジ」があって、そこから4年制大学に移ったり、資格を取ったり、大人になってから学び直したりできます。
カナダは大学とカレッジの二本立てで、留学生も大きな力です。
イギリスにも、大人向けの学び直しや、働きながら技術を学ぶ「徒弟制度」があります。
特にすごいのがドイツです。
大学に行かない若者も、会社で働きながら職業学校で学ぶ「デュアルシステム」という強い進路があります。
フランスも、ふつうの大学のほかに技術系の短い課程など、たくさんのルートがあって、ふつうの大学に通う人は半分ほどしかいません。
ここから言えることは、はっきりしています。
もし日本で「大学を300校減らそう」と言うなら、その前に、そこで学ぶはずだった若者を受け入れる「強い職業教育」を用意しなければいけない、ということです。
それをやらずに大学だけを減らせば、それは改革ではなく、ただ若者の選べる道をうばうだけです。
結論です。問うべきなのは「大学を何校残すか」ではありません。
少子化のあとの日本に、どんな学びの道を、何本用意するか。
質の低い大学はつぶしつつ、職業教育や大人の学び直しの場に変えていく。
編入を簡単にして、大学院や若手研究者にもっとお金を出す。
大学だけでなく、職業教育も留学生も社会人も全部ふくめて、高等教育全体を組み直す。
減らすか増やすかの二択を超えて、いろいろな道を用意する。