明月院ブルーは戦後生まれだった:紫陽花に見る「伝統」の正体

鎌倉・明月院の「明月院ブルー」は美しい。だが、その青を「日本の伝統美」と受け取る前に、紫陽花の歴史を少し掘ると、単純な古来の物語では済まなくなる。

日本の野生種、国内で生まれた手まり咲き、欧州への渡航、西洋での品種改良、そして日本への逆輸入。さらに、明月院の「あじさい寺」としての景観は戦後に形づくられた比較的新しい風景でもある。

では、作られたものは伝統ではないのか。むしろ伝統とは、人々が何度も選び直し、意味を与え続けたものではないのか。

明月院ブルーの群生
筆者撮影

明月院ブルーの前で考えたこと

鎌倉の明月院で見た紫陽花は、たしかに美しかった。

雨上がりの葉は濡れて光り、青い花が寺の緑の中に浮かび上がる。観光客が足を止め、スマートフォンを向けるのも無理はない。いわゆる「明月院ブルー」である。

境内には、紫陽花について説明する案内板があった。そこには、当寺のあじさいは95%が日本古来の姫あじさいであり、淡い青から日ごとに青さを増し、最後は空や海の青のように染まる、という趣旨の言葉が書かれていた。さらに、その青は平安人が心を寄せた色であり、花菖蒲や露草とともに心を鎮める色である、とも説明されていた。

実に美しい説明である。古都鎌倉、寺、雨、青い紫陽花。そこに「日本古来」や「平安人」という言葉が重なれば、誰もが日本の伝統美を感じるだろう。

だが、そこでふと考えた。この風景は、本当に古来から続く伝統なのだろうか。

紫陽花は日本の花だが、一直線の伝統ではない

紫陽花が日本と深い関係を持つ植物であることは間違いない。神戸市立森林植物園の解説によれば、日本にはおよそ13種類のアジサイの原種、野生種があり、ヤマアジサイ、ガクアジサイ、エゾアジサイなどが園芸的にも重要な原種とされる。現在の色とりどりのアジサイは、日本のヤマアジサイやガクアジサイからもたらされたものだという。

ただし、「日本の花である」ということと、「古代から現在の姿で愛されてきた」ということは違う。ここを混同すると、紫陽花の面白さを見失う。

ガクアジサイは、中心に小さな粒のような真花が集まり、その周囲を装飾花が額縁のように囲む。現地で見た額紫陽花をよく見ると、私たちが「花」と思っている外側の大きな部分と、中心に密集する本来の花とが、まるで別の役割を果たしていることがわかる。

一方で、現代人が紫陽花と聞いて思い浮かべるのは、多くの場合、丸く膨らんだ手まり型の花である。神戸市立森林植物園は、ガクアジサイが手まり咲きになったものをホンアジサイと呼ぶ、と整理している。シーボルトが江戸時代に欧州へ持ち帰り、Hydrangea otaksa の名で紹介したものもホンアジサイとされる。

古典の紫陽花は、現代の紫陽花とは違う

古典文学における紫陽花の存在感も、現代人の感覚とは少し違う。nippon.comの記事では、万葉集には紫陽花を詠んだ歌が2首ある一方、江戸時代の大きな園芸ブームでもアジサイに関する記述はほとんどないと紹介されている。

梅や桜のように、古代から日本人の美意識の中心にいた花ではなかった。むしろ江戸時代には、色が変わることが「心変わり」に通じる、装飾花の4枚が「死」を連想させる、などとして好まれにくかったという説明もある。

つまり、いま私たちが抱く「梅雨、古寺、青い紫陽花、日本的情緒」という連想は、古代から一直線に続いてきたものではない。古典の紫陽花と、現代の明月院ブルーの紫陽花の間には、かなり大きな断絶がある。

ヒメアジサイという往復史

ここで重要になるのが、明月院ブルーの主役であるヒメアジサイである。

ヒメアジサイは、単に「小さなアジサイ」という意味ではない。GKZ植物事典では、ヒメアジサイはホンアジサイとエゾアジサイとの交雑種と推測され、自生種は確認されていないと説明されている。神戸市立森林植物園も、信州の民家で古くから栽培されていた美しい手まり咲きのアジサイを、牧野富太郎が発見し、「ヒメアジサイ」として発表した、としている。野生の自生地は確認されていない。

この点は大事である。ヒメアジサイは「野生種そのもの」ではない。正確には、日本国内で古くから栽培されていた在来系の園芸品種と見るべきだ。見た目はホンアジサイに似ているが、葉に光沢が少ない、花軸が細く枝分かれする、葉の鋸歯が細かい、全体に小ぶりで優美といった違いがある。

しかも、歴史はさらにひねっている。GKZ植物事典は、ヒメアジサイが1879年にイギリス人植物学者チャールズ・マリーズによってイギリスに渡ったと説明している。神戸市立森林植物園では1880年に欧州へ導入されたとされる。年次には表記の揺れがあるため、記事では「1879年頃」または「19世紀後半」とするのが安全だろう。

欧州に渡ったヒメアジサイは、土壌環境の違いによって赤色に発色し、Rosea、つまり「ロゼア」と呼ばれた。そして西洋アジサイ、ハイドランジアの育種親の一つとなった。

したがって、紫陽花史は単純な「日本原産のガクアジサイが西洋で改良され、逆輸入された」という話ではない。ガクアジサイやホンアジサイだけでなく、ヒメアジサイのような国内の古い栽培品種も欧州へ渡り、欧州園芸の中で新しい品種群を生む素材になった。そのうえで、西洋アジサイが大正から昭和初期にかけて日本へ戻ってきた。

紫陽花は、日本の花であり、欧州で磨かれた花であり、また日本へ帰ってきた花でもある。まさに往復する文化である。

明月院ブルーは「戦後の伝統」である

では、明月院ブルーはどう位置づければよいのか。

鎌倉市観光協会は、明月院について、境内を埋める数千本のアジサイが「明月院ブルー」とも言われ、シーズンには多くの人で賑わうと紹介している。神奈川県観光協会も、参道沿いに群生する約2500株のアジサイを「明月院ブルー」と説明している。

しかし、明月院そのものは由緒ある寺であっても、「あじさい寺」としての景観は古代からそのまま続いてきたものではない。観光系資料では、戦後に挿し木で増やされたこと、物資不足の時代に杭や境界の代わりとして植えられたという説、人々の心を慰めるためだったという説明などが見られる。

由来には複数の語りがあり、一次資料としては慎重に扱うべきだが、少なくとも「あじさい寺」としての名所化が戦後以降の比較的新しい現象であることは押さえてよい。

ここに、伝統というものの面白さがある。

戦後の実用的な植栽が、寺の景観になった。人々が訪れ、写真を撮った。美しい青に名前がついた。案内板には「日本古来」「平安人」「悠久の空」「母なる海」という言葉が加わった。そうして、比較的新しい風景が、いつの間にか古都鎌倉の伝統美として受け取られるようになった。

作られた伝統は偽物なのか

では、それは偽物なのか。

私はそうは思わない。

むしろ、伝統とは最初からそのようなものではないか。伝統というと、私たちはつい、古代から連綿と続いてきた純粋な何かを想像する。だが、実際の伝統はもっと雑多で、偶然に満ちている。外来の影響もある。戦後の都合もある。観光もある。人手不足もある。偶然その土地に合った、というだけの話もある。

それでも、人々がそれを美しいと感じ、毎年訪れ、語り、写真に残し、次の世代に伝えていくなら、それはやがて伝統になる。

作られた伝統だから偽物なのではない。作られたことを忘れるほど人々に愛され、繰り返し受け継がれてきたものが、伝統と呼ばれるのだろう。

これは紫陽花に限らない。祭りもそうである。花火大会もそうである。古くから続くように見える地域行事も、実際には行政、観光、スポンサー、警備、交通、メディアによって何度も形を変えてきた。それでも人々はそこに「昔からの風景」を見る。

逆に言えば、伝統という言葉は時に危うい。本当は新しい慣行にすぎないものが、「昔からそうだった」「これが日本のやり方だ」と言われることで、疑問を封じる道具にもなるからだ。いつ、誰が、何のために始めたのか。その問いを忘れた時、伝統は美しい記憶ではなく、思考停止の言葉になる。

明月院ブルーは美しかった。だからこそ、考えさせられる。

私たちは何をもって「日本の伝統」と呼んでいるのか。古いから伝統なのか。寺にあるから伝統なのか。和風の言葉で説明されるから伝統なのか。

おそらく違う。

伝統とは、過去に存在したものそのものではない。現在の人間がそこに過去とのつながりを見出し、意味を与え、守りたいと思った時に生まれるものなのだ。

明月院の紫陽花は、古代からそのまま保存されてきた青ではない。

しかし、あの青はたしかに美しい。そしてその美しさを前に、人々が足を止め、また来年も見たいと思うなら、その時点で明月院ブルーは、すでに立派な伝統なのだろう。

【出典リスト】

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