石見の小京都・津和野。『案山子』が生まれた城跡から町を見下ろす旅

島根県を旅しています。最後に訪ねたのは、島根県最西端の町、津和野。

津和野に来たのは実に34年ぶり。この間、一度訪問することを計画していたのですが、台風が直撃したため断念。学生時代以来の訪問となりました。この間に駅はリニューアルされこぎれいな駅になりました。

津和野は国鉄時代、全国12しかない国鉄指定の「鉄道のまち」に指定されました。日本海側と太平洋側を結ぶ山口線の結節点として、重要な役割を果たしたゆえの指定でした。駅前には1973年まで山口線で活躍したSL、D51 194機関車が展示され、かつての雄姿を50年前そのままの姿で見ることができます。

転車台の上で回るやまぐち号。

津和野駅は今なお現役でSLが走る数少ない路線のひとつです。観光列車SLやまぐち号は全国でSLが定期運航を終了した1975年からわずか4年足らずのちの1979年から運転を始めた全国のSL観光列車の先駆けともなった列車で、新山口駅と津和野駅の間を運行しています。

わたしが津和野に来たときは津和野駅に到着したやまぐち号が転車台を周って車庫に入るパフォーマンスを見せているところでした。ちょっと遠くの展望台からその様子を眺めます。

駅の近くには腕木式信号機も残されていました。こういうところに鉄道のまちの矜持を感じ取れます。津和野駅が開業100年を迎えた2022年に別の場所に保存されていたものをこちらに移転しました。

鉄ヲタなので、なかなか津和野駅から離れることができなかったんですが、帰りの列車の時間もあるので町を散策することにします。津和野は山陰の小京都と呼ばれ、古くからの風情ある町並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。主に殿町周辺に古い街並みが広がります。

蔵も備えた大きな民家をこの地域伝統の赤瓦、石州瓦が飾ります。江津市周辺の粘土を1200℃の高温で焼いて生成した赤瓦は寒さに強く、雪の多いこの地域の家屋に適した瓦として広く普及していきました。

堀を気持ちよさそうに泳ぐコイ。

多くの伝統的な家屋が集まる殿町通りには堀が設けられており、コイが泳ぎます。私が訪ねた6月の上旬は菖蒲の花が美しく咲いていました。

殿町通りの主な建築物を紹介しましょう。こちらは1931年に建てられた津和野カトリック教会。津和野は明治政府ができたばかりの時期に、長崎で弾圧した隠れキリシタンを弾圧した「浦上四番崩れ」によって長崎を逃れたキリシタンが殉教したところです。彼らは津和野で激しい拷問に遭い命を落としたといいます。

これが西洋に知れ渡り激しく非難された明治政府は1873年、禁教令を解いてキリスト教の信教の自由を認めました。今、様々な宗教の信仰が許された裏には過去に犠牲になった殉教者がいることを忘れてはなりません。

旧津和野藩の家老を務めた多胡家の表門。左手に物見、右手に門番の詰め所を擁します。屋根の大きさが当時の地方武士の威厳を物語っているようです。

こちらの門、石州瓦の屋根の上にかたつむりの目のようなものが伸びているんですが、なんなんでしょうかね?役割がよくわかりませんでした。

殿町通りは津和野川に架かる橋の手前で終わりますが、ここに神社の鳥居があります。お参りでもしてこようかと思いましたが、どうも拝殿などが見当たりません。

と、思ったらこんな山の上にありました。この神社は太皷谷(たいこだに)稲成神社。本殿に油揚げをお供えして参拝する風習のある神社です。日本五大稲荷に数えられる立派な神社らしいのですが、ここまで登るのはちょっと…断念しました。

「しまね観光ナビ」より。

橋のたもとには津和野の伝統芸能、鷺舞(さぎまい)の像が立っていました。鷺舞は神事の際、京都などで踊られていましたが、現在残るのは津和野の鷺舞のみ。400年伝統を守った踊りは、近年ユネスコ無形文化遺産にも指定されました。毎年7月下旬の祇園祭りの際に披露される優雅な舞です。

人質を収容していたとされる人質郭のあった石垣。

このあと、少し歩いて津和野城跡までやってきました。簡単に書きましたが、ここまでの道のりは結構あって、町はずれの、ちょっと坂を登ったところにあるリフト乗り場まで行って山の上までリフトでのぼり、そこから15分ほど山道を歩いていきます。結構登りもあってしんどいです。こんな山の上に津和野城跡はあります。こんな山の上に石や建築資材を運び城を築いた先人の努力に脱帽させられます。

13世紀終わりより築城が開始され、1617年に亀井氏が入城して以来明治維新までここで統治を行いました。山麓の殿町通りに町を作り上げていったのもこの頃です。老中などの住まいが山麓にあるんですが、ここまで通うのにどのくらいかかるんでしょうか? 毎日登山の通勤です。

最も見晴らしのいい「三十間台」から城下の街並みを見下ろします。石州瓦の赤い屋根の目立つ津和野の街並み全体を見渡すことができる絶景スポットです。リフトを使ったとはいえ、山中にある城址をわざわざ訪ねたのは、この景色が見たかったから。さだまさしさんの代表曲のひとつ、「案山子」は津和野のこの景色を見て書かれたといわれています。

城跡から見下ろせば 蒼く細い河
橋のたもとに造り酒屋の レンガ煙突
この町を綿菓子に染め抜いた雪が
消えればお前がここを出てから 初めての春

さだまさし「案山子」より。

蒼く細い河は手前に流れる津和野川。造り酒屋のレンガ煙突は…どこかな。

下調べも何もせずに登ってしまったのですが、どうももう少し右手のちょっと郊外に造り酒屋があるようで、そこなのではないかという説が有力です。

山口線の線路も見える。
2番の歌詞に「煙はいて列車が走る」とあり、この線路を走るSLの姿が歌われています。

「案山子」が歌った季節は、雪の積もる冬。この時期にはリフトは営業を休止しており、津和野城址に登るには自力で登山するしかありません。雪道を登山するって結構苦行ですが、さだまさしさんは冬にここを登ったのか…? だとしたら頭の下がる思いです。

リフトからも津和野の街並みの絶景が望める。

そろそろ帰りの汽車の時間が近づいてきたのでリフトで下山します。

津和野駅ではさっき車庫に入るパフォーマンスを見せていたSLやまぐち号が入線していました。もちろん帰りはこれに乗って新山口駅まで向かいます。

SLによる定期列車が引退したあとも早々に観光列車として復活し、以降、一時的な休み期間はあったものの今もSLが走り続ける山口線。沿線では多くの方が手を振ってくださり、半世紀の歴史の中で地域の方々に愛されていることがひしひしと伝わりました。

城下町として拓かれ、国鉄から鉄道のまちとして認定され発展を遂げてきた津和野。今も江戸風情を残す美しい街並みを楽しみに、明治より走り続けるSLで訪ねていただき、時代を超えた旅を楽しんでもらいたいと思いました。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年6月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。

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