食料品の消費税の引き下げの強行、成長分野への財政支援を含めた370兆円投資計画など、極度の財政・金融状態の悪化を招いたアベノミクスの失敗を高市政権は再現する罠にはまっているようです。
行き過ぎた円安に対しては、片山財務相らの「断固たる措置を取る」の掛け声は虚しく、1ドル=160円台を軽々と突破し、輸入インフレが加速する。これに震災、集中豪雨などの自然災害が重なれば、日本売り(通貨安)は不可避でしょう。「震災時にはまず財政出動」なのに、平時から財政を悪化させているとしか言いようがない。

高市首相と片山財務相 首相官邸HPより
世界銀行は世界経済の新たな見通しを発表し、2026年度の成長率は2.5%(2025年度は2.9%)に減速するという。イラン戦争に伴うエネルギーの供給不足、価格高騰や国際紛争の長期化が成長の阻害要因なのです。一方、高市政権は日本の成長率は上がると楽観的に構えています。
日本は過去15年間の年平均実質成長率は0.7%に過ぎないのに、官民で370兆円の戦略的投資をすれば、潜在成長率は2030年代には1.8%に高まると政府は試算しています。信じる人は高市派だけのようです。高めの成長率を公表して、批判をかわす。そんなことは分かり切っているのに、政府に引っ張ってもらわないと成長できない民間企業もだらしがない。
食料品の消費税の実質ゼロへの引き下げにしても、「税率を下げても、インフレで本体の食品が値上がりしていくので効果が限られる」、「2年後に戻すと約束しても、選挙が重なれば8%に戻せまい。世界的な高インフレの長期化が必至、下げた消費税を上げられるはずはない。増税と受け取られる」との酷評を聞く。
高市政権は「国債発行残高のGDP比の引き下げを財政健全化目標とする」そうです。アベノミクスの遺産である膨大な国債発行残高のツケで、長期金利の上昇に伴い、国債利払い費は2035年度には、35兆円程度に増える。現在は10兆円程度として、消費税収に匹敵する25兆円の増加です。つまり消費税収がすべて国債の利払い費に消える。社会保障の財源をどうするのでしょうか。
高市政権の応援団と思われるエコノミスト、村瀬拓人・日本総研研究員が「独立財政機関を設立し、中立的な立場から政府の財政運営を評価し、提言したらよい」(読売新聞23日付朝刊)と主張しています。
今頃になってそんなことを言うのは遅い。さらに「すぐに独立機関を設置するのは難しいので、政府の経済財政諮問会議の機能を拡充させたらどうだろう」と語る。政府からの中立が独立機関の必須の条件なのに、「政府の諮問会議の機能を拡充したらよい」とは、首を傾げるしかない。
高市首相も「これまでの超緊縮財政政策を転換し、これからは積極財政でいく」と断言した時に、それとのセットで「独立財政機関を設立し、財政が放漫にならないようチェックしていく。安心してほしい」と約束すべきだったのです。
さらに食料品の消費税ゼロを公約した際にも、「独立財政機関にチェックしてもらう」と明言したらまだよかった。独立機関に「これまでも超緊縮財政ではなかった。アベノミクスは日銀による財政ファイナンスで財政が膨張し、国債残高が急増した」と指摘してほしかったのです。
予算編成では「強く豊かな日本への投資枠」を特別枠として創設すると高市首相は構想しています。「特別枠」という名をつけ、通常の予算案と別扱いにする考えです。こうして国家予算はどんどん膨張していく。このままではアベノミクス並みの経済的な惨事になりかねない。
当面の財源としては、物価上昇に伴う税収増(インフレ税)を振り向けるのでしょう。そんなことをいつまでも続けられるわけがない。物価高で成長が停滞するスタグフレーションを予告する声も聞かれる。コストプッシュ型(原材料費の上昇による)インフレは、スタグフレーションへの道です。
編集部より:この記事は中村仁氏のnote(2026年6月26日の記事)を転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は中村仁氏のnoteをご覧ください。







コメント
記事を拝読しました。日本経済が決して楽観できる状況ではない、という現状認識については、私も完全に同意します。利払い費の膨張や社会保障財源の問題は、まさに正面から向き合うべき課題です。
しかし、その上で、一つだけどうしても申し上げたいことがあります。それは、中村氏の「批判の仕方」についてです。
そもそも、日本の借金がここまで膨れ上がった最大の原因は、長年にわたって社会保障にメスを入れてこなかったことにあります。これは特定の政権だけの責任ではありません。自民党政権はもちろん、かつての民主党政権を含め、歴代のすべての首相が先送りしてきた結果です。にもかかわらず、何でもかんでも「アベノミクスの負の遺産」「アベノミクスの再現」と、すべてをアベノミクスのせいにして悪者に仕立て上げる。この姿勢は、はたから見ていて正直「なんだかなぁ」と感じてしまいます。
その上で本題ですが、中村氏が若田部昌澄氏、会田卓司氏、城内実氏といった方々の経済政策をここまで辛辣に批判されるのであれば、せめて最低限、こう言うべきではないでしょうか。
「今の日本政府はバラマキが◯兆円、先行投資が◯兆円だからダメだ。逆に、バラマキ◯兆円、先行投資◯兆円までなら日本はセーフだ」と。
予算というのは、高市内閣が音頭を取り、与野党や各省庁の綱引きの末に、最終的に「具体的な金額」として決まるものです。つまり経済政策の評価とは、突き詰めれば「いくらが適正か」という数字の議論に他なりません。それをけなすのであれば、批判する側も「どの金額ならアウトで、どの金額ならセーフなのか」を示さなければ、議論はかみ合いません。
ところが今回の記事には、「膨張する」「惨事になりかねない」「いつまでも続けられるわけがない」という定性的な警告は数多く並ぶものの、「ではいくらならセーフなのか」という肝心の数字が見当たりません。370兆円が過大だと言うなら、200兆円なら良いのか、100兆円なら良いのか。これでは読者は「ダメなのは分かったが、では結局いくらならいいのか」が分からないままです。
しかも、同じ財政支出といっても中身はまったく違います。現金の一律給付や選挙目当ての減税、効果の薄い補助金はバラマキに近い。一方で、半導体、AI、量子、蓄電池、防衛、エネルギー安全保障、送電網やデータセンターといったインフラ、人材育成や研究開発への支出は、将来の供給力や税収を生む「先行投資」になり得ます。この二つを「積極財政」という一言でまとめて否定するのは、分析としてあまりに粗いと思います。
たとえるなら、サッカーの森保一監督に向かって、生まれて一度もサッカーボールを触ったことのない人が、「あの采配はダメだ」「あの起用は失敗だ」と外野から言い続けるようなものです。確かに「ダメだ、ダメだ」と言うのは一番たやすい。結果が悪ければ後からいくらでも批判できますし、批判する側は責任を問われません。しかし本当に建設的な評論とは、「では自分なら、誰を、どの時間帯で、どの布陣で戦わせるのか」を示すことから始まるはずです。経済政策で言えば、それが「適正な財政規模の数字」なのです。
中村氏が記事の後半で言及されている「独立財政機関の設立」という提案には、私も大いに賛成です。ただ、その独立機関すら、最終的には「国債発行残高のGDP比は何%以内」「基礎的財政収支の黒字化は何年度まで」といった明確な数値目標があって初めて機能します。やはり最後は数字なのです。であればなおさら、中村氏ご自身が考える「適正な財政規模」も、ぜひ数字で示していただきたいのです。
日本経済が楽観できない厳しい岐路に立たされている、という危機感は共有しています。だからこそ、必要なのは「積極財政か緊縮財政か」という単純な二分法でも、「とにかくダメだ」という感情的なダメ出しでもありません。バラマキは厳しく抑えつつ、将来の生産性を高める投資は選別して認める。その上で「いくらまでならセーフか」という具体的な物差しを示す。若田部昌澄氏、会田卓司氏、城内実氏といった方々の経済政策をここまで辛辣に批判するなら、次の記事で、その具体的な数字を拝見できることを楽しみにしています。