黒坂岳央です。
「男は女性に奢れ」というテーマは度々炎上する。「男女平等社会でもう古い考えだ」「女性が着飾るコストをかけるように、男性も奢るコストをかけている」。こうした応酬が繰り返されるが、個人的にはこの議論自体が的外れだと思っている。
世の中、「ぜひ奢りたい」と思う男性もいるし、「割り勘がいい」と思う女性もいる(もちろん全員ではないが)。なぜ炎上は起きるのか?

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炎上の正体は「主語が大きいこと」
個人が「私は絶対に奢られたい。私に奢らない男性はダメだ」と発言する分には誰も文句を言わない。恋愛観・経済観は個人の自由であり、批判の対象にはなり得ない。
だが「全男性は全女性に必ず奢れ」と主語を集団化した瞬間、話は変わる。その集団に属する全員が、本人の同意なく代表されてしまう。奢りたくない男性も、奢られることに引け目を感じる女性も、この全称命題に勝手に巻き込まれるから反発する。
似た構造に「マナー講師の炎上」がある。元々存在しなかったマナー概念を作り出し、「全社会人はこれに従わないと時代遅れ」と参加を強制する暴力的な姿勢が叩かれる。
両者に共通しているのは、個人の選好を集団の規範にすり替えた瞬間に発生する反発の量だ。これが炎上の一次的な原因であり、本稿ではこれを軸に論を進める。
ただし補足しておくべきことがある。この「奢り奢り」論争には、主語の大きさとは別に、男女間の賃金格差という経済的非対称性を根拠にした反論が乗ってくる。「平均年収で男性が上回っている以上、奢りは格差是正の一形態だ」という主張だ。
これは主語の詐称とは独立した論点であり、本稿で扱う「感謝と期待値の構造」の議論とは別次元の話として切り分けておく。
感謝があれば喜んで奢る人は多い
男女関係なく、「お金が減るから絶対に奢りたくない」という人間は世の中のマジョリティではないと思っている。文脈によっては「積極的にもてなしたい」と思う場合もある。そこにはほぼ確実に「相手に喜んでほしい、応援したい」という意図が伴う。
筆者自身、結婚した妻とは交際時から割り勘を提案され、結婚するまで男女問わず、他人に奢るという経験がほとんどない。10代からフリーター派遣で働き、周囲が年上ばかりという環境だったのもあった。
そんな自分でも職場の上司や年長者から奢られることはあった。そんな時は「仕事頑張れ、応援してるよ」という叱咤激励や「アメリカ留学の成功を祈ってる」という応援の意図が明確に込められていた。奢る側は、相手にうまくいってほしいという気持ちを乗せている。
現在は相手に「応援したい、喜んでほしい」という気持ちがある時は喜んで自分が代金を出すようにしている。だがその前提としてやはり感謝が分かる相手を無意識に選んでいると思う。
これは「自分に感謝しろ」と強制しているのではなく、自然発生的に「応援してくれてありがとう」という気持ちが出てくる人格の持ち主になっているのだろう。
「奢られて当然」が反発の本質
相手が心から感謝しているなら、奢る側は喜んで奢る。これで平和になるはずだが、実際には問題になるのは「奢られて当然」という態度があった時だ。
これは対価を先に要求してから贈与を発生させる、因果が逆転した構造だ。何も男女の奢り奢られ問題に限った話ではない。既存の関係性から一方的に価値を引き出そうとする行為であり、健全な贈与のやり取りをしてきた側からすれば、生理的な忌避感が出るのは自然な反応である。
「上司は下っ端のオレたちよりお金もらってるでしょ。当然、部長が全員分奢ってくださいよ」なんて部下がいて嫌な気分にならない上司はいないだろう。これは上司に対する感謝の気持ちは皆無であり、相手をまるで財布のような扱いをするから反発されるのだ。
つまり「奢らないとダメ」と憤って炎上する構図は、実は男女にあまり関係なく起きる。「あの上司はケチだから割り勘にされた」と感じる男性部下も同じ構造の中にいる。
◇
炎上の一次因はデカい主語、二次因は対価の先取りという構造への忌避感である。「男は奢れ」批判に苛立つ人間は、実際には性別ではなく「対価を先に要求してくる人間全般」に苛立っている可能性が高い。男女という切り口で語られること自体が、この論争を不必要に炎上しやすくしている構造だと言える。
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