皇位継承問題が議論されるたびに、「GHQが旧11宮家を皇籍離脱させたため、皇位継承が行き詰まった」という説明が登場する。占領軍によって皇室の姿を変えられたのだから旧宮家を皇族に戻せ――というルサンチマンである。

旧11宮家の皇籍離脱にGHQの圧力はあった
しかし今の皇室典範の制定過程をみると、問題はそれほど単純ではないことがわかる。1947年10月、伏見宮系に属する11宮家51人が皇籍を離脱した。日本国憲法と現行皇室典範が施行された同年5月3日から離脱までの約5カ月間、11宮家の男子皇族26人には皇位継承資格があった。
形式上は本人たちの願い出による離脱だったが、GHQの圧力や皇室財産への課税、歳費の打ち切りなどが背景にあったとされる。したがって占領政策によって皇族の範囲が大幅に縮小されたこと自体は否定できない。11宮家が残っていれば、男系男子の皇族数は現在より多かった可能性が高い。
ただし「皇籍を剝奪した」という表現は間違いである。実態として強い圧力があったとしても、法的には皇族会議など国内の手続きを経た自発的な皇籍離脱だった。
日本政府が男系男子を維持する仕組みを捨てた
本質的な問題は、戦後の皇室典範が明治典範の「男系男子」という結論を維持しながら、それを可能にしていた条件を日本政府が取り除いたことにある。
明治の皇室典範では、側室から生まれた非嫡出子にも皇位継承資格が認められていた。歴史上の天皇の半分以上(明治天皇・大正天皇を含む)は非摘出子である。だが戦後は一夫一婦制を前提に、継承資格を嫡出の男系男子だけに限定した。さらに皇族は養子を取ることができず、女性皇族は民間人と結婚すると皇籍を離れる。
つまり現行制度は「男子だけ」「正妻の子だけ」「養子は禁止」「女性は結婚すると離脱」という複数の制約を同時に課している。
2005年の政府有識者会議も、男系継承が長期間維持された背景には、側室が広く認められて出生数も多かったことがあると分析した。その条件が失われた現在、男系男子だけによる安定的継承は極めて困難だと結論づけている。
皇位継承が行き詰まった原因は、GHQが宮家を減らしたことだけではなく、男系男子という制約を残したまま、男系男子を維持する仕組みを取り外したことにある。
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