黒坂岳央です。
「もしも日本人みんながFIREの素晴らしさに気づけば、労働者はいなくなるのではないか」こうした主張を見かけた。
筆者はそうはならないと考える。労働者は消えないし、FIREできる人は今と変わらず少数派であり続ける。根拠を述べたい。

投資はできる人が限られる
自分もかつて長い間サラリーマンをしてきたのでよく分かるのだが、「起業は無理だが、投資ならできそう」と考える人がサラリーマンには多い印象を受ける。自分は両方経験しているが、「投資は簡単」という発想は誤解に近い。
「投資は勉強すればうまくいく」と思われがちだが、実際に投資を継続できるかどうかを分けているのは知識量ではない。普通の人が投資をするには「今の消費を我慢して将来の利益を取れるか」というトレードオフになる。だが、これが難しい。
もちろん、収入自体が生活費を上回らず、そもそも余剰資金を作れない層が一定数いることは事実である。だが、ここで指摘したいのはそこではない。同じ年収でも貯蓄ゼロの人と着実に資産形成できる人に分かれるという事実こそが、気質の差を証明している。
現実として、40代の単身世帯の約30〜40%、二人以上世帯の約20〜30%が貯金ゼロという調査結果がある。年収相応の貯蓄ができるはずの層に限っても、この割合は大きくは変わらない。もう一度いう。「40代で貯金ゼロは珍しくない」。同じ収入環境にいながらこれだけの差がつくのは、知識の差ではなく、目先の消費を我慢できるかという気質の差である。
そして投資の継続は貯金より遥かに難しくてハードルが高い。貯金と違って投資は銘柄選定が必要で、値動きにも耐えなければいけない。直近では株式市場は歴史的手に見て異常な上昇が続いたので、超イージーだった。もしも逆の相場になれば、耐えられる人は今の比ではないほど減る。そうして株式逆風はいつの時代でもあり得る現実の話だ。
本来は「20年、30年の超長期の資産形成」という名目のNISAでも「NISA損切り民」なんて言葉が出たくらいであり、最初は20年、30年やるつもりで始めた人でも調整程度の下落で投げ売りするのが現実である。
本当に余剰資金があり、子どもの教育費、生活費は十分カバーしていて、ただ現金で持っているのはもったいない、という人のみが投資を簡単に継続できる。目先値動きがあっても「使うのは30年後」と思っていれば気にならないし、目先の生活は問題ないからだ。
以上を踏まえると、投資ができる人は非常に限られる。余剰資金があり、かつ投資の値動きに耐えられる気質を持つ人だ。それは全体から言うと非常に少数派なのである。
労働者はいなくならない
仮に百歩譲って魔法がかかって、すべての人に投資耐性がつくというIFを考えてみたい(実際にそんな事はありえないが)。
このIFが実現すると、二つの力学が同時に働く。
1つは、消費の冷え込みである。全員が余剰資金を投資に回し消費を切り詰めれば、企業の売上も収益も縮小する。投資の利回りの源泉は結局のところ企業活動が生み出す利益であり、消費者がいなくなれば投資そのものの旨味が消える。全員が同じ行動を取った瞬間に、その行動が成立する前提が崩れるということだ。
もう1つは、労働供給の枯渇である。1億2000万人が投資に専念し労働者が消えれば、モノやサービスの供給が極端に減る。卵や牛乳といった生活必需品の価格が異常に高騰し、資産を取り崩して生活する投資家はその物価高に耐えられなくなる。投資家という立場は、労働者が大多数を占め、モノやサービスを安定供給し続けてくれるからこそ成り立つ職業であり、労働者が消えたらその前提自体が崩れる。
この2つの力学は方向性が違うように見えるが、実際は同時並行で起こる。消費が細り実体経済は冷え込む一方、生活必需品は供給不足で価格が上がるという歪んだ状態になる。どちらの経路であれ、行き着く先は同じで「投資だけしていれば安泰」という状態は維持できない。
そして物価高に耐えかねた人間から「投資より労働の方が確実に大きく儲かる」と考え、労働市場に戻っていく。労働者が少数になればなるほど、労働の対価は跳ね上がるので、次々とそういう人が増える。彼らは労働で得た資金で生活費と追加投資を賄うため、値動きに耐えられず退場していく弱小の専業投資家を実質的に駆逐していく。
◇
長い目で見れば結局、労働者と投資家がバランスして、今のように投資家が少数派を占める均衡に戻るのである。仮に日本人、いや世界中の人がFIREに目覚めても今とは世界は大きく変わらない。世の中は意外なほどうまくできているのだ。
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