政府が、次の成長分野として「フィジカルAI」に巨額の資金を呼び込もうとしている。フィジカルAIとは、文章や画像を生成するだけでなく、カメラやセンサーで現実世界を認識し、判断した結果をロボットや機械の動作につなげるロボットである。工場で部品を運び、不良品を見つけ、設備を操作する。
政府は2040年度までの官民投資額を10.5兆円、経済波及効果を144.4兆円と想定している。これは政府支出だけの金額ではないが、国策としては異例の規模である。AIロボットの世界市場についても、2040年に約60兆円へ拡大すると見込み、日本が3割超のシェアを獲得するという壮大な目標を掲げている。
生成AIで負けた日本の「敗者復活戦」
生成AIの基盤モデルでは、米国と中国の企業が先行した。膨大なデータと計算資源が必要な競争で、日本企業はほとんど存在感を示せなかったが、フィジカルAIでは競争条件が少し違う。
日本には工場があり、産業用ロボットがあり、モーター、減速機、センサーなどの部品メーカーがある。政府資料によると、日本企業は産業用ロボット市場で世界シェア約7割を持つ。製造現場に蓄積された動作データや熟練者のノウハウも、インターネット上から簡単には集められない貴重な資産だ。
ソフトバンク、ソニーグループ、NEC、ホンダなど国内44社が出資するNoetraも、国産のマルチモーダル基盤モデル開発を進める。2028年度には言語、画像、動画、音声を統合するモデルを開発し、2030年度には空間や物理法則を理解する「実世界ネイティブAI」の実現を目指す。
計算基盤には、NVIDIAの次世代GPU「Rubin」を約2万7500基導入する計画だ。生成AIで出遅れた日本にとって、フィジカルAIは数少ない敗者復活戦なのだ。
人手不足には強力な武器になる
期待される最大の効果は、省人化だ。従来の産業用ロボットは、決められた場所で決められた動きを繰り返すことには強い。しかし製品や部品の位置が少し変わったり、作業内容が変わったりすると、専門家による再設定が必要になる。
フィジカルAIが実用化すれば、ロボット自身が周囲を認識し、多少の変化に対応できる。多品種少量生産や頻繁な段取り替えにも使えるようになれば、人手不足に悩む中小工場への導入余地も広がる。
熟練工の動きを記録してAIに学習させれば、技能継承にも役立つ。設備の異常を早期に発見し、故障前に修理する予知保全にも応用できる。製造業の生産性を高める技術として、可能性が大きいことは間違いない。
最大の壁は日本企業の「データ鎖国」
だが、ロボットとGPUをそろえればフィジカルAIが完成するわけではない。AIの性能を決めるのは、実際の作業から得られる大量のデータである。映像、音、力加減、関節の動き、作業の成否などを記録し、複数の工場や企業を越えて学習させなければ、汎用性の高いモデルにはならない。
ところが日本企業は、製造データを競争力の源泉として社内に囲い込む傾向が強い。企業ごとにデータ形式や設備仕様も異なり、古い機械には十分なセンサーすら付いていない。AIとロボット双方を理解する人材の不足、実証から事業化までをつなぐエコシステムの不在、需要が見えないため量産投資に踏み切れない問題、導入コストの高止まりなど課題は多い。
44社を集めることと、44社が自社の重要データを差し出すことは別問題だ。参加企業が看板だけを並べ、データも人材も出さなければ、国産モデルは巨大な計算設備を持つだけの「空っぽの頭脳」になりかねない。
大事なのは顧客のニーズに合う実装
フィジカルAIは、日本の製造業に適した技術だが、それだけで救世主になるわけではない。2030年度という開発目標も、進歩の速いAI業界ではかなり先だ。海外企業が先に標準的なロボット基盤モデルを普及させれば、日本企業は国産AIを待ちきれず、結局は海外製モデルを使うことになる。
重要なのは国産モデルをつくった実績ではない。工場に何台導入され、生産性がどれだけ上がり、人件費や停止時間がどれだけ減ったかである。政府は開発側に補助金を配るだけでなく、データ共有の契約ルールや標準規格を整え、導入企業を支援しなければならない。同時に、成果の出ない事業には途中で資金を止める厳格な評価も必要だ。
大事なのは顧客のニーズである。日本のロボットは、政府がメーカーではなく顧客の製造業の導入を支援して世界のトップになった。これからそれが幅広い分野に導入できるのか。たとえば介護ロボットは可能だが、それは採算に乗るのか。いかに現場のニーズにこたえる製品を低価格で提供できるかが、フィジカルAIの成否を決める。






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