「35年」を考える:サッカーの躍進、経済の凋落、ベンチャーの希望

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1. 日本サッカーが強くなった原点は地域活性化?

1月の米国のベネズエラ急襲や、2月のイラン攻撃で始まった激動の2026年も、7月から後半戦に入っている。

引き続き、世界の激動は続いている。ウクライナとロシアの戦闘は4年を超えても激しさを増しており、スペインやフランスをとてつもない熱波や山火事が襲い、イギリスでは首相が交代し、イラン情勢は終わりが見えず、関税の再賦課など、米国発のトランプ劇場は相変わらずだ。

我が国でも、まさかの熊本地震を筆頭に、皇室典範改正や副首都法案の成立など、7月はいろいろなことがあった。政治・政策マターについての私見は、28日放映のLuckyFM茨城放送「ダイバーシティニュース」にて述べているので、以下をぜひ参照していただきたいところだが(ダイバーシティニュース「政治」:【2026年7月28日(火)放送】)、政治や行政に関することを生業とする私ではあるものの、今月、最も印象に残っていることといえば、実はサッカーW杯での日本の強さへの感慨である。

残念ながら、過去2大会で実現していたベスト16への進出はならず、ベスト32での敗退とはなったが、参加国の増加やくじ運によるところが大きい。けがで出場がかなわなかった三笘選手、南野選手、遠藤選手なども含め、選手層の厚さは間違いなく過去一番であっただろう。

大会後の日本の世界ランキングは17位(大会前は18位)とのことだ。大会ベスト4が、ちょうどランキング上位の4か国だったこともそうだが、かなり正確に世界における位置づけや実力を表しているのではないか。もちろん、日本が敗れたブラジルがノルウェーに負け、そのノルウェーはイングランドに敗れ、イングランドはアルゼンチンに負け、アルゼンチンは決勝でスペインに敗れたことを見れば、世界の頂点に向けての壁は厚い。

ただ、オランダやスウェーデンと対等に渡り合い(同点)、チュニジアに圧勝し、ブラジルにも善戦したこと(前半はリード)を見れば、日本はもはやサッカーにおける一流国の仲間入りをしたと言っても過言ではなかろう。

日本の強さのポイントは、私見では主に3つだ。1つは、選手一人ひとりがグローバルな環境でもまれているということだ。代表入りした選手のほとんどが世界の強豪クラブに所属していることからも、そのことは明白だ(26人中、日本のクラブ所属は3人だけ)。

2つ目は、確かな技術、正確無比なテクニックということであり、何となく、製造業その他に見られる日本の特質とつながるところがある気がしている。

そして最後の3つ目は、公のため、チームのためという利他の精神に満ちていることである。この点は、選手はもちろん、常に礼儀正しく、見えない力にお辞儀をして敬意を示す森保監督や、世界を驚愕させた試合後の客席清掃を旨とするサポーターなどにも感じられるところである。

しかし、日本サッカーを世界の高みへ押し上げた「3つの強み」は、いったいどうやって培われたのであろうか。私は、原点は35年前の象徴的な出来事にあるのではないかと思う。それは、当時の世界的なサッカーのスーパースターであるジーコ選手の来日である。

当時38歳であったブラジルのジーコ選手は、その知名度や存在感からいえば、今でいう39歳のメッシ選手のような存在と言ってよいかもしれない。その世界的スーパースターが、人口5万人ほどだったといわれる茨城県の鹿島市にやってきて、住友金属蹴球団(後の鹿島アントラーズ)に入った。

想像してみてほしい。今、日本の人口5万人ほどの市をホームタウンとするスポーツチームがあるとして、その世界で最も有名な海外の選手を引っ張ってこようと思うだろうか。仮に思ったとして、実現までこぎ着けられるであろうか。

35年前の1991年の日本で、茨城県で、鹿島市で、それは実現してしまった。紙幅の関係で詳述はしないが、これは、熱心な地元住民×熱意ある地元企業×熱のこもった行政(国、県、市)の掛け算で実現したと言ってよい。

ジーコ選手が「世界レベル」というものを身をもって日本に持ってきたことは、間違いなく、日本サッカーが35年かけて大きな飛躍を遂げる1つのきっかけになったと思う。35年前の11月にJリーグが創設されたことなども重なり、もともと日本人が得意だった求道精神(技術の錬磨や余念のない練習)や、フォア・ザ・チーム、地元のために、という公共精神に加え、世界というものを感じることで、3つの強みが開花していった。

地域を思うリーダーシップ(始動力)が日本サッカーの躍進の原因だと言うと、論理が飛躍しすぎているだろうか。ただ、1つの理由であったことは間違いないと思う。

余談にはなるが、私見では、こうした鹿島アントラーズのような、地域名を中心としたスポーツ振興をサッカーが実現したことが、よい意味で野球その他のスポーツにも波及した。

私の幼い頃の地元の野球球団である西武ライオンズは「埼玉西武ライオンズ」となり、楽天は東北のチームであるというアイデンティティを確立した。後楽園球場をホームとして間借りしていた日本ハムファイターズは、北海道に居を移し、「北海道日本ハムファイターズ」として新生した気すらする。

2. 日本経済の凋落と明るい兆し

日本サッカーが成長を遂げた35年間で、それと反比例するかのように凋落の一途をたどったのが日本経済である。まさにジーコが来日し、Jリーグが誕生した35年前の1991年が、景気後退、いわゆるバブル経済崩壊の転換点だとされている。

1990年代は「失われた10年」と言われ、2000年代には「失われた20年」となった。ちょっと風邪をひいたのかと思われた日本経済という「体調」は、実は風邪ではなく、慢性疾患であったことが露見してしまった。2010年代を「失われた30年」と呼ぶ人はいなくなり、低迷状態が「常態」となってしまった。

35年たってみると、世界ランキングでトップ10入りが当たり前だった1人当たりGDPは世界38位まで凋落した。最盛期にはトップ50社中36社を日本企業が占めていた世界の時価総額ランキング(トップ50)にも、日本企業は入らなくなった(トヨタがぎりぎり入ったり、入らなかったりする)。

ただ、そんな中で個人的に明るい兆しを感じているのが、スタートアップ(ベンチャー企業)の世界だ。

今月8日に、顧問をしているKPMGあずさ監査法人が主催するピッチコンテスト「KPMG Private Enterprise Global Tech Innovator Competition in Japan 2026」に出席し、会の最後に総括的な講評を述べさせていただいたのだが、そのレベルの高さに驚愕した。

当日は、経済産業省から菊川イノベーション・環境局長、井上商務・サービス審議官、伊藤脱炭素成長型経済構造移行推進審議官といった3名の局長級の皆様も駆けつけられ、同法人の山田理事長や、スタートアップ統括を務める阿部常務による素晴らしいご挨拶もあった。

この日本大会での優勝企業は、同名の世界大会への切符を手にするのだが、何と、その世界大会で、日本企業は昨年度、一昨年度と2連覇中だという。

厳しい予選を勝ち抜いて、この日のピッチに登壇した35社のプレゼンテーションは、どれも甲乙つけがたい、極めてハイレベルなものばかりであった。今回の登壇企業について特に感じたのは、ディープテック系や医療・ヘルスケア系が多いということであった。

ここでふと思い当たったのは、まさにその頃、世界を熱狂させていた日本サッカーチームの強さの3つのポイント(上述)である。

つまり、(1)世界レベル、(2)確かな技術、(3)公の精神、である。

具体的には、(1)ほとんどの企業のボードメンバーに少なくとも1人は、世界の有名大学でのPh.D.取得者や、世界レベルの研究所での研究経験者がいて、今も世界とつながっている。(2)理系のテクノロジー企業、特に、日本では最も優秀な層が行くと言われる医学部系・ヘルスケア系の企業が多く、各社に確かな技術がある。(3)まさに医学部を志す精神そのものだが、「困っている人を何とかしたい」「社会のために役立ちたい」という強い公共精神に満ちている企業ばかりであった。

優勝したRAINBOW社は、北大医学部発のベンチャーだが、脳幹細胞の活用により、脳梗塞で手足がまひした人が普通に手足を動かせるようになる実績を出すなど、すごい技術を擁している(回復した患者の映像を見て驚愕した)。

講学的には、高度成長期以降、日本のベンチャーブームはこれまで4回あったとされるが、私見では、本質的なベンチャーブームは、1990年代から2000年代初頭にかけての、楽天(1997年)、サイバーエージェント(1998年)、DeNA(1999年)などが生まれた頃からではないかと思っている。第3次ベンチャーブームと言われる、いわゆるネット企業の興隆期である。

そして、その頃を起点とすると、35年後というのは、2030〜2035年頃ということになる。

確かに日本は、いわゆるユニコーン(企業価値10億ドル以上の未上場企業)の数でいうと、諸外国に見劣りする。しかし、これは、経産省でスタートアップ政策をリードする司令官の菊川イノベーション・環境局長によれば、日本の悪弊(エグジットとして早期の上場を目指してしまうこと)が影響しているとも言われている。

大学発ベンチャーの数は、まさにうなぎ上りである。上述のとおり、日本の最優秀層である理系、特に医学部系の人材が次々にスタートアップを起業している現状を見れば、2035年頃には、日本は世界が刮目するベンチャー企業大国になっているかもしれない。

現在、高市政権のもとで主に経産省が強力に推し進めている成長戦略など(17分野+横割り8分野+地域未来戦略で、私は「高市26戦略」と呼んでいる)は、悪く言えば、あたかも戦中期に総力を挙げて戦艦大和を建造していた歴史をなぞるような、「最後の大勝負」「あがき」のように見えなくもない。ただ、官ができること、政ができることはこれしかない。

円の価値の下落に象徴されるように、先進国グループからの日本の凋落が決定づけられてしまった今、そして、AIやEV、半導体、宇宙開発など、次代を牽引する多くの産業で世界の先頭集団から引き離されてしまいつつある今、官の支援も活用しつつ、何と言っても主役である「民」からの草莽崛起、特にベンチャー企業たちによる日本の新しい夜明けづくりに期待したいと思う。

青山社中が主催するメガベンチャー勉強会(事務局:経済産業省、あずさ監査法人、弊社)でも、今期はEnablers(あずさ監査法人の山田理事長による命名)というチームをつくり、期待のベンチャー企業に寄り添いながら、世界的ベンチャー・メガベンチャーの構築を支援することについて、具体的な議論を開始しているところである。

3. 最後に——求む、本格的リーダー(始動者)

35年という数字に何ら絶対的な根拠があるわけではないが、一時代は30〜40年で構築される気がする。明治維新から日露戦争の勝利までが37年、敗戦から経済的一流国入りを果たしたのも、だいたい35年程度である。

また、逆に、一時代が崩れるのも同じような周期に思える。日露戦争の勝利から、同じロシアに敗れたノモンハン事件までが34年であり、バブルの絶頂(1980年代後半)から考えると30〜40年程度で、「風邪をひいた程度か」と思われていた日本の不調が、実は凋落だったと決定づけられた。

実は、標題の「35年」は、個人的にもお世話になっている、尊敬する経産省の先輩で、現在は衆議院議員の齋藤健氏の小冊子『三十年』へのオマージュのつもりで書いた。これは、無料で誰でも読める素晴らしい小冊子なので(もとは講演録らしい)、ぜひ一読をお勧めしたい。同冊子は、一言で言えば、平成の30年を振り返っての、齋藤議員による「日本の将来への希望を含めた慨嘆」である。

名著『転落の歴史に何を見るか』(ちくま新書)の著者でもある齋藤健氏は、日露戦争勝利後の日本の凋落の大きな要因として、人間の劣化、特にエリート層・指導層の劣化を挙げる。技術的・能力的劣化ではない。その精神のあり方、特に大局観を含んだ真の意味での合理的精神、すなわち短期的損得とは異なる精神のあり方の劣化である。

上述した、次代を創らんとするベンチャー企業群のプレゼンを聞き、また、日本サッカーの頑張りを見て、少しだけ気になったのは、「死の跳躍」ともいうような、スケールの大きな迫力ある勝負をする人材が、果たして現在にいるのであろうか、という点である。

良くも悪くも皆さん、とても賢いので、「さすがにそれは無理だろう」というような、一種、阿呆な大勝負を避けているような感じもある。

サッカーで言えば、ブラジルとの戦いで最後に攻め込まれているときに、ゲームチェンジャーとなるような、大迫力の個の力を発揮する選手である。ベンチャーピッチコンテストで言えば、驚天動地のビジネスプランを出し、世界をあっと言わせるような個人である。そうした存在を感じない。

冒頭に述べたような、「プロサッカーリーグもない極東のサッカー後進国の小さな市に、世界最高のプレーヤーを連れてくる」といった、迫力あるゲームプランの不足である。

世界史の奇跡とも言われる明治維新の陰には、犬猿の仲の薩長を組ませようという「とてつもない策」(現在で言えば、日中同盟の実現のようなものだろうか)を実現させてしまった坂本龍馬の存在や、わずか数十名の無茶な挙兵によって藩論を変えてしまった「功山寺挙兵」を成し遂げた高杉晋作などの存在がある。短期的合理性で考えれば、普通、思いつきもしないし、ましてや、実現のために動くはずもない話だ。

日本企業の戦後の躍進に際しては、ものすごい迫力でソニーを創業し、世界に打って出た井深大・盛田昭夫の両巨頭や、小学校中退から世界的な経営哲学を打ち立て、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助翁のような存在があった。

サッカーで言えば、メキシコ五輪における日本チームの銅メダル獲得の立役者で、同大会の得点王に輝き、いまだに国際Aマッチの日本人得点記録で断トツの1位に君臨する釜本邦茂氏のような「強烈な個」があった。

思い切った始動(リーダーシップの発揮)に関しては、我々はまだ、上の世代から虚心坦懐に学ばねばならない。

「泣こよっか、ひっ飛べ」とは、薩摩の郷中教育で重んじられた精神だと言われる。「このままでよいのだろうか……」「どうしよう……」と泣いているくらいなら、思い切って飛んでしまえ、という精神である。

死をも恐れない個を創る薩摩藩の教育がなければ、すなわち、同藩の志士たちによる幕末維新期の命懸けの活躍がなければ、今の日本はなかったかと思う。

AI活用、英語教育その他、技術関連の教育ももちろん大事であるが、その前提として、合理的判断だけではない「戦略的どんぶり勘定」ともいうべきチャレンジ精神、リーダーシップ(始動力)の涵養が大事である。

AI時代だからこそ、今まさに、大きな人間づくりに向けた教育が求められている気がする。

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