昭和を代表する女優の一人、小川真由美さんが3月26日、鹿児島市内の病院で亡くなっていたことが分かりました。86歳でした。
一人娘の小川雅代さんが『文藝春秋』で明らかにしたもので、雅代さんが母の死を知らされたのは約2カ月後でした。世間にその死が広く知られることになったのは、さらにその後でした。一世を風靡した大女優としては、あまりにも静かな最期でした。

「八つ墓村」より
「八つ墓村」で強烈な存在感
小川さんは1939年、現在の東京都足立区生まれ。21歳で文学座の研究生となり、同期には樹木希林さんや橋爪功さんらがいました。杉村春子さんにも目をかけられ、若くして将来を嘱望されます。
1960年代から映画やテレビで活躍し、「八つ墓村」では鬼気迫る演技で強烈な印象を残しました。「復讐するは我にあり」などで日本アカデミー賞最優秀助演女優賞も受賞しています。昭和の映画・テレビ界を代表する名女優の一人でした。
娘が明かした複雑な親子関係
しかし、雅代さんが語った母親としての小川さんは、スクリーン上の華やかな姿とは大きく異なります。仕事で家を空けることが多く、雅代さんは幼少期から親族に育てられたといいます。小川さんは占いや宗教にも強く影響され、家庭生活にもその影響が及びました。
雅代さんは思春期に、金銭を盗んだと誤解されて家に放置された経験なども明かしています。母娘は離れては近づくことを繰り返し、雅代さんは2012年に「ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争」を出版。その後は再び疎遠となり、約10年間、直接会っていませんでした。
大女優が最後に残したもの
晩年の小川さんは住居の確保にも苦労し、知人の助けを受けながら暮らしていました。昨年には東京を離れ、頼れる知人のいる鹿児島へ移りました。
今年3月20日、住んでいた部屋で転倒して大腿骨を骨折。手術後は元気に食事を取るまで回復していましたが、25日に突然、急性冠動脈症候群を発症しました。3度の蘇生措置もむなしく、翌26日朝に亡くなりました。
「天涯孤独」と言い、娘にも死を知らせないよう望んだ小川さん。それでも最後まで、娘が幼い頃に作った人形だけは捨てませんでした。
銀幕では強烈な存在感を放ち、多くの人々の記憶に残った大女優。華やかな昭和の芸能界を駆け抜けた小川真由美さんの86年の人生は、鹿児島の地で、ほとんど誰にも知られることなく静かに幕を閉じました。







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