黒坂岳央です。
世の中、「貧乏なのは投資リテラシー不足」とか「国の失策の犠牲者」のように語られることが多い。実際、そうした側面はあるだろう。貧しさは教育や政策によって突破するべき課題であることは疑いようもない。
その一方で、当の貧乏な本人は、必ずしも貧乏生活を悲観しているわけではないのではないか、と感じることが少なくないのだ。
筆者自身、実家を借金返済で失い、シングルマザーの4人兄弟という家庭で育った。20代後半までかなりの貧乏だったのでよく分かるのだが、はっきり言って貧乏は楽しくてやめられない要素がある。
苦しいが楽しい。この矛盾するような状態が貧乏生活だ。

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貧乏だと買い物が楽しい
貧しい人にとってショッピングは趣味の一つだ。
筆者が貧乏だった頃は、買い物そのものがゲームのようだった。毎日、スーパーにいっておつとめ品を探す。どのスーパーにどんなおつとめ品が置かれやすいかは完全に把握しており、複数のスーパーを回る。いわば「おつとめ品ハンター」である。
大量に買った半額シールがついた惣菜を冷凍保存して少しずつ食べる。ものすごく得をしたような気分になるが、あまりに頻繁に買うので食べきれずに捨てたりすることもあった。
しかし、ある程度お金に余裕が出来るとこうした買い物はしなくなる。食材を買う時は鮮度が高く、国産品で栄養価の高い旬のものに限る。最適解が絞られているのでほぼ迷う要素がない。まったく時間もお金もムダがないが、ゲームとしては面白くない。
目的買いしかしないので、スーパーでの買い物はスロットマシンをまわすのではなく、ただの作業に変わる。
貧乏には「創意工夫」という報酬がある
貧乏になると、生活のあらゆるところで工夫が必要になる。無料で楽しめる場所を探したり、電車やバスに乗るのをケチって遠くまで歩く。スーパーに無料の水くみサービスを利用しに行く。できるだけ少ない予算で最大限楽しめる方法を考える。
筆者は貧乏な時期に東京を何時間も散歩したことで地形がかなり頭に入ったが、それがまた楽しかった。このように貧乏生活には、妙な中毒性がある。もちろん貧困は消耗も生む。お金がないことで常に金銭のことを考えさせられ、将来のことなど考えられなくなる。確かに消耗はするのだが、達成感はあるのだ。
むしろ、「しんどいけど、今日も上手くやった」という小さな達成感があるから、同じ生活を続けられてしまう。
貧乏から抜け出すのが難しい本当の理由
ここで重要なのは、「貧乏な人は努力していない」という話ではない。むしろ逆で貧乏生活の中で、ものすごく努力している人もいる。具体的には節約の知識を身につけ、安い店を探し、食材を無駄なく使い、生活費を徹底的に削るといったものだ。
問題は、その努力の方向だ。「いかに少ないお金で生活するか」というゲームを極めても、貧乏から抜け出すことはできない。なぜなら支出を削るより収入を増やすほうが圧倒的に効率がいいからだ。
彼らが必要な答えは「節約をやめて自己投資に時間を使って収入を増やせ」だが、それはなかなか浸透しない。なぜなら、報酬構造が違いすぎるからだ。
節約は、「500円安く買えた」という結果がその日のうちに出る。一方、勉強は今日3時間やったからといって、今日の収入が増えるわけではない。転職活動をしても、すぐに結果が出るとは限らないし、副業を始めても、最初の数カ月は収入ゼロということも珍しくない。
貧しい人ほど宝くじを買うような一発逆転ホームラン的な発想を持ってしまうのは、節約生活の成功体験に引きずられている点も大きいと思うのだ。
◇
貧乏ゲームは、上手くなるほど抜け出せなくなる。上達そのものが罠なのである。だから人生のどこかで、節約額を競うゲームから、価値を生み出すゲームへ移らなければならない。貧乏は楽しい。だからこそ、やめられないのである。
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「Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)







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