トヨタ自動車の元社長・会長で、日本経団連の初代会長も務めた奥田碩氏が8月8日、93歳で死去した。トヨタのグローバル化を推進し、「世界のトヨタ」への道を開いた経営者として評価される一方、その経営路線がトヨタ本来の強みを揺るがしたのではないかという批判も改めて注目されている。
奥田氏は1955年にトヨタ自動車販売に入社。1995年、豊田家以外から28年ぶりとなる社長に就任した。当時、国内シェアの低下や円高に直面していたトヨタに対し、奥田氏は従来の慎重経営とは一線を画す拡大策を打ち出した。1996年には「2005年ビジョン」を掲げ、輸出依存を減らして海外現地生産を急速に拡大。10年間で海外販売は2倍以上となり、世界販売は67%増えた。
「世界一」を目指した拡大経営
プリウスの発売を当初計画より1年前倒ししたことも奥田氏の代表的な決断だ。スピードと規模を重視する経営によって、トヨタは日本メーカーから世界企業へと変貌した。
しかし、その成功の裏側で「大きくなること」そのものが経営目標になっていなかったかという疑問も残る。
奥田氏の後もトヨタは世界販売を拡大し続けたが、2009年以降には米国を中心に大規模リコール問題が発生した。2010年、社長に就任していた豊田章男氏は米議会で、トヨタの成長速度が速すぎたとして、安全、品質、販売台数という従来の優先順位が崩れたとの認識を示した。
もちろん、リコール問題を奥田氏個人の責任とすることはできない。奥田氏は2006年に会長を退いており、その後も拡大路線を続けたのは後継経営陣だ。しかし、「世界一」を視野に海外生産と販売台数を急拡大する方向へトヨタを大きく転換したのが奥田時代だったことも事実だ。豊田章男氏自身、後に急成長によって人材育成が追いつかなかったとの趣旨の反省を語っている。
創業家を遠ざけた「サラリーマン経営」
奥田氏への評価を分けるもう一つのポイントが、創業家との関係だ。
豊田章男氏が2000年に取締役となる前、奥田氏は米紙に対し、創業者の孫だからという理由だけで経営トップになるべきではないとの考えを示し、「章男君程度の社員なら、ごろごろいる」という趣旨の発言までしたと報じられている。
世襲を否定し能力主義を徹底する姿勢とみれば合理的だ。しかしその後、経営危機のさなかに社長となった豊田章男氏は「もっといいクルマづくり」「現地現物」を掲げ、規模や販売台数よりも商品や現場を重視する方向へトヨタを修正していった。
皮肉なのは、奥田氏が距離を置こうとした創業家の経営者が、奥田時代から続いた急拡大の後始末を担うことになった点である。
奥田氏がトヨタを世界企業にした功績は大きい。しかし同時に、トヨタが「世界一」という数字を追いかけ、品質や人材育成とのバランスを崩していく出発点をつくったのではないかという評価も残る。
奥田氏の死去は、「会社を大きくする経営」と「会社を強くする経営」は同じなのかという、トヨタ自身がその後問い直すことになった問題を改めて浮かび上がらせている。








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