「皇室の尊厳を守る国民運動」は不敬罪の復活をめざすのか

皇室の尊厳を守る国民運動という団体の活動が活発になっている。2025年12月に発足し、2026年7月6日には衆議院第二議員会館で第1回決起集会を開催。自民、維新、国民民主、参政、日本保守などから代理を含め50人近い国会議員が参加したいう。

「皇室の尊厳を守る国民運動」の決起集会(毎日新聞)

「誹謗中傷をやめよう」までは当然

まず確認しておくべきなのは、皇室の方々に対する事実無根のデマや人格攻撃が許されてよいはずはないということだ。「皇室の尊厳を守る国民運動」も、活動目的を「皇室へのデマや誹謗中傷を許さない社会」をつくることだと説明している。

しかも現行刑法には、すでに名誉毀損罪や侮辱罪がある。刑法232条は、天皇、皇后、太皇太后、皇太后、皇嗣については、本人に代わって内閣総理大臣が告訴できるという特別の規定まで置いている。つまり「皇室への誹謗中傷は何を言っても野放し」というわけではない。

同運動の事務局長を務める折本龍則千葉県議も、1974年の三木武夫首相の答弁を取り上げ、内閣が持つ告訴権を実際に行使することが「抑止力になる」と主張している。ここまでなら、現行法をどう運用するかという議論である。

問題は「皇室だけ特別に取り締まる」方向

ところが最近は、そこからさらに踏み込む動きが出ている。「日本の尊厳と国益を護る会」は「皇族保護プロジェクトチーム」を設置した。

青山繁晴代表は、旧宮家の男系男子が皇族の養子になる場合、誹謗中傷によって意思を変えることがないよう政府と連携して保護する必要があり、「立法措置が必要なものもあるかもしれない」と述べている。

日本保守党も、皇族への名誉毀損などを非親告罪化する案を提唱している。青山氏や日本保守党は「不敬罪を復活させる」と明言しているわけではない。むしろ百田尚樹代表は「今の時代に不敬罪にはできない」と否定している。

しかし「不敬罪」という名前でなければ問題がないというわけではない。皇室についてだけ、本人の告訴がなくても警察・検察が表現を犯罪として摘発できる制度をつくれば、機能的には戦前の不敬罪に近づく。刑法学者からも、こうした仕組みは不敬罪の復活を否定したとしても、実質的には同じ機能を持つとの指摘が出ている。

不敬罪はなぜ廃止されたのか

戦前の刑法には「皇室ニ対スル罪」があり、天皇や皇族に対する「不敬」の行為そのものが犯罪とされていたが、戦後、日本国憲法が施行され、1947年の刑法改正で不敬罪は削除された。

現在の憲法21条は「言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。もちろん表現の自由にも限界はある。虚偽の事実を流して個人の名誉を傷つければ名誉毀損になり得る。しかし「皇室を批判した」「皇室について不愉快なことを書いた」「皇室制度に反対した」という理由だけで処罰される社会にしてはいけない。

そもそも憲法1条は、天皇を日本国と日本国民統合の象徴とし、その地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」と定めている。それなら皇室制度について国民が自由に議論できることも、象徴天皇制を支える重要な前提である。

皇室の尊厳は刑罰でつくるものではない

興味深いのは、1974年に源田実参議院議員から皇室への侮辱的な文書について問われた三木武夫首相の答弁だ。

三木首相は名誉毀損や侮辱に該当する可能性を認めながらも、裁判にすることで「かえって皇室にいらざる迷惑」が及ぶ可能性を指摘した。そのうえで、そのような言論は「泡沫のごとく消え去る」として、公的措置を取らない判断を示した。

SNS時代となった現在、この姿勢をそのまま維持できるかは議論の余地がある。悪質なデマは瞬時に何百万人にも拡散するからだ。宮内庁が正確な情報を迅速に発信し、明白な虚偽について訂正し、プラットフォーム側に対応を求めることは必要だろう。

しかし、そこから刑法による特別な言論統制へ進むのは別問題である。現時点で「皇室の尊厳を守る国民運動」が不敬罪そのものの復活を正式に掲げているとは確認できない。しかし「皇室への批判を国家が取り締まるべきだ」という方向へ運動が進めば、不敬罪との境界は急速に曖昧になる。

皇室への敬愛は、法律で国民に強制するものではない。刑罰によって守らなければ維持できない「尊厳」は、本当の尊厳なのだろうか。皇室を守るという名目で国民の言論を萎縮させることは、むしろ「国民の総意」に支えられる象徴天皇制そのものを傷つけることになりかねない。

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