「みいちゃん」と呼ばれるべきなのは本当は誰か?

完結したマンガ『みいちゃんと山田さん』をめぐって、論争が止まらない。先週にはついに障害者の支援団体が、表現の自由を尊重しあくまで「懸念の払拭」のみを求める形で、声明を出した。

「みいちゃんと山田さん」アニメ化に対する意見書
全国手をつなぐ育成会連合会は全国の会員の声を聞き、それを中央に届ける役割と障害のある人の人権を回復、地域で安心して暮らせる制度、システム作りを政府に政策提言する役割を担っています

noteでこの作品を論じる記事も膨大で、多様な立場の人が意見を表明している。しかし、ぼくなりにかなりの量を読んだつもりだが、いまなお本質が見過ごされている気がしてならない。

同作では、障害に無理解な家庭や学校から疎外された「みいちゃん」が、風俗嬢としての生き方に溺れ、悲惨な死を遂げる。議論の争点は、7月に発表された「アニメ化の当否」に偏りがちだが、実際にはだいぶ前から事態はこじれていた。

『みいちゃんと山田さん』アニメ化をめぐり論争 「レッテル貼りをしない文化を」「日本社会は成熟しておりません」
2027年にTVアニメ化される漫画『みいちゃんと山田さん』をめぐる議論が、SNS上で広がっている。作品への期待が寄せられる一方、登場人物の呼称が現実の人々へのレッテルとして使われることや、知的・発達特性の描写が偏見を強める可能性を懸念する声...

みいちゃんの唯一の幼馴染が、途中まで類似の境遇にいたムウちゃんである(ヘッダー、1巻5話)。彼女が知的障害を認定され「療育手帳」を持っていることから、みいちゃんの障害も同様なことが強く示唆される。

ところがアニメ化が公表される前の2月から、「みいちゃん」が発達障害を揶揄するスラングになっているので、作者は公式に対応すべきだとする声がSNSで上がり、すでに賛否を呼んでいた。この時点でなにかがズレていた。

ネットミーム化した「みいちゃん」が差別用語的に使われていることへの問題提起ポストが話題に→『みいちゃんと山田さん』公式が対応する必要はあるのか
マンガ『みいちゃんと山田さん』のキャラクター「みいちゃん」がネットミーム化し、発達障害や知的障害の当事者を軽率に「みいちゃん」と呼ぶ流れが問題化している。編集者や出版社は題材取り扱いに慎重であるべきで、公式からの発信や啓発が求められるという...

そもそもコミックスの2巻(7話)には、「発達障害」だと明示されるニナちゃんというキャラが、1話限りの形で出てくる。逆にいうと、みいちゃんの障害は「そちらではないですよ」と、十分に告知されているのである。

作品の舞台は2012年
日本のメディアの発達障害ブームは
15~17年のこと

にもかかわらず、なぜ誤読に基づく作品の(不適切な)流用が広まり、アニメ化の決定に先んじて、ネットで騒ぎが起きるまでになったのか。

何度も書いてきたが、発達障害をあたかもギフテッド=キラキラした特性であるかのように扱うメディアの風潮への「反動」が、ここ数年で急速に高まっていた。大多数の実態とは、あきらかに違うよね? というわけだ。

「発達障害バブル」はなにを残したのか|與那覇潤の論説Bistro
2月16日に発売された『表現者クライテリオン』の3月号に、浜崎洋介さんによる私のインタビューの後編が掲載されました。前編の記事内容についてはこのnote でも、魯迅や太宰治を論じつつ補足してきたとおりです。 後編の内容も多岐にわたりますが、...
特定のメンタルの「病名」を、キラキラさせるのはもうやめよう。|與那覇潤の論説Bistro
今年の2月に「「発達障害バブル」はなにを残したのか」という記事を書いた。2015年頃から流行してきた、精神疾患の中でも発達障害だけは「ギフテッド」(恵まれた特性)で、特殊な才能と一体なのだといった論調に、警鐘を鳴らす内容である。 いわゆる日...

著名なノンフィクション作家が、悲惨な生涯を送る発達障害者ばかりを採り上げる(ぼくには露悪趣味で、問題があるように思える)ネット連載を始めるのが、2023年6月。『みい山』は翌年9月から、やはりWebでの連載だ。

マスコミの「発達障害はむしろ個性!」みたいな煽り方って、なんかオカシかったよね。そんなモヤモヤが充満していたところに、話題を呼ぶマンガが出てきて、実際のストーリーとは違う形で引火したのが実態である。

新聞配達の仕事だけで3人の子供を育てようとして…児童相談所内で自殺を図った女性が黒い服を着続ける理由 | 集英社オンライン
児童虐待の世界においては、発達障害のある子供が虐待を受けやすいということが、近年にわかに脚光を浴びている。たとえば、ADHDの子供は、その特性から注意が散漫で落ち着かずに動き回ってしまう傾向にある。親は、そんな子供に手を焼き、「聞き分けの悪...

この障害は「キラキラした個性だから」差別はやめよう、といったPRをメディアが10年も続ければ、その裏で(みいちゃんのような)「キラキラしてない」障害は差別されてもしかたない、とする刷り込みが起きてしまう。

そうした真の原因をスルーしたまま、「みいちゃん呼ばわりよくない、アニメ化よくない」と言うだけの人は、差別を生む構造に無自覚だ。むしろ『みい山』という作品の中にこそ、問題の所在に気づく契機があると思う。

5巻23話

みいちゃんには幼少期から成人後に至るまで、パニックになると「うああああ!」と叫ぶ癖がある。暴れて物を壊すこともある。たしかに同じ場所で、一緒に暮らす人は大変そうである。

しかし社会がパニックに陥った際、「うおおおお!」と特定の論調に固執し、視界に入った異論に集団で殺到して「潰せ!」と叫ぶ人は、いっぱいいる。SNSで暴れまわるから、リモートな場所にまで被害が及ぶ。

令和という幼年期の終り:「母胎回帰」だったコロナ・ウクライナ劇場|與那覇潤の論説Bistro
浜崎洋介さんとの文藝春秋PLUSは、おかげで多くの方がご視聴くださったようだ。とはいえ、ウクライナを応援することを「ウクライナに耳あたりのよいことを言うこと」と取り違えてきた人には、なかなか受け入れがたい内容らしい。 こうした反応が典型で、...

なぜ前者だけが揶揄の対象になり、後者はなにも言われない? 「健常者」だから? 数が多いから? 夜職じゃない仕事をしてるから?

そういうのを「差別」って言うんじゃないの?

5巻22話

みいちゃんは注意されるのが苦手だ。周りの人を「叱る人」と「褒める人」に二分して、前者を忌み嫌う。その行為のどこが問題かの理由まで含めて、丁寧に教えてもらったことがないからだ。

これまたしかし、自分への批判は根拠の有無を問わず「誹謗中傷」であり、それらはSNSから一切消えるべきだと公言して憚らない、昼職の大人たちはいっぱいいる。大学教授などの「知的職業」に、就いている場合もある。

ReHacQは「一流のメディア」になるために何をすべきか|與那覇潤の論説Bistro
ReHacQ(リハック)というネット世代に人気があるらしいYouTubeのチャンネルに、国際政治学者の東野篤子氏が出演し、話題になっている。 ヘッダーは、彼女が「自分はネットで叩かれる」旨を繰り返す箇所の一部だが、カタカナでセンモンカと書く...

なぜそんなことになるのか。障害を採り上げる際の社会の「線引き」が、ずっと恣意的で、おかしかったからである。

特定の「障害」だけをキラキラさせる、ここ10年間のメディアのあり方が、その画面に映らないみいちゃんへの偏見を温存し、むしろ強化してきた。差別へのまちがったワクチンが、薬害のような副反応をいま生んでいるのだ。

大事なのは「健常者に近そう」な障害を持ち上げ、みいちゃんとは違いますよ、と煽ることではない。自分を健康だと思い込むあらゆる人が、潜在的なみいちゃんを内に抱え、同じになり得る存在だと気づくことである。

ホンモノの臨床人文主義 vs ニセモノの令和人文主義|與那覇潤の論説Bistro
ある人が「臨床人文主義」というジャンルを提唱するのを聞いて、なるほどなぁと思った。狭い意味の医学書ではなく、(主にメンタルの)ケアや治療から見える知見を鍵に、人間社会の本質を探究する著述を指すものだ。 そんな提案が出るのも、自然科学が暴走し...

幸いにこの秋は、メンタルや障害の問題に関して、久しぶりに発言する機会に恵まれた。

ひとつは、先日もお世話になった信田さよ子さん(臨床心理士)の新刊の書評を頼まれて、論じるなかで目下の『みい山』論争にも触れた。

信田さんの同書は、あらゆる人が潜在的には「依存症」を抱えているという観点に立つことが、誰もが生きやすい社会を作るとする洞察に満ちている。その点をこんな風に紹介したので、ぜひ目を通してくれたら嬉しい。

発達障害を“キラキラ”消費したこの10年……マンガ『みい山』論争の炎上で暴露されたメディアと社会の大罪を、信田さよ子『溺れながら生きる』を読んで考えた | 文春オンライン
メディアが発達障害を“キラキラした個性”として消費し続けたこの10年。話題の漫画『みいちゃんと山田さん』の炎上騒動によって、近年のメンタルヘルス報道の無責任さが炙り出された。障害をPV稼ぎの道具にす…

依存とは生存戦略である。あまりにも戦略の立て方が独特で、社会の標準から逸脱した場合には「病気・障害」のレッテルが貼られるが、それは貼りつける側が多数派であることを示すにすぎず、「健康」であることを保証してはいない。
(中 略)
『みいちゃんと山田さん』にせよ後半は、主題が弱者を庇護することで得られる優越感に依存」する、一見すると病気でない人が抱える闇へと移る。彼らはそれなりに優秀で、社会に適応しているのかもしれない。だがそんな社会の全体こそが、パターナリズムの病を再生産していたら、どうだろう。

2026.8.20、3頁
(強調を追加)

もうひとつは、雑誌『臨床心理学』の増刊「精神分析はたのしい」の刊行を記念して、来月9/28(月)夜のイベントに登壇する。会場は東中野だが配信もあり、アーカイブでも購入可能だ。

参加者は、精神分析家の藤山直樹さん山崎孝明さんに、依存症治療のプロである松本俊彦さん。ぼくだけが雑誌には寄稿していないので、「外部」の視点から貢献できるよう、がんばりたい。

『臨床心理学』増刊第18号「精神分析はたのしい」刊行記念トークイベント
テーマ主体の後に誰が来るのか?-クロストーク臨床知×人文知■出演者藤山直樹・松本俊彦・與那覇潤・山崎孝明(敬称略)■概要 グローバル資本主義と情報革命... powered by Peatix : More than a ticket.

前回のnoteで、30年も経ち勝敗が確定した後になって初めて、インテリぶって「キャンセルは問題です〜!」と評し出す人のオカシさに触れた。その証拠に彼らのほとんどは、現在進行形の『みい山』については発言しない。

もちろんそんな人たちは学者でも、批評家でも、文藝評論家でもありえない(自称はしてるかもしれないが)。彼らが時勢に呑まれて発する空言と、みいちゃんの「うああああ!」のどこに優劣があるのか、ぼくにはまったくわからない。

加藤典洋はなぜアメリカでもキャンセルされたのか|與那覇潤の論説Bistro
今月の『群像』9月号に載った、加藤典洋の未発表原稿が話題である。1995年の日本で起きた「敗戦後論」の炎上のせいで、米国の学会でも自分が極右扱いされてることを知った加藤が、抗議のために英語で執筆したものだ。 あまりにも本人の主張と乖離した虚...

作中でみいちゃんを騙す人たちのように、ニセモノが横行したこの10年間のゴマカシが破れ、「差別」に限らずあらゆるテーマで正否の転覆が始まっている。今年をそんな年として記憶することが、いまきわめて大切だと思う。

参考記事:イラストは6巻31話

なぜ日本の学者は「まちがえても撤回できない」のか|與那覇潤の論説Bistro
学者とは人柄を知らない時には、まったく素晴らしく偉い人に思われるのだが、近づけば近づくだけ嫌になるような人柄の人が多い。 学問が国民とまったく遊離しているという時の学者の典型は専門家である。 まったくの利己主義、独善主義、そして傲慢、しかも...
飲食店がぬい活禁止ルールを作った場合どうなる?
パブが「テーブルの上にぬいぐるみ置かないでください、汚損時に責任取れません、お子さんが置くのはOK」と表明したところ大議論になりました。

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年8月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください

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