世界的な前衛芸術家、草間彌生さんが8月14日、東京都内の病院で亡くなりました。97歳でした。亡くなる直前まで制作を続けていたといいます。
水玉、カボチャ、無限に続く鏡の部屋。現代美術に詳しくない人でも、一目見れば「草間彌生だ」と分かります。なぜ彼女は、日本人の現代美術家として突出した世界的ブランドになれたのでしょうか。

草間彌生さん
日本で成功してから海外へ行ったのではない
草間さんの経歴で重要なのは、日本で評価を固めてから海外へ進出したのではないことです。
1929年に長野県松本市で生まれ、1957年に渡米しました。ニューヨークでは「無限の網」の絵画やソフト・スカルプチャー、鏡を使ったインスタレーションなどを発表し、1960年代の前衛芸術の世界へ自ら飛び込んでいきました。
つまり「日本文化を海外に売り込んだ」のではありません。最初から世界のアート市場で勝負していたのです。
「一目で分かる」ことの強さ
草間作品の最大の特徴は、強烈な記号性です。
水玉、網目、カボチャ、赤いウィッグ。どれも作者名を知らなくても草間作品だと分かるほどの識別力があります。
しかも水玉というモチーフは、絵画だけではなく、巨大彫刻や建築空間、バッグやショーウインドーにまで展開できます。

『シャングリラの華』(2000年)霧島アートの森 Wikipediaより
作品の背景には「自己消滅」や「無限」といった重いテーマがありますが、表面的には華やかで分かりやすい。「深く読めるが、読まなくても楽しめる」。この二重構造が、草間作品の圧倒的な強さだったのでしょう。
SNS時代が草間に追いついた
さらに草間作品は、結果としてSNS時代との相性にも恵まれました。
代表的な「インフィニティ・ミラー・ルーム」は、鑑賞者が作品の外から眺めるのではなく、その内部に入り込む形式です。鏡と光が無限に広がる空間は写真映えし、世界中の展覧会で行列を生みました。

インフィニティ・ミラー・ルーム テート・モダン公式サイトより
しかし草間さんがSNS向けに作品を作ったわけではありません。SNSが登場するはるか以前から同じ世界を作り続けていました。半世紀後に時代のほうが草間作品へ追いついたともいえます。
芸術と商業を分けなかった
もう一つの特徴は、商業化を恐れなかったことです。
ルイ・ヴィトンとのコラボレーションでは、バッグや靴だけでなく店舗そのものまで水玉で覆われました。美術館に足を運ばない人でも、「KUSAMA」というブランドに接するようになったのです。

ルイヴィトン公式サイトより
一点数億円の美術作品を買う富裕層、美術館を訪れる観光客、ブランド商品を購入する消費者が、一つの世界観によってつながりました。
クールジャパンとは正反対だった
草間彌生さんの成功は、日本の文化輸出政策を考える上でも示唆的です。
政府が「日本文化を世界へ」と号令をかけ、補助金を配ったから世界的な芸術家になったわけではありません。20代で日本を飛び出し、世界最大の競争市場で戦い、一度は忘れられながらも復活し、60年以上にわたって自分のモチーフを掘り続けました。
世界で評価された結果、日本でも「世界的芸術家」と認識されるようになったのです。
国がブランドを作ったのではありません。一人の作家が誰にもまねできない世界を作り続け、そこに美術館も市場もファッションもSNSも後から集まってきました。
草間彌生さんが残した最大の教訓は、水玉の描き方ではありません。
世界に通用するものは、世界向けに作ることから生まれるのではなく、誰にもまねできないものを作り続けた結果として、世界に発見されるのではないでしょうか。







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