BBQや鍋に行けば誰がテイカーか分かる

黒坂岳央です。

今年の夏、地域のコミュニティでBBQ大会があった。子供たちは周囲の公園で遊び、大人たちは会話をして親睦を深めるというものである。

BBQや鍋へいけばその人の性格、能力はかなりの程度分かる。肉を焼き、皿を出し後片付けをするなど率先して動き回る人がいる一方、最初から最後まで何もせず、座ってじっとしている人もいる。

これは年齢によって意味は変わる。20代前半なら経験不足の反映に過ぎないことも多い。だが社会人経験を十分に積んだアラサー以降でこれが出るなら、それは経験ではなく姿勢の問題である。

この違いは、単なる気配りの問題ではない。誰にも強制されないからこそ、その人の能力や姿勢が全部出てしまうのだ。BBQや鍋で誰がテイカーなのかが分かると思っている。

※本稿は「その人の人となりを見破るための試し行動」ではない。そんなことをしなくても一緒に参加をすれば誰でも自然に見える。結果として人となりが見えてしまうという話である。

yasinemir/iStock

人はライフイベントを通じて学ぶ

社会に出てさまざまな経験をすると、こうした振る舞いは自然に分かってくる。結婚式に出れば、ゲストとホストの関係が分かるし、葬式に出れば、誰が主催する側で、誰がもてなされる側なのかが分かるのだ。

また、自分が結婚式を開いたり、誰かを自宅に招いたりすれば、ホストがどれだけ準備をしているのかも学習していく。人生のイベントを経験していけば、「人からもてなされたときにどうするべきか」は自然に身についていくようになっている。

筆者自身、若い頃にアメリカ人の家に遊びに行ったときに、一緒に行く友人から「手土産に赤ワインを買っていこう」と言われた。言葉には出さなかったが、「人の家にお邪魔する時は手土産が必要なんだな」と学ぶ経験になった。

また、東京のタワマンでさまざまな国籍の人が集まるホームパーティーに参加した時にも「土産を」といい出した人がおり、この時は過去の学習が生きた。

このように学校で学ぶことがなくとも、人は自然にライフイベントで常識を学んでいくのだ。

「日本人特有の同調圧力だ」という反発が来そうだが、むしろアメリカのほうがこの社交力を明示的に評価する社会である。

採用面接や昇進の場でソフトスキルやネットワーキング能力が公然と評価基準に組み込まれているのが米国型社会であり、「空気を読まず自分の感情を優先する人間」への評価は日本より厳しい。

人間性は「何気ない場面」に出る

人間関係で相手を知るには、下品な試し行動などをする必要はない。

普通に一緒に食事、旅行、仕事をすれば自然に分かる。知ろうとせずとも勝手に伝わる。

みんなで共同作業をする時に、誰かが料理を作り、皿を洗い、重い荷物を運んでいるなら、そのとき、自分はどうするのか。パッとみて仕事がわからなければ「何か手伝いましょうか」と声をかける事もできるだろう。それとも、「誰かがやるでしょ。自分はお客様なんだから何もしない」とそのまま相手の善意を受け取るのか。こうした小さな行動は、長い付き合いになるほど積み重なっていく。

BBQや鍋の場で「自分もこの場を作る側だ」と考えるのか、「誰かが用意したものを受け取るお客様側」だと考えるのか。この違いが残酷なまでに全部出る。普段は自分を飾る人も、たちどころに姿勢が見られてしまうのだ。

テイカーには二種類いる

ここで「テイカー」という言葉を使いたい。

テイカーとは、単純にケチな人や性格の悪い人という意味ではない。もっと本質的には、人間関係の中で、自分を「受け取る側」に置き続けようとする人だ。

この二者は年齢で切り分けられる。20代前半の無関心は経験不足、アラサー以降の無関心は姿勢の問題だ。社会人を10年もやっていて「何をすればいいか分からない」というより、分かっているのにやらないと周囲は受け取る。

筆者は以前、東京のタワーマンションで開かれたパーティーに参加したことがある。焼肉を食べる場だったが、年上の人たちが自然に動いていた。当時の自分は、何をすればいいのかよく分からなかった。だから、「BBQで動かなかった人間はテイカーだ」と言いたいわけではない。若い頃には、単純に社会経験が足りず、どう振る舞えばいいのか分からないことはある。

問題は、その後だ。「分からないことを放置するか、積極的に学習するか」という差である。昔、友人が家に遊びに来てくれた事があった。いつの間にか友人の一人が使った食器を洗ってくれていた。「自分がやるよ!」と言ったが、その友人は、「もてなしを受けたのでこのくらいはさせて」と言った。筆者はこのとき、非常に気持ちがよかった。別に食器を洗ってほしかったわけではない。その友人が、率先して場を作る側に立とうとしてくれたことが嬉しかったのである。

この時学んだ。何をすればいいのか分からなければ、聞けばいいと。「何か手伝いましょうか?」これは誰にでもできるし、その姿勢自体が大事だ。

気乗りしない飲み会で不貞腐れて何もしない人もいるだろう。会社の飲み会などはその典型だ。だが社交の場で自分の感情を前面に出すのは、子供の振る舞いでしかない。家庭で家事に積極的でない人間でも、社交の場では率先して動く。このモードの切り替えができるかどうかが、社会人としての最低条件である。

「自分コミュ障なんで」。これをいう側は「動けなくても仕方がない」という免罪符のつもりだが、周囲はテイカーと受け取る。20代前半なら笑って流すが、アラサーでそれをやると「社会性がない人」という受け取り方をされてしまう。それが人間社会である。そして今若くて動けてないなら、若い内に学んでおくべきだ。

もちろん、一度BBQで動かなかったからといって、その人をテイカーと決めつける必要はない。だがあらゆる場面で「お客様ポジション」を固めるなら話は変わってくる。

ここまで来ると、単なる経験不足では説明しにくい。この場合、その人にとっての人間関係とは「受け取る側」と解釈している可能性が高いと見ることが出来るだろう。

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Z世代を甘やかすな」(著:黒坂岳央)

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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