
締め切りを守る方法を1つだけ挙げろと言われたら、私は迷わずこう答える。締め切りを、自分に対して3日前倒しで嘘をつけ。以上。
ナレーターで著述家の中村郁さんが、まさにこれをやっている。5冊の本を出して、一度も締め切りを落としたことがないという。ご本人いわく、先の見通しは苦手だし、先延ばし癖もある。それでも落とさない。本当の締め切りより3日前をゴールに設定しているからだ。
肝は「できれば3日前に終わらせたいな」ではない、というところ。願望では意味がない。スケジュール帳の3日前の欄に、これでもかというくらい目立つように「ゴール!」と書き込む。願望を予定に変換する。ここだけは真似したほうがいい。
彼女はナレーターの仕事に加え、執筆、講演、そろばん塾の運営、2人の娘の子育てと家事をこなしているそうだ。……いや、待ってほしい。私はコラムの締め切りが3本重なるだけで機嫌が悪くなる。比べるのはやめよう。惨めになる。
なぜ当日をゴールにしてはいけないのか。生きていれば必ずイレギュラーが起きるからだ。子どもが熱を出す。急な仕事が入る。筆が進まない。
発達障害の特性がある人は、ここに気分の波が乗る。多くの人が気にも留めない些細なことでメンタルダウンしてしまう。だから執筆中は刺激を受けそうな場所に近づかない。心を守る。それでも防ぎようのないものは来る。
中村さんは、機嫌よく書き進めていたところに、所属事務所へ匿名の怪文書が送りつけられ、恐ろしくなって一文字も書けなくなったことがあると書いている。
この一節で、私は椅子から身を起こした。怪文書である。令和の話である。匿名で人を潰そうとする人間が、この国からいっこうに減らない。送る側は「事実を知らせただけ」みたいな顔をして、書けなくなった人間がいるという事実には、最後まで興味を持たない。腹が立つ。冷静に書こうと思ったのだが、やはり腹立たしい。
話を戻す。
どれだけ用意周到に準備しても、絶対に大丈夫なことなど、この世に1つもない。3日前のゴールは、その「絶対に絶対はない」に備える猶予である。保険料だと思えばいい。
そしてこの3日には、もう1つ意味がある。発達障害のある人は、追い込まれないと動けない実行機能の弱さを抱えていることが多い。その一方で、追い込まれたときに異常な集中力を発揮する過集中という特性も持っている。弱点と強みが同じコインの裏表になっている。
3日前をゴールに置けば、この裏表を同時に管理できる。「間に合わないかもしれない」と青くなっても、本当の締め切りまでまだ3日ある。内心焦りながら、平気な顔で「ここからが本番だ」とつぶやいておけばいい。得意の過集中を、最後の3日に叩き込めばいいのだから。
要するに、締め切りを守るべき期限ではなく、絶対に手をつけない備蓄として扱っている。バッファを最初から日程表に埋め込めば、想定外は想定内に変わる。うまい。
その場の判断力を信用しない。あらかじめ決めておく。意志ではなく、設計で乗り切る。意志の力でなんとかしろと言う人がいるが、あの手の精神論に付き合う義理は、こちらには1ミリもない。
※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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『発達障害・グレーゾーンかもしれない人の時間術』(中村郁 著)新星出版社
■ 採点結果
【基礎点】 40点/50点(テーマ、論理構造、完成度、訴求力)
【技術点】 20点/25点(文章技術、構成技術)
【内容点】 19点/25点(独創性、説得性)
■ 最終スコア 【79点/100点】
■ 評価ランク ★★★ 標準的な良書
■ 評価の根拠
【高評価ポイント】
・課題の絞り込み:初対面で何をがんばるかを1つに絞るという提案は、抽象論に逃げず行動レベルまで落とし込まれている。マルチタスクが苦手な読者に対してマルチタスクを要求しない、という設計思想が一貫している。
・体験の生々しさ:著者自身が通過した経験でなければ書けない具体性を備えている。読者が自分の場面に置き換えやすい。また、実行機能の弱さと過集中を対立させず、締め切りの3日前ゴールという1つの運用で同時に管理する構成は、当事者本ならではの実践知である。
・精神論の排除:冷静になろうとするのではなく、冷静でなくても回る仕組みを先に用意する、という立論は、意志の力に依存しない点で再現性が高い。
【課題・改善点】
・既刊との重複感:コミュニケーション、仕事術、時間術と主題が推移しているが、根底にある特性理解と対処法の枠組みが既刊と近く、通読すると既視感が残る。テーマの切り分けが難しい領域とはいえ、本作固有の射程がやや見えにくい。
・根拠の薄さ:実行機能や過集中に関する記述が、一般論としての言及にとどまっている。個人の経験則を裏づける外部の知見が乏しく、説得性の点で伸びしろがある。
・対象読者の幅:発達障害を持つ読者への呼びかけが前面に出ているため、同じ悩みを抱える非当事者読者を取りこぼす可能性がある。適用範囲の広さを示す記述があれば訴求力は増した。
■ 総評
コミュ力、仕事術、時間術と主題を移しながら、意志ではなく設計で乗り切るという一貫した思想で書かれた実用書である。挨拶だけに絞る、締め切りの3日前をゴールと書く、といった提案はいずれも明日から実行でき、当事者の体験に裏打ちされた具体性が本書の最大の強みといえる。
一方で、複数のテーマを扱いながらも根底の枠組みが既刊と近く、若干の重複感が残る点は否めない。すべてのテーマで重ならないよう執筆することは難しく、その意味では健闘しているが、本作が処女作であれば80点を優に超えていたであろう。79点と評価する。








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