欧米列強がきな臭くなっても日本はフェアネスを貫き通せ

7月まで在カナダ日本国大使だった山野内勘二氏が最近寄稿した記事の中でバンクーバー朝日という1914年にバンクーバーで生まれた日系の野球チームの話があり、その中にこんな一説があります。「自ら(バンクーバー朝日)はラフプレーを禁じ、白人チームがラフプレーを仕掛けても抗議せず、フェアプレーに徹したと云います。やがて、日系人の観客だけでなく、白人からも応援される存在になったものの、戦争によって“バンクーバー朝日”は解散。しかし、野球を通じて人種の壁を越えようとした彼らの精神は、戦後の日系コミュニティーの評価とともに復活しました」(日加トゥデイ)。

近年では力と力の応酬が当たり前で、ギリギリのラフプレイは野球やサッカーのようなスポーツのみならず、政治や経済、政権運営にまで広がります。何故ラフプレイがあるのか、意図せずしてそうなることもあるのでしょうが、最終的には何が何でも相手を屈服させるスタイルが大陸人の本性なのだと思います。カナダの国技であるアイスホッケーはスポーツ界におけるラフプレイの本家本元で年中、殴り合いのけんかをアイスリンク上で行い、相手が倒れるまで審判も止めません。決着がつくまでやらせるわけですが、当然そのあとはペナルティボックスで数分間、頭を冷やすことになります。

本ブログでは農耕民族と狩猟民族の話が時折出てきます。端的に言えば狩猟民族は大陸系の人に多く、常に領土の危険と背中合わせで弱肉強食を歴史的に育まれてきました。よって防衛に対して非常にセンシティブで時として力による屈服を目指すことが多いと思います。大陸では国土を接し、双方向の交流が日常的に行われている以上、外交も常時行われていると考えられ、なにか突発事項が起きれば今までの合意ラインを超えたというサインを認識しやすいでしょう。

ところが日本のような島国は外交が継続的というより断続的であり、海という緩衝帯のみならず、交渉において高い壁をはじめに築いてしまっています。また文化や人流、経済などの混じりあいは大陸では日常茶飯事ですが、島国ではそれが少ない特徴があります。

そのような背景の下、日本人は大陸人のようにラフプレイができるのでしょうか?私は出来ない、とほぼ断言します。それは日本人の本性であり、天照大神からそのような教えがなかったからであります。農耕民族として国を守るという独特な保守的精神に基づき、国土の拡大も求めないが、縮小もしないという発想です。

お前はバカか、と言われるでしょう。あの戦時中の日本の躍進はどう説明するのだと。

以下は私の個人的でかなり独創的な考え方です。日本の歴史における武士の存在を考えたことがありますか?時代は9世紀、平家や源氏の時代の直前に武士が生まれています。役割はガードマン。当時の荘園における警備としてスタートしています。それが変化して皆さんが知る武士のカタチになるのですが、その最盛期は戦国時代でした。彼らは刀を持ち、藩ごとのチームに分かれます。武士は剣術を磨くことをその生業とし、あとは人の首を取ることでヒーローと崇められたのです。

豊臣秀吉がなぜ朝鮮を経由して明と戦う気になったのでしょうか?秀吉が国家統一を成し遂げ、武士がやることが無くなったので彼らのために新たな世界に向かわせたと考えてみたらどうでしょうか?

江戸時代になり平和な260年が訪れ、武士が武士としての業務をするところが無くなってしまいます。

そして起きたのが幕末の戊辰戦争。刀で攻めた旧政府軍は新政府軍の西洋化した鉄砲と大砲にことごとく打ちのめされ、土方歳三は「刀を捨てよ」とまで言ったのです。武士の終焉であり、西洋式の軍が生まれるのです。明治維新後の日清、日露戦争の勝利で武士魂が軍人に生まれ変わり、その後の大戦前の破竹の勢いとなります。 が、しかし敗戦を迎えた時、日本人は人力でもって戦う意志を失ってしまったほど打ちのめされます。とすれば私は日本の軍国地代は武士の時代の亡霊ではなかったかと考えるのです。

戦後の日本は平和主義を唱えましたがそれは武士のいない日本であり、故に農耕的な日本の道徳心を前面に出す社会構築が必然であったのです。日本は再び欧米と戦争をしたいとは思わないでしょう。その理由の一つは体格もあるし、血の気も違う、そしてそれ以上に戦術やその体制が全く違うのです。

大陸文化である狩猟社会で長い歴史を過ごしてきた彼らは戦うことにあまりにも慣れているのです。その好例と衝撃がノモンハンの戦いだったと思います。

日本が主導するフェアネス、例えばICCの赤根所長は強いと思います。彼女は日本的フェアネスの典型を貫いています。アメリカが上から目線で制裁をしようとも彼女は強い志を持ってそれを跳ね返しています。

赤根智子氏 ICC 国際刑事裁判所HPより

近年の戦争において日本はやや強いものに巻かれる傾向があると思います。

ウクライナ戦争。私は初めからどうでもよい戦争だと考え、どっちもどっちだというスタンスでした。チカラによる制圧を許してよいのか、と言われますが、つい100年前までそれが当たり前だった大陸人にとってアイスホッケーの如く、どちらかが倒れるまでやり続けるのです。その時、チームメートは加勢せずに取り囲むことが大半です。ならばウクライナの戦争も欧米や日本が両国を取り囲み、フェアネスの二国間の戦いとし、他の国を巻き込ませず、最後は両国がペナルティボックスに入る方が良かったのです。つまり勝者を作らないのです。少なくとも日本はそれを貫くべきでした。ですが、G7の絡みか、西欧諸国チーム所属の絡みかわかりませんが、岸田氏がのこのこ、戦地に行ったことが間違いだったのです。日本はジャッジに徹すればよかったのではないでしょうか?

ニューヨークを訪問した岸田首相とゼレンスキー大統領 2024年9月 首相官邸HPより

欧米列強がきな臭くなっていますが、日本はそれに踊らされず、日本人としてのプライドと冷静さと農耕民族としての教えを説くぐらいになってもらいたいと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年9月18日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。

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