AfD排除で進む「ドイツ民主主義の侵食」:ベーメ=ネスラー教授の警告

憲法学者で、オルデンブルク大学教授のフォルカー・ベーメ=ネスラー氏のポッドキャストを見ていてショッキングだったのは、「近年、ドイツで進行していることを見て確信したのは、憲法は平和な時代には機能するが、困難な時代、不穏な時代、社会に断絶の起こっている時代には、何も阻止できないということだ」という不吉な発言だった。

氏には多くの東独出身の友人がいるが、彼らは民主主義の侵食をいち早く感じ取る敏感な触覚を持っているという。そして、それはまさに現在、始まっていると。

1987年、民主主義を希求した彼らは、何十万人もの市民と共に命を賭けて反政府デモに参加し、その結果、世界でも稀な“無血革命”が達成された。「しかし、それは、40年後にまた同じことを体験するためではなかった」。友人たちがそう語るのを聞いて、ベーメ=ネスラー氏は呆然としたという。

AfD大勝と崩れた「防火壁」

9月6日、ザクセン=アンハルトの州議会選挙でAfD(ドイツのための選択肢)が大勝した。これまでAfDを無視、排除してきたCDU(キリスト教民主同盟)は、その作戦が瓦解し、パニックに陥っている。

AfDを阻害するためにメルツ首相が発明した「防火壁」というのは、AfDの議員とは接触しない、AfDの出した議案には賛成しない、CDUの議案が社民党や緑の党に反対されて通らないときでも、AfDの賛成票で案件を通すことはしないという、政策の内容とは無関係な鉄則を謳っている。

ドイツの政界ではこれまで、「防火壁」以外でも、すべての党が一丸となってAfDを潰すためのありとあらゆる努力がなされてきた。特にCDUでは最近、あたかもAfD打倒が主要課題のようだった。しかし、それが逆効果となり、ザクセン=アンハルトの州議会選挙では、AfDの勢いは得票率43.8%という絶好調だった。

AfD排除は民主主義なのか

それでも、敗者であるCDUは、民主主義に基づいて潔く政権を譲る気はなく、「反民主主義の政党に政権は渡せない」として、選挙を無効にする方法や、AfDを違憲の党として禁止する作戦などを練り始めている。ザクセン=アンハルト州のAfDに投票した州民の“主権”は、完全に無視だ。10年前には誰がこんなことを想像しただろう。

そもそもAfDがしてきたのは、政府を批判し、さらに政府とは異なる政策を掲げるという、野党として当然のことだ。特に、エネルギー政策や移民政策など、国民が苦悩している分野での政策は真っ向からぶつかっていた。

民主主義の基本は、強い野党の存在だ。強い野党があり、与野党の間で激しい議論が行われることが理想だが、意見が完全に一致する必要はない。要は、議論がし尽くされて、そこから国民の多くが納得できる最善の妥協案が生まれてくること。これが民主主義の目標とすべき落とし所だ。議論しているうちに、相手の言い分が正しいと思う瞬間もあることは、普通の社会生活をしてきた人間なら、誰しも経験している。

また、もう一つの民主主義の特徴は、選挙による平和的な政権交代。しかし、前述のように、現在の与党であるCDUと社民党は、まさにそれを拒絶している。自分たちの政策に対する批判を、民主主義に対する攻撃に置き換え、政策論議をしないまま、目障りな野党を排除するなら、まさに民主主義とは対極の行動だ。

AfD候補者から被選挙権まで奪う

そうでなくてもドイツでは、AfDに対する弾圧がすでにかなり進んで、民主主義が危うくなっている。例えば、AfDから選挙に立とうとした人が職を失う。

ニーダーザクセン州では9月13日に市町村選挙が行われたが、AfDから立候補しようとした女性(62歳)が雇用者から、「立候補を取りやめるか、辞職か」と迫られ、取りやめなかったため即時解雇された事案がある。

この選挙では、その他4人の候補者が、それぞれの地区の選挙委員会によって、AfDの党員であるから民主主義者でない可能性があるという理由で被選挙権を奪われた。法的な裏付けは何もない。

昨年は他の都市でも、市長などかなり重要なポストで同じようなことが複数起こり、現在、どれも提訴中だが、問題は、被選挙権という基本的人権の剥奪が、ドイツではすでに当たり前のように行われていることだ。

AfDに対する迫害は、おそらく日本の読者は信じられないだろうと思うような事例も山ほどあるが、主要メディアは大した批判もしない。その事情については下記の拙ブログに詳細な論考を載せたので、ご興味とお時間のある方は覗いていただきたい。

日本のメディアが半分しか報じないドイツAfD圧勝の背景と「何でもあり」の反AfD妨害行為|川口マーン惠美(ドイツ流、日本流)
9月6日のザクセン=アンハルト州議会選挙でAfD(ドイツのための選択肢)が圧勝、CDUが歴史的大敗を喫して1週間あまり。 現在、ザクセン=アンハルト州だけでなく、このAfD現象の波及を恐れている他の州や自治体の政治家が与野党一丸となって、A...

いずれにしても、こんなことを放置しておくと、気がついた時には思想の自由も、言論の自由も、通信の秘密も、普通選挙も、もう無いかもしれない。そうなれば、まさに東ドイツに逆戻りだ。

「極右」指定と政府・メディアの距離

AfDは現在、「極右の疑いのある政党」と指定されており、だからメディアはAfDのことを「極右」と書くが、指定したのは裁判所ではなく、内務省の下部組織の憲法擁護庁だ。連邦(国)の内務省の下には連邦の憲法擁護庁があり、その他、各州の内務省の下にもそれぞれ州の憲法擁護庁がある。

憲法擁護庁の任務は、元はと言えば、国内でテロや政府転覆が仕組まれていないかなどを見張ることだったが、今ではあたかも政府の権力を使って政敵=AfDの伸張を阻止する機関のようになっている。そして、AfDがこの指定を解除させようとすると、裁判に訴えるしかない。

ちなみに、政府とメディアの距離を近づけたのは、メルケル元首相の“手腕”だったが、本来のメディアの使命は、政府の監視だ。政府と仲良くしていては、当然、批判も告発もできなくなる。昨今、ドイツの公共メディアが政府の広報担当のようだという批判の声が高くなっている。

また、現在は、政府と裁判所との距離も近づいているように感じる。やはりメルケル政権時代、独断で原発を止めさせた政府の措置が違法だとして電力会社が訴えていた最中に、その件を担当していた最高裁の長官をメルケル首相が官邸にディナーに招き、大きく問題視されたことがあった。国民の目にはあまり見えないこれら小さな事象が、ドイツが次第に旧東ドイツ化していく兆候のような気もする。16年のメルケル政治の置き土産は結構多いのかもしれない。

旧東ドイツの記憶とAfDの台頭

最近、私は、旧東ドイツの人に少しずつインタビューをし始めている。東西ドイツの統一とは決して平等なものではなく、当時の西の人たちの東に対する態度は、完全に上から目線だった。その事実を、悔しい思いをした東の人たちはよく覚えているが、西の多くの人たちは知らない。36年が過ぎた今、若い世代での偏見はほぼ消えたものの、しかし、東西の距離はまだ大きい。

そう思って現在のAfD現象を見ると、大変興味深い。AfDというのは西で生まれた政党だが、成長したのは東だった。

ドイツは戦後、再び民主主義国として独立して以来、少なくとも1990年の東西統一までは、中道保守のCDU/CSUと中道左派の社民党が交互に政権をとり、二大政党制をうまく機能させながら、国力を伸ばしてきた。

ところが、2005年にメルケル首相の政権下で社民党との連立となり、その二大政党制が崩れた(メルケル政権16年のうちの12年が社民党との連立政権)。その間に、CDUは保守の顔をしながら左傾化し、保守の場所が空白になった。そこにすっぽりAfDが入り込み、迷子になっていた保守層を吸収したのが、現状につながっている。

特に、メルツ首相になってからは、バカげた「防火壁」のため、CDUは社民党(現在の支持率13%)や緑の党(同14%)など左派勢力に頼るしかなくなった。その他にもさまざまな公約破りで、現在、メルツ氏に対する不満は国民の間で爆発寸前になっている。もちろん、党内での後ろ盾も急激に崩れており、すでに、今年のクリスマスの首相談話はいったい誰が?という憶測まで流れているほどだ。

いずれにせよ、AfDは現在、唯一の保守政党として、CDUが20年前まで主張していたことを唱えているに過ぎない。一方、CDUはAfD以外のほぼ全ての党(全て左翼)とスクラムを組んで、異なる意見を受け付けないという体制を作っている。

それに対し、これは左傾ではなく、全体主義化につながるとして、強い警告を発しているのがAfDだ。そして、この警告が、旧東ドイツの多くの人たちの琴線に触れた。

壁の向こうの孤立した国で、東ドイツ当局のニュースを見ながら、西ドイツのテレビも見ていた彼らは、常に、何がプロパガンダで、何が真実かを見抜くレッスンをしていたようなものだった。そんな彼らが、今、“政府公報”ではなく、AfDの主張に耳を傾けているのは、現在のドイツのニュースがプロパガンダっぽくなっているという証左ではないか。

ドイツ民主主義を試す「耐久テスト」

ベーメ=ネスラー教授の言葉を借りるなら、今、起こっていることは、ドイツが本当に法治国家なのか、民主主義が正しく機能するのかを試す“耐久テスト”だ。AfDの勝利は民主主義の瓦解ではなく、それがまだ機能しているということを示す、いわば民主主義の祭典であると。

私は、ドイツがこの耐久テストに合格してほしいと願っているが、そのためには、AfDを潰すべき“敵”ではなく、フェアな“政敵”として認めることが第一歩だろうと思う。

AfDが大勝した選挙から6日後の9月12日、全国の都市で一斉に、AfDを政権に就かせないためのデモが行われた。公共放送がそれを民主主義の高まりのように報道していたが、本当にそうだったのか。官製デモの可能性はなかったのか? ザクセン=アンハルトでAfDに投票した人たちは、そのデモをいったいどんな気持ちで見ていたのだろう?

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