暮らしは苦しいのに、なぜ政府の税収は増えるのか

島澤 諭
記事のポイント
  • 政府の税収が増えても、それが国民の豊かさを意味するとは限らない。
  • 物価上昇によって消費税収が増え、賃金や企業収益の名目増加で所得税・法人税も増える。
  • そのため、実質成長が乏しくても税収だけが膨らむことがある。
  • 給料が増えても、物価や税・社会保険料の上昇に追いつかなければ、国民の購買力は低下する。
  • 「過去最高の税収」を経済政策の成果とみなすのではなく、税引き後の実質可処分所得を見るべきである。
  • 本来は、国民の実質所得が増え、その結果として税収も増えるのが健全な姿である。

スーパーへ行くたびに、食品の値段が上がっている。電気代やガス代も重い。給料が少し増えても、物価の上昇に追いつかず、以前と同じ生活を続けるだけで精いっぱいである。

それなのに、政府から聞こえてくるのは「税収は過去最高」「今後も税収は増える」という景気のよい話ばかりだ。

なぜ、私たちの財布は薄くなっているのに、政府の財布だけが厚くなるのか。

答えは単純である。私たちを苦しめている物価上昇そのものが、政府の税収を増やしているからだ。

政府の税収は今後も増えていく

財務省によると、2026年度の一般会計税収は83.7兆円と見込まれている。名目経済成長率を年3%と仮定した試算では、税収は2027年度に87.8兆円、2028年度に92.2兆円、2029年度には95.5兆円まで増える。

名目成長率を年1.5%とした場合でも、2029年度の税収は90.6兆円に達する。これらは一定の経済前提に基づく機械的な試算であり、将来の税収を確定的に示すものではない。それでも、政府が名目経済の拡大に伴って税収が増え続ける姿を描いていることは確かである。

しかし、この数字を見て「日本経済が成長している」「国民も豊かになっている」と受け止めるのは早い。

税収が増えることと、国民が豊かになることは同じではない。国民の暮らしが苦しくなる過程で、政府の税収だけが増えることさえある。

国民を苦しめる物価高が、政府を太らせる

たとえば、昨年100円だった商品が今年110円になったとしよう。

買う量が同じでも、私たちが支払う金額は増える。食卓が豊かになったわけでも、購入した商品の量が増えたわけでもない。ただ値段が上がっただけである。

ところが、政府にとっては事情が違う。商品の価格が100円から110円になれば、消費税の課税対象となる金額も増える。値上げによって企業の売上高や利益が名目上増えれば、法人税収も押し上げられる。物価上昇に追いつくために賃金が引き上げられれば、所得税収も増える。

つまり、国民の生活が豊かにならなくても、物価や賃金などの金額が膨らむだけで、政府に入る税収は増えていく。

私たちは同じ商品を買うために、以前より多くのお金を支払う。政府は、その増えた支払いから税金を受け取る。

物価高に苦しむ国民の隣で、政府の税収だけが膨らんでいく。これを国民生活の改善や経済の成果として喜ぶ感覚には、強い違和感を覚えざるを得ない。

給料が増えても、買えるものは減っていく

この問題を理解する鍵が、「名目」と「実質」の違いである。

名目とは、給料や売上高など、金額そのものを表す。実質とは、物価の変化を考慮したうえで、そのお金で実際にどれだけの商品やサービスを買えるかという購買力を表す。

月給が30万円から31万円になれば、名目上の給料は増えている。しかし、その間に物価が5%上がれば、31万円で買えるものは以前より少なくなる。

給料の数字は増えている。だが、暮らしは苦しくなっている。

それでも政府は、増えた名目賃金をもとに所得税を集める。所得税には累進税率があるため、物価に追いつくために賃金が上がっただけでも、税負担が増える場合がある。さらに社会保険料まで増えれば、手取りの増加は小さくなり、働く人の購買力は一段と圧迫される。

給料が上がったと聞かされても、暮らしが楽になったと感じられない。その理由は、給料の金額ではなく、税や社会保険料を支払った後に何をどれだけ買えるかで、私たちの生活が決まるからである。

実質成長が乏しくても、税収は膨らんでいく

企業の生産性が高まり、付加価値が増え、働く人の実質賃金が上昇した結果として税収が伸びるのであれば、その増収は健全な経済成長を反映している。国民が豊かになり、そこから生まれた所得の一部が税収として政府に入るからだ。

しかし、物価が上がるだけでも名目上の経済規模は拡大する。企業の売上高や賃金の金額が膨らめば、国民の実質的な購買力が伸びていなくても税収は増えていく。

政府の帳簿には「税収増」と記録される。一方、家計の帳簿には食費、光熱費、住宅費、税金、社会保険料の増加が記録される。

同じ日本経済のなかで、政府の財布は厚くなり、家計の財布は薄くなる。

政府の税収が増えたからといって、それを国民が豊かになった証拠とみなすことはできない。国民の負担が膨らむ過程で、政府に集まるお金が増えている可能性があるからだ。

国民の実質所得が伸びないまま税収だけが増えるなら、それは国民とともに豊かになる政府ではない。国民が痩せる一方で、政府だけが太っていく姿である。

「過去最高の税収」に惑わされてはいけない

もちろん、実際の税収増には物価上昇だけでなく、企業収益の改善、賃上げ、株式や不動産の譲渡所得の増加など、複数の要因が含まれている。

2025年度の一般会計税収が増えた背景にも、法人税収の増加や所得税の定額減税終了など、さまざまな要因があった。したがって、税収増のすべてを物価上昇だけで説明することはできない。

しかし、複数の増収要因があるからといって、物価上昇によって膨らんだ税収まで、実質的な経済成長の成果として扱ってよいことにはならない。

問うべきなのは、税収がいくら増えたかではない。その税収を支えた国民の暮らしが、実際に豊かになったかどうかである。

政府は税収の数字を示せる。企業も売上高や賃金の数字を示せる。しかし、私たちが毎日の買い物で感じているのは、名目上の数字ではなく、実際の購買力である。

同じ給料で買える食料品が減った。電気代を気にして冷暖房を控えるようになった。税や社会保険料を引かれた後の手取りでは、貯蓄や将来への備えにまでお金が回らない。

この現実を横に置いて「過去最高の税収」と喜ぶなら、それは国民の豊かさではなく、政府がそれだけ多くのお金を集められたことを祝っているにすぎない。

税収増は、政府の手柄ではない

そもそも税収は、政府が自ら稼いだお金ではない。

働く人の給料から納められた所得税であり、消費者が買い物のたびに負担した消費税であり、企業が生み出した利益から納められた法人税である。政府の税収が増えたということは、それだけ多くのお金が家計や企業から政府へ移ったということでもある。

それにもかかわらず、税収増が政府の経済運営の成果であるかのように語られる。そこには、税金を負担した国民の姿が欠けている。

測るべきなのは、税金をどれだけ集めたかではない。その負担を支えた国民の生活がどれだけ良くなり、集めた税金がどれだけ暮らしに役立てられたかである。

国民の実質所得が増え、税や社会保険料を支払った後にも生活の余裕が広がっているなら、税収増は経済成長の成果といえる。国民の購買力が低下し、生活の余裕が失われるなかで税収だけが増えているなら、それは政府への資金集中が進んでいるということである。

税金を集める側の数字だけを見て、経済の好調を語ってはならない。

税金を払った後の国民は豊かになったのか

次に「税収が過去最高」というニュースを見たら、一つだけ確かめてほしい。

税金を集めた政府ではなく、税金を払った後の国民は豊かになったのか。

見るべきなのは、政府の税収額だけではない。物価を差し引いた実質賃金であり、税や社会保険料を支払った後に家計へ残る実質的な可処分所得である。

政府の税収が増えても、国民が買えるものが減っているなら、日本全体が豊かになったことにはならない。政府の財布が厚くなり、家計の財布が薄くなっただけである。

実質的な経済成長が乏しいまま、物価と負担の上昇によって税収だけが増えていく。その状態を「財政の改善」や「経済の成果」として喜ぶ感覚こそ、問い直さなければならない。

国民が豊かになり、その結果として政府の税収も増える。それが本来の順序である。

国民が痩せ細る一方で政府だけが太っていく経済は、健全な経済とは呼べない。


編集部より:この記事は財政学者・島澤学氏のnote「市民経済論で読む日本」2026年9月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は島澤学氏のnote「市民経済論で読む日本」をご覧ください

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