
今年もあと90日ばかりだが、誰もが知るとおり、2026年は日本で「左派勢力が壊滅した」年として歴史に残る。リベラルの不振は西側世界に共通でも、ここまでボロボロなのはウチの国だけだ。
もちろん敗戦直後の混乱期を除くと、冷戦下で一度も左派政権を作っていないヘンな国なので、「元からそうじゃね?」と言えばそうかもしれない。が、そこにはひとつ、大きな見落としがある。
政治的に劣勢でも「ほんとうに正しいのはこちらのはずだ」という、戦後昭和の革新陣営の自意識は、当時はそれなりに広く大衆の支持を得ていた(60年安保を見よ)。その幻想をメンテナンスするのが、知識人の役割だった。
が、令和のいまや、”権威ある” はずの東大教授が率先してデモやSNSで「世論の立ちんぼ」に精を出し、暴言で顰蹙を買い、まともな処分のできない大学やリベラルメディアの信用まで失墜させる。つまり完全消滅である。

なんで、こんなことになってしまったのか。
この夏にはたまたま、ネットでぼくの政治的な立場を論評してもらう機会が重なり、その頃から「うーん」と考えていた。まず、ぼくのことを保守派として見ているのが、年間読書人さん。

与那覇潤は、大雑把にいえば「保守」の人だと言えるだろう。とうてい、左翼ではないし、ましてや「革新」などではない。
一方、私はというと、どちらかと言えば「左翼」に分類される。
(中 略)
だが、真っ当な「保守思想」というものは、決して「現状肯定」などではない、ということも徐々にわかってきた。では、彼らはどう考えているのかと言えば、「現状で何も問題がないとは思えない。だが、問題の無い現実などというものは、そもそも存在し得ない」と、そういう認識なのだ。
週刊読書人氏、2026.8.19
(強調を付与)
まったく逆に、いわゆる「リベサヨ」(リベラル左派)としてぼくを捉えているのが、kous37さん。ぼく自身の自認はこちらに近いが、おふたりとも拙著に目を通した上で論じてくれているのが誠実で、とてもありがたい。

與那覇さんもオープンレター批判を大々的にやっておられたので当時は保守に近い考えなのかと思ったこともあったが、その後のご著書を読んでいるとやはり基本は左翼リベラルだなとは思う。「中国化」というキーワードも、保守派であれば使うことはないだろうと思う。
與那覇さんのnoteでの議論を読んでいると、つまりは目的は学界や世論の「正常化」にあるんだろうなと思うことが多いのだけど、「正常化」というのは渡部昇一や石原慎太郎がやってたこととは違う方向性で……着地すべきところと想定している場所の面積はけっこう狭いのではないかという気もする
kous37氏、2026.8.21
(リンクを追加)
同じ人(笑)の評価がなぜ正反対になるかというと、左の側ほど、「あらゆる問題が解消され、したがって意見も割れず、”単一の正しさ” を信じればいい」社会なんてありえないことを、肝に銘じていた時代がかつてあった。
わかりやすくデビュー年で並べれば、1969年の庄司薫、79年の村上春樹、85年の加藤典洋。遅くとも冷戦の後半期には、安易な解放の幻想に溺れず、自分の無力さを見つめることから出発する姿勢が、スタンダードだった。

彼らの系譜は、どこへ行ったのだろう。
その思索をきちんと継ぐなら、①自分とは異なる意見が複数ある状態こそが健全であり、逆に②全員が異口同音に同じことを言い出したらヤバいということに、すぐ気づく。これが、ほんとうの意味での “リベラルな左翼” だ。

ところが、いま悪口として呼ばれる「リベサヨ」はそうではなく、①ホンネでは “正しい唯一の意見” を誇示してマウントを取りたいだけなのに、②冷戦後にサヨクがダサくなったから、看板を “リベラル” にかけ替えた人たちだ。
つまりニセモノなわけだが(苦笑)、彼らは「知識ある俺たちが、他人に命令したくてたまらない」という欲求だけで生きてるので、なんらかの危機の中でそのポジションをゲットした “専門家” を、神輿に乗せて推し始める。


要は冷戦後に凋落が著しく、平時には相手にされなくなって久しい “知識人” の残党が、有事のセンモンカ・ブームに便乗して一発逆転を目論み、大コケしたのが現状なのだ(哀笑)。その自覚なしに、復権する日は来ない。
もちろんぼくは自覚のある方なので、10/21刊の専門家批判の書『なぜ「まちがえた」と言えないのか』でも、しっかりそのプロセスを論証しているが、嬉しいことにいいニュース(?)もある。
日本ほど極端でなくても、リベラルや左派の没落は西側諸国で共通だが、嫌われているのは(エコロジーやLGBTといった)主張の中身ではなく、「これしかあり得ない!」として周囲に強要する態度の問題なのだ。

以下の記事で知り驚いたが、最近では左派系の反戦活動をSNSで勧める人が、「異論をぶつけられないように、コメントはミュートに設定しておきましょう」と “指導” する例まであるという。
平成に問題化した「ひきこもり」の原語はSocial Withdrawal(社会からの退却)だったが、ここまで来た人たちは、その意味でのPolitical Withdrawal(政治的ひきこもり)である。なら、ノンポリのままでもいいのに。

いつもお世話になる文藝春秋PLUSが企画してくれて、10/1に浜崎洋介さんと「日本の左派壊滅」について議論する番組の収録がある。公開はもう少し後になるが、今回はオマケがついている。
同チャンネルはライブ配信を増やしているようで、同日も録画部分を撮り終たら “生中継” に切り替え、「公開打ち上げ」みたいな感じでわいわいやるそうだ。10/1(木)20:30~が目安で、以下からYouTubeで視聴できる。
ホンモノのリベラルであるぼくはもちろん、”保守” の浜崎さんも、異なる意見との対話は常に歓迎だ。暗い報道ばかりの昨今だが、いまや稀少な「立場を問わない自由な議論」を、秋の夜長に楽しんでもらえたら幸いである。
参考記事:



(ヘッダーは9/13、ゼロ打ちでの落選を支持者に詫びる玉城デニー沖縄県知事。時事通信より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年9月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







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