【ボスニア・ヘルツェゴビナ総選挙】「デイトン和平協定」が民族統合の障害に

ボスニア・ヘルツェゴビナで4日、連邦、共和国レベルの議会選挙が実施された。現地からの報道によると、民族主義政党が依然として優勢を維持している。中央選挙管理委員会(CIK)の集計90%以上の段階で、大きな情勢の変化は見られない。投票率は41.5%に留まり、過去最低を記録した。

勝利宣言をする独立社会民主同盟(SNSD)のミロラド・ドディック氏

ボスニアでは人口の約半数を占めるイスラム教徒のボシュニャク人、3分の1を占める正教徒のセルビア人、そして15%を占めるカトリック教徒のクロアチア人の3民族間で対立が起き、セルビアが引き起こした内戦は1992年から1995年まで続き、約20万人の犠牲者、200万人の難民・避難民を出した。1995年、パリでデイトン和平協定が締結されて一応終戦を迎えた。その後、ボスニア・ヘルツェゴビナはボシュニャク系とクロアチア系両民族から構成された「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア系の「スルプスカ共和国」(RS)の2つの主体から成り、高度な自治権を持つ2つの構成体に分かれた。

3人から構成される国家元首(幹部会)メンバーには、ボシュニャク人のデニス・ベチロヴィッチ氏とセルビア人のジェリャカ・ツヴィヤノヴィッチ氏が再選され、、クロアチア人枠のメンバーとしては、ダリヤナ・フィリポヴィッチ氏が新たに選出された。

ボシュニャク人枠の選挙戦では、社会民主党のベチロヴィッチ氏が得票率38.1%を獲得し、イスラム系民族主義政党SDAの党首バキル・イゼトベゴヴィッチ氏(得票率34%)を破った。

セルビア人枠では、セルビア人構成体の民族主義与党SNSDに所属するジェリャカ・ツヴィヤノヴィッチ氏が55.6%の得票率で圧勝した。対立候補である穏健な民族主義政党SDSのマリンコ・ボゾヴィッチ氏の得票率は26.8%に留まった。

クロアチア人枠でHDZ BiH(ボスニア・ヘルツェゴビナ・クロアチア民主同盟)のダリヤナ・フィリポヴィッチ氏が48.2%の得票率を得て、社会民主党のスラヴェン・コヴァチェヴィッチ氏(得票率28.8%)に大差をつけた。

なお、セルビア人居住地域(構成体)では、同地域の有力者ミロラド・ドディク氏率いるSNSD(独立社会民主同盟)が権力基盤を固めた。同党の候補者サヴォ・ミニッチ氏が大統領選で圧倒的な勝利を収めたほか、議会選挙でも得票率39%(2022年の34.6%から上昇)を獲得し、引き続き地域議会における支配的な勢力としての地位を維持している。長年にわたりスルプスカ共和国の大統領を務めたドディク氏は昨年10月、分離独立を志向する活動を理由に、昨年サラエボの裁判所によってその職を解任された。

【一口解説】
ボスニアの選挙結果について、メディアの扱いは控えめで、選挙結果を報道するだけで終始している。すなわち、ボスニアの政情に大きな変化がないばかりか、近未来の見通しも見えないからだ。イスラム系、クロアチア系、そしてセルビア系の3民族の分割はさらに強固となり、民族の統合といった期待はさらに遠ざかった感じがする。同国は2022年後半から、EU加盟候補国だが、加盟交渉は久しく停滞している。

各民族集団から1人ずつ選出される3人構成の国家元首(幹部会)に加え、国家レベルの議会、そして国内の2つの構成体(エンティティ)である「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」(クロアチア人とボシュニャク人が多数を占める)と「スルプスカ共和国」(セルビア人が支配的)の議会が選出された。さらに、連邦内の10の「カントン(州)」の議会や、スルプスカ共和国の指導者(大統領)の選挙も実施された。立候補者数は合計7,028人に上る。

多くの重要な権限は中央政府ではなく、構成体(エンティティ)やカントン(州)に属しているから、権限の所在が不明確になりやすく、政治的な決定が阻まれるケースが多い。実質的な政策課題よりも、民族的アイデンティティが中心的な位置を占めている。ボシュニャク系住民の多くが中央政府の権限強化を支持する一方で、セルビア系およびクロアチア系の民族主義者たちは、より広範な自治を強く主張している、といった具合だ。

政治の停滞は、汚職、脆弱な統治機構、経済的展望の欠如、そして教育や医療における不備となって出てきている。そのため、若者の間では国外へ移住する傾向が強まっている。低い投票率は国民の政治への不信感を反映している。デイトン合意以来、上級代表が広範な権限を行使してきたが、5月に退任したクリスチャン・シュミット氏の後任人事が決まらず、現在は暫定的に職務が代行されている。

ボスニア紛争でセルビア軍が8000人以上のボシュニャク男性と少年を虐殺した通称「スレブレニツァ虐殺事件」について、同虐殺に関与したボスニアのセルビア軍ラトコ・ムラディッチ司令官は2011年以来、オランダのハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)で有罪判決を受けて収監されてきたが、ハーグで今年8月27日病死した。その司令官を民族の英雄とするスルプスカ共和国やセルビアで国葬が挙行されたばかりだ。ボスニア紛争の歴史について、3民族間で共有されていないのだ。

ウォルフガング・ぺトリッチュ元ボスニア和平履行会議上級代表は2005年、当方とのインタビューで、「ボスニアでは冷たい和平が支配している。ボスニア紛争は内戦だった。外部の侵略を契機に始まり、勝利者と被占領者に分かれる戦争とは異なり、内戦には勝者はなく、敗者しか存在しない」と語り、「冷たい和平」の前途が厳しいことを示唆した。

「ウィーン国際比較経済研究所」(WIIW)の上級エコノミスト、ウラジミール・グリゴロフ氏は、「ボスニアがうまくいかない最大の原因はデイトン和平協定だ」と述べ、同協定がその後の民族間の統合、発展を妨げる最大の障害になっていると指摘した。和平協定が停戦をもたらした功績は大きいが、ボスニアの現状を見るにつけ、グリゴロフ氏の苦い指摘に同意せざるを得ないのが実情だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年10月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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