「長年にわたる経済の低迷」と「尖閣問題の先鋭化」の中で、衆院選が戦われる。大方の予測では、安倍政権が、かつての自民党政治を復活させるだろうという事だ。
組閣から丁度1年目にあたる2007年の9月に、安倍さんは病気を理由に退陣したわけだが、実際には、参院選に惨敗した後、やる事なす事うまくいかず、精神的にも追い詰められた結果としての退陣だったと、多くの人は見ている。今回は「健康が回復した」という建前での復活だが、前回と比べて何が変わるのだろうかと考えてみても、殆ど何も見えてこない。要するに、「何事にも稚拙だった民主党政権に比べれば、まだ自民党政権の方がマシ」と考える有権者が多いだろうというだけの事だ。残念ながら、これがあまりに悲しい日本の現実だ。
安倍さんは、かつての総理時代にも「美しい日本」というモットーを掲げ、国家主義的な傾向を強く滲ませていたが、今度はこれを、党内からは石破さんが、党外からは石原慎太郎氏などがプッシュするのだから、相当の右傾化は避けられないだろう。尖閣問題に起因した中国での反日暴動などの影響で、日本人の対中警戒心、敵愾心がこれ迄になく高まっている現在、国家主義的な発言は支持されやすいが、安倍さんがこれに気を良くして悪乗りすると、碌な事にはならないだろう。
私は「いつの日かは世界から国境というものがなくなるべき」という考えだから、「国家主義的な考え」にはあまり共感はもてない。しかし、現在の世界の枠組みが「国家」から成り立っている限りは、常に自国の利益を考え、他国の干渉を許さない体制を堅持すべきは当然と考えている。従って、他国が軍隊を持っている限りは、これに対抗できる軍備を持つのは当然と考えており、従って「現行憲法の改正は絶対に必要」という考えだ。
にもかかわらず、私が自民党の右傾化に危機感を覚えるのは、ポピュラリズムに支えられた過度な国家主義は、経済原則を無視する方向に走り、結果として将来の「経済破綻」を招きかねないと考えるからだ。国民は、よほど丁寧に説明しない限りは、将来大きくのしかかってくる「経済破綻」のリスクには目を瞑り、勇ましい言葉に興奮する傾向がある。国のあり方に真に責任を持つ政治家なら、本来は「長期的利害を国民に十分に説明する」べきなのだが、ポピュラリズムに走れば、こんな事はいとも簡単に忘れ去られてしまう。「今、票が取れるのなら、後は野となれ山となれ」になってしまうのだ。
最大の問題は「対中関係」である。
今、少しでも中国寄りの事を言うと、すぐに「お前達はカネの為に国の魂を売るのか」といったような、戦前・戦中を思わせるような言葉が返ってくる。また、一方では、何故か左翼系の人達が数多くかかわっている「反原発運動」でも、すぐに「カネか命か」というような粗雑きわまる言葉が出てくる。
こういう場合、「カネ」という言葉は、「誰かが自分の儲けの為に追い求めるもの」であり、従って「卑しく汚いもの」という感覚で使われている。しかし、「経済」とは要するに「カネ」の問題であり、国民の生活が良くなるか悪くなるかは、概ね「経済がうまく運営されているか否か」にかかっているのだから、「カネ」という言葉をこのように安易に使うべきではない。
好むと好まざるにかかわらず、今や「対中関係」は日本の経済に対して大きな影響力を持っている。現実に、昨今の対中関係の悪化は、多くの人達の生活を極めて不安定なものとした。近隣諸国と常に友好的な関係を保ち、貿易や投資を拡大する事は、「国としての独立自尊」を守る事とは何等矛盾しない筈なのだが、一旦関係がこじれだすと、これがそうではなくなってしまう。
だからこそ、外交関係は、常に双方の国の利害と、双方の国の国民感情を冷静に分析しながら、緻密に計算して取り組んでいかなければならないのだが、一部の人達はこんな事にはお構いなく、自分達の感情のおもむくままに発言し、行動するので、結果として国益を大いに害してしまう。
かつての安倍内閣は、色々な不祥事が続いて一年余りの内に国民の信を失い、福田内閣が誕生したが、中国はそれ以前から安倍さんの国家主義的な発言に神経質で、当時の日中関係はあまり良くはなかった。だから、この時福田さんが選ばれた理由としては、「対中関係が修復出来る」という期待を担った事も大きかったと言われている。
しかし、その福田さんも、「対中関係」を修復する暇もなく、「国会のねじれ状態が続く限りは何もできない」と思い詰め、「社会保障国民会議の設立」を目玉に小沢さんの率いる民主党との大連立を試みるが、小沢さんは民主党内をまとめられず、この試みはあえなく頓挫した。あきらめの早い福田さんはここで政権を投げ出し、後を麻生さんに委ねるが、その後の経緯は皆さんご承知のとおりである。
さて、ここまでは、安倍内閣で「対中関係」が更に冷え込み、これが経済の回復を遅らせる事に対する危惧を語ったのだが、安倍さんの経済問題についての発言を聞いていると、こんな事は些細な問題だとさえ思えてくる。
経済問題についても、安倍さんはポピュラリズムを大いに意識しているかのようで、「諸悪の根源である日銀を政治家が押さえて、お札をどんどん刷らせれば、円高が円安に転じ、輸出産業は危機を脱し、景気は回復し、給与も雇用も増え、従って税収も増える」と声高に叫んでいるかのようだ。「景気がよくならない限りは増税もしない」とまで言い切ったという報道もある。
お札を刷るだけで長年の不況が脱却できるのなら、経済学者も経済人もこぞって賛成して然るべきなのだが、産業界の総本山の経団連は完全に否定的だし、政治家に擦り寄ることを目的としている一握りの人達を除いては、多くの専門家の意見も「これはむしろ暴論に近い」という考えでほぼ一致している。最近は安倍さんも流石にかなりトーンダウンしてきたようだが、このような変化を丁寧にフォローしていない外国人などは、相当心配している。
為替市場や株式市場は、このような安倍さんの発言に敏感に反応して、長年国民が求めてきた(と思われる)「円安・株高」に振れたので、安倍さんの考えに同調しいている人達は「そら見ろ」と得意満面かもしれない。しかし、もしそうだとしたら、そういう人達は「市場」というものの本質をあまり理解していない人達だ。将来の総理になる可能性の高い人がこういう発言をしたら、市場が先ずはこのように反応するのは当然の事だが、それが日本経済全体の為に(従って、国民の生活の為に)良い事なのかどうかは、全くの別問題だ。「輸出増につながらない円安」は却って国際収支を悪化させ、「一時的な株高」は必ず反動を呼ぶ。
この事に限らず、一番の大きな問題は、現在の自民党には「過去の反省」が殆どないように思えることだ。
長年にわたる自民党政権が招いた最大の問題は、「政―官―財」の鉄の三角形に支えられた「閉塞的な経済・産業政策」にある。具体的に言えば、多くの事を密室の中で決め、既得権を守り、規制緩和を渋り、産業構造の転換を妨げてきた事にある。
この体制の中で、自民党の政治は、「郵貯」で地方の高齢者の余剰資金を吸い上げ、政治家の影響力の下にこれを公共投資に注ぎ込んできた。(そのついでに、公共投資の恩恵の見返りに、選挙の際の集票力を手中にしてきた。)カネが回る仕組みがあったから、惜しみなく公共事業につぎ込めたわけだが、これでは、キャッシュフローは回ってもP/LやB/Sは大きく毀損してしまう。税収の裏づけのないところで支出を増やせば、債務の蓄積が残るのは当然だ。この為に、知らぬ間に、日本の国債残高は他国と比較すると明らかに異常と思われるレベルにまで増大してしまった。
小泉―竹中路線はこれに一石を投じ、このような自民党を「ぶっ潰す」ことによって、「市場原理によって多くの事が動く経済」へと大きく舵を切った。小泉さんの個人的な人気にも支えられて、かなりの長期間にわたり国民はこれに喝采を送ったが、小泉さんが引退して安倍さんが後を引き継ぐと、「改革路線」は影を潜め、旧態依然たる「自民党らしさ」が徐々に復活していく方向へと流れが変わったかのようだった。
リーマンショックで、経済が急激に悪化すると、米国流の「強欲な金融資本主義」と小泉-竹中の「市場原理主義路線」が重なって見え、「小泉-竹中路線」を遡って批判する声も強くなった、民主党が政権を奪取出来た要因としては、バラ撒きを約束した「マニフェスト」よりも、「国民の自民党に対する根強い批判が『チェンジ』の合言葉へと収斂して行った」事の方が大きかったように思うが、このような自民党への批判の中には、小泉―竹中の「行き過ぎた市場原理主義的政策」に対する批判と、小泉―竹中改革を全うせず、後戻りしてしまった後継者達への批判が、実際には相半ばしていたように思う。
さて、ここで民主党に出番が回ってきたわけだが、こうして成立した民主党政権は、次々に「寄せ集め集団の内部矛盾」と「経験不足による稚拙さ」を露呈し、国民を大きく失望させた。本稿は民主党政権の失敗について議論するのが目的ではないから、この事について多くを論じることは差し控えるが、ざっと見るだけでも下記が明らかだ。
- 自民党政権の奥の院に踏み込めば、幾らでも「隠し財源」が見つかるから、これを福祉に回せばよいと考えていたが、結局その様な「隠し財源」は見つけ出せなかった。
- にもかかわらず、マニフェストに固執してバラ撒きを続けたので、財政は逼迫し、準備不足のままに「増税」を推進せざるを得なくなった。
- 「中国と米国を両天秤にかけられる」という妄想を抱いて、日米関係を悪化させ、尖閣問題では、「腰の定まらない拙劣な対応」で日中関係を悪化させた。
- 官僚に代わる「実務能力のあるブレーン」を持たないままに、掛け声だけの「政治主導」を前面に打ち出した為に、「政策実施能力の弱さ」を随所に露呈した。
- 支持基盤の一つが労働組合であることが祟ってか、経済成長に必要な「既得権の否定」「労働市場の流動化」「生産性の向上」等々に思い切って踏み込めなかった。
「小鳩切り」でやや人気を回復して参院選に臨んだ菅内閣が、何故、選挙ではマイナスになるに決まっている「増税」を突如声高に言い出したのかは、未だに大きな謎だが、何れにせよ民主党は参院選に惨敗、再び「国会のねじれ現象」を招いた。その後、史上空前の津波災害に原発事故が重なった「国難」に臨んでも、菅内閣は完全に能力不足を露呈、結局、「小沢対反小沢」の党内抗争を制した野田さんが、その後を引き継ぐ事になった。
党の分裂を回避する事に腐心するあまりに、何もはかばかしい成果が挙げられなかった野田内閣ではあったが、不人気である事を知りながら、次世代を「財政破綻」の災厄から守る為に身を賭して行った「増税」だけは、諸外国の専門家達を含む相当数の人達から高く評価されている(私自身もその一人だ)。
大量脱党を覚悟した後の野田さんの発言は、見違えるように歯切れが良くなった。現時点では、「政権を担う責任感」を感じさせる点では、彼が他の党首を圧倒しているように思える。経済界も、今となっては、安倍さんよりは野田さんの方に信頼感を持っているのではあるまいか?
「民主党」という党に対する多くの国民の失望感は、残念ながら挽回し難い程に深く、従って、今回の衆院選での敗北は防ぎ得ないだろうが、これからは、一連の失敗から学んだ多くの教訓を生かして、「何らかの新しい枠組みの中での連立与党」として、本来の使命を果たす道を模索してほしい。