ギリシャ問題を忘れていないか? --- 岡本 裕明

アゴラ

一年前ぐらいまではギリシャはユーロ圏から離脱する、スペインやイタリアも破綻寸前、など大騒ぎだったのですが、マリオドラギ氏がECB総裁についてからは「消火活動」が想定以上にうまく進み、ユーロの貨幣価値もずいぶんリカバー、対円では2割も上昇しています。

恒例のダボス会議が開催されています。ダボス会議とは世界経済フォーラムが年1回この時期にスイスのダボスで開催するもので、世界中の経済・企業のトップ、学者、政治家が集まり、経済、社会に関して数多くの会議や講演、イベント行うものでその内容は世界が注目します。


昨年のダボス会議では悲観論者が作り上げた「ギリシャの悲劇」のシナリオに多くの注目が集まりましたが、今年はそれら悲観論者の「言い訳」が注目されています。特に日本の経済誌も大好きなヌリエルルービニ教授は最近の雑誌や新聞への寄稿では明らかにトーンダウン、敗戦の弁に近い形のコメントを述べています。

但し、ギリシャ問題が片付いたとは誰も思っていません。問題の先送りである、というのが正しい位置づけであり、先送りしている間にヨーロッパ、特に南欧諸国が力を回復できるかどうかが注目されているのですが、スペインあたりの失業率を見る限り経済の基盤そのものが崩れているとしか思えず、一生直らない糖尿病患者のようにも思えます。

アメリカのように2006年夏の住宅バブルのピークアウト、或いは2008年のリーマンショックから5、6年経てようやく経済に明るさが見えてきたのを見ると時間経過は痛んだ経済を治癒すると思いたくもなるのですが世の中、それほどうまくいくものではありません。ヨーロッパの場合は特にドイツの一人勝ちといわれながらもこのところのユーロ高でドイツの輸出産業の利益率も圧迫されています。ユーロ圏内の労働移動の自由に伴う失業率の改善は経済学者が考えるような論理性ではなく、ユーロシステムはいまだ、机上の理論と現実の社会に大きなギャップを抱えたままであると見られています。

アメリカやカナダの連邦と州のシステムのようなものがユーロ圏にも導入されればという願望もあるのでしょうけれどアメリカはひとつの国、そして、ひとつの歴史ですが、ユーロ圏はあまりにも複雑で長い個別の歴史を抱えています。つまり一枚岩ではないということです。

今、有力な道筋を出せない経済学者への風当たりは厳しいと聞きます。それは経済の仕組みが複雑になり、グローバル化により経済を動かす因子があまりにも増えたことが理由のひとつであろうと想像できます。いまさらリカードの比較生産費説を持ち出すつもりはありませんが、ユーロ圏、或いは南欧が特化して圧倒的強みがあるのは何なのか、と考えれば中国という影が常について回る欧州において私はギリシャ問題は単に忘れ去れていてちょっと昼寝をしているだけのようにみえて仕方がありません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年1月25日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。