「興味の死角」から視線を移し、アフリカに目を向ければ --- 佐藤 正幸

アゴラ

人間の興味はとても限定されている。興味には死角があるものなのだ。僕はこれを興味の死角と呼んでいる。

好きな女の子だと今何してるのか、とっても気になる。飲み会でどんな男と話しているか気になる。でも、興味のないコだと思わね死角になる。全く見えなくなる。興味のあるコばかりに興味が集中するからだ。


人間は全てのことに興味を向けることはできない。だから何か特定のことに興味ある人にこのテーマで興味をもって欲しいとこちらから言って興味をもってもらうのは難しいのだ。

アフリカも同じかなぁと思う。ここ最近の経済不況で多くの日本人は自分たちの生活を考えなければいけなくなった。だからODA(政府開発援助)を議論する時、自国の国民のためではなく他国の見ず知らずの他人のために税金を無駄遣いするのかという議論が出てきてしまう。議論になればまだよくて、スルーされることもめずらしくない。

興味の死角だからだ。勿論、自分たちの身の回りの生活は大事だ。でも赤の他人がどうなろうが知らないというのは少し寂しい。

僕自身、援助という言葉は嫌いだからODAを単純に増額すればいいと思っているのではない。興味の対象を広げてみるのはどうかなと提案したい。死角から興味を開放し、少し世界に視野をもってみるとどうだろう。巡り巡って自分にもその影響があると思う。

こんな話がある。東日本大震災の時、日本は大きな悲しみに包まれた。僕は当時アフリカにいたが多くのアフリカ人が自分のことのように心配してくれた。まるで家族のように。

こんな話がある。東日本大震災の後、世界中から「日本がんばれ」というメッセージとともに寄付金が寄せられた。その中で貧困層と言われるとても貧しい人たちも自分たちの身を削って寄付金を寄せてくれた。自分たちは日本にとてもお世話になったからという嬉しいメッセージを添えて。

地球はグローバル化している。だから幸せの輪もめぐりめぐって自分たちに帰ってくるのだ。飲み会で興味のないコが何をしてるのかたまに見てみよう。興味の死角を意識して、死角をたまに取り払ってみよう。ほら、興味のないコの視線の先にはいつもあなたがいるかも知れない。

僕たちは地球から逃げることはできない。だからこそ理解できない赤の他人として興味の死角に追いやるのではなく、分かりあえる隣人として興味という視界の中でアフリカを見つめられるようになるといいなと思う。

佐藤 正幸
World Review通信アフリカ情報局 局長
アフリカ料理研究家、元内閣府大臣政務官秘書、衆議院議員秘書