終身在位は「日本の伝統」ではない:『天皇にとって退位とは何か』

天皇にとって退位とは何か
本郷和人
イースト・プレス
★★★★☆



生前退位をめぐっては、奇妙な色分けがある。普通の人が「天皇も年をとって激務は大変なので、退位させてあげればいいじゃないか」というのに対して(おそらく安倍首相を含む)保守派が「退位は日本の伝統にそぐわない」と反対することだ。ここにも明治憲法の「国体」を古来の伝統と錯覚する彼らのバイアスがある。

本書は歴史的事実として、実在が確認されている天皇のほとんどは生前退位したと指摘する。したがって終身在位は(少なくとも長く続いたという意味では)日本の伝統ではない。退位は後継指名と一体なので、天皇の地位に意味があった鎌倉時代までは生前退位が普通だった。

ヨーロッパのように戦争で勝った国が負けた国を征服したら、天皇のような中途半端な王家は残らない。日本には(織田信長を除いて)そういう強力な支配者がいなかったので、名目的な天皇が生き残った。平和だから日本全国を一元支配する権力も必要なかったが、自分の領地は守らなければならないので、天皇という権威で「箔をつけた」だけだ。

江戸時代には天皇は忘れられていたが、19世紀後半に「外圧」が強まると、エリートは日本という国家を意識するようになり、天皇を担ぎ出した。そのとき水戸学などが利用されたが、著者の見方ではそういう学問的な系譜は問題ではなく、本来は軍事政権だった徳川幕府が「貴族化」して、軍事力を失ったために天皇の権威が必要になったという。

だから尊王攘夷などのイデオロギーも大した意味がなく、西郷隆盛も伊藤博文も天皇に対する「尊崇」の感情はもっていなかった。彼らが天皇を利用したのは、幕藩体制の中では自分が下級武士にすぎなかったからだ。「成り上がり」の薩長藩士が権威を身にまとうには、天皇という無力な権威を利用するのが便利だった。

このように天皇の地位は便宜的なものだから、生前退位するかどうかは大した問題ではない。むしろ家庭としての皇太子家を考えた場合、雅子妃の健康が激務に耐えられるのか、といった実際的な問題を考えたほうがいい。

一つ疑問に感じたのは、著者が「万世一系」という言葉をかなり広い意味で使っていることだ。これは明治憲法で初めて使われた言葉で、考え方としてさかのぼっても、たかだか『神皇正統記』までだろう。古代から万世一系の天皇という概念があったとは思えないので、少なくとも明確な定義が必要だと思う。