先週の原口大臣の記者会見などもあり、電波の見直し議論が盛んだ。
電波資源の有効活用には、電波資源とその使途を分離すべきというのは、長年言われている。
しかし、最近の議論は、たんなる使途のすげ替え論ではないだろうか?
マラソン中継にしか使われていなFPUの帯域を、携帯電話に云々というのは、FPUであれ携帯電話であれ、特定の使途と特定の電波資源をバンドルすこるとにかわりはない。 まして、ここにLTEという個別の技術とのバンドルまで言及しはじめたら、本質的にはなにも変わらない。
100年に一度あるかないかの電波の大きな再編時に、提言する人達こそが、階層化され論理的に整理されたグランドデザインを提案するべきだ。
いままでの電波政策を批判しながら、結局はたんなる土地の取り合い的な議論をするのは、まったく意味が無いだろう。 数年後に、LTEより効率が良いもの、携帯電話よりニーズの高い使途が発生したら、”マラソン中継にしか使われないFPUの帯域”というのが、”携帯電話にしか使われないLTEの帯域”と言い換えられるだけではないだろうか?
電波政策の根本的な改革を今するならば、有線で議論されているゼロ種キャリア的な事業免許と電波の免許の分離、そしてなによりも電波資源の割当について、徹底して技術中立性をどうするかの議論にすべきである。
つい5年くらい前まで、UWBにすればなんでも大丈夫とか、Wi-MAXになれば効率がよくなると騒いでた人達が、こんどはLTEになればと言っていては、なにも改革されないだろう。 政策提言、制度論を論じるのに、個別の技術名称や使途の各論に踏み込みすぎないようにするべきではないだろうか?
コメント
「政策提言、制度論を論じるのに、個別の技術名称や使途の各論に踏み込みすぎないようにするべきではないだろうか?」
これに関しては仰る通りだと思います。しかし、現在非効率的な利用をしている”マラソン中継にしか使われないFPUの帯域”などを正当化する理由にはならないと思います。
どんな政策を取ろうと、いつかは技術革新により現在の技術が陳腐化するのは明らかなのですから、未来に渡ってもBESTな政策を実行することなど不可能です。現状ではBETTERな政策を行う以外ないのではないでしょうか?
少なくとも現行の制度はGOODですらないでしょう。
bobbob1978さん
>”マラソン中継にしか使われないFPUの帯域”などを正当化する
ことなど、まったく述べていないつもりです。
正に,ご指摘のとおり技術革新により技術は陳腐化するのです。
ですから,制度設計の議論と、個別の技術の導入、採用の話をいかに分離するかが重要です。
目の前にある効率の悪い使途を変えるのは、実装の話として、既存の制度のなかで取り組み、早期に対処すればいいと思います。
しかし、いまの再編というのは、一過性ではなく、中長期的な大きなターニングポイントなのです。
アメリカのホワイトスペースの例をみると
FCC R&O :
既存利用との共存のためのルールと方針の制定をし、個別の変復調技術などには言及していない。
IEEE802:
上記ルールのもとで、実際に使用するための個別の技術標準を策定
xxアライアンス:
上記技術標準の上位レイヤーでの互換性、普及などに向けた民間同士の協議、協定の策定
といったように、分離されたガバナンスが存在し、技術中立性を確保しています。 日本は、使途と技術と事業が一体化されていることが問題ではということです。
真野様
ご返信ありがとうございます。
「100年に一度あるかないかの電波の大きな再編時に、提言する人達こそが、階層化され論理的に整理されたグランドデザインを提案するべきだ。」
という点は確かに正論だとは思いますが、ハードルが高過ぎます。既得権益者がいて改革に抵抗することが予想される以上、始めから新しいシステムのハードルを高くしては結局途中で改革が頓挫することになりかねません。「改革するなら徹底的にやるべきで、中途半端なのはよくない。」というのは個人的には正しいと思うのですが、これは読み替えると「中途半端なことをするくらいなら、何もやらないほうがいい。」と解釈することも可能なので現状追認にもなりうると感じました。
そのため、真野さんのご意見だと「現状の非効率的な電波利用を追認することにならないか」という意味で「正当化」と書いたのですが、「正当化」という書き方はおかしかったですね。申し訳ございません。
「しかし、いまの再編というのは、一過性ではなく、中長期的な大きなターニングポイントなのです。」
これも仰るとおりだと思いますが、そのようなグランドデザインを設計している時間があるかどうかが気になります。「拙速は巧遅に勝る」と言います。まず電波利用の効率化を図り、日本のIT企業が世界と同じ土俵で戦えるようにしないと、グランドデザインが決まり新しい制度が出来たときには日本のIT企業が絶滅に瀕していたなんてことにもなりかねません。
「100年に一度あるかないかの電波の大きな再編時に、提言する人達こそが、階層化され論理的に整理されたグランドデザインを提案するべきだ。」
「政策提言、制度論を論じるのに、個別の技術名称や使途の各論に踏み込みすぎないようにするべきではないだろうか?」
昨秋の事業仕分けでも感じたことですが概念設計から論理設計を飛ばして物理設計(場合によっては開発)に飛んじゃう(分けて取り組まない)ようなことに、まずは違和感を持つ風土の醸成は不可欠だと思います。
設計の段階(概念・論理・物理)を意識しながら進める(分けて考える)のは基本中の基本ですが、それはガバナンスの面でも重要だからです。
柔軟性が求められる時代に硬直性の高い設計手法は卒業したほうが良いです。将来の変化への対応費用が高くつきます(=競争の足かせになります)。また同じことを繰り返す必要は無いと思います。
「グランドデザイン」の重要性は理解なされていても「拙速は巧遅に勝る」という面が制約になることが実際だと思います。
その現実的な解として「小さくはじめる」ことが一般に行われています。
それは設計の段階(概念・論理・物理)を意識しながら進める(分けて考える)ことを否定するものではありません。
重要なことは変化することを前提にしたガバナンスであり、そのための設計だからです。
(設計(そして開発や事業)のために「小さくはじめる」では足りないのです。)
つまり、「変化することを前提にしたガバナンス」のために何を対象(論点)に「小さくはじめる」べきか、ということを意識することが重要だということです。