マネックスで一緒に仕事をし、その後会社を離れてそれぞれの会社を経営している5人で久しぶりに集まりました。
香港に51年ぶりに日系の銀行をゼロから立ち上げた人、フィンテックの代表企業としてクラウド会計のビジネスを急拡大している人、ビッグデータを取り扱うIT企業の人、そして女性向けのEコマースのマーケティング会社を経営する人。私が独立した当初の4年前にも、同じメンバーで会っているのですが、その頃とはそれぞれの立場も随分変わりました。
1999年の創業時に入社したマネックスにはベンチャースピリットが溢れていました。外資系企業をやめて、飛び込んだ社員4人の会社でしたが、気がつけばグループ会社での仕事を含め、13年も仕事をしていました。
創業当時の社内には、小曽根真のデビュー作のジャズが流れ、社員はTシャツにジーンズで出社。就業規則も無く、高いモチベーションのせいか、深夜まで仕事をしていることが苦になりませんでした。毎月の給料は、取引先の銀行の封筒に入って現金支給。転職前よりもずっと少なくなってちょっと寂しかったのを覚えています。
会社は1999年10月1日の取引開始から急成長し、さらに押し寄せる膨大な仕事に業務がマヒ。遂に寝袋で泊り込み、早朝にタクシーで帰宅といったことが当たり前になっていき、最初の2年間くらいは死に物狂いに働きました。といっても、悲壮感はなく、むしろアドレナリンが放出される躁状態が続いていました。
そんな、鉄火場のような環境で教えられたのは
「誰と付き合うかではなく、誰と付き合わないかが大事」
「風の吹かないところで帆を張っても船は進まない」
「お金の仕事で大切なのは、知名度ではなくクレディビリティ(信用)」
「エクスペクテーションコントロール(期待値の管理)がコミュニケーションでは最重要」
「ベンチャーに大切なのはスピード、そして嘘をつかない」
・・・
赤字会社であったにも関わらず、インターネットで日本の金融を変えるという野望に燃えていました。「ライバルは同業のネット証券ではなく、郵便貯金」と当時は本気で思っていたのです。ビジョンがあれば、労働環境なんか関係ありませんでした。
研修など一度もありませんでしたが、仕事をしながら現場で学んでいった全てのことが今の仕事に活かされていることを実感します。
今の日本社会では、こんな働き方は「ブラック企業」と見なされ、ワークライフバランスから外れていると非難されそうです。しかし、人生の一時期にそんな風に全力で働いてみる時間を持つことは、仕事とは何かという本質を理解するために必要だと思います。振り返ってみると、30代にそんな時間を持てたことが今の自分の仕事の屋台骨を作っていると実感するからです。
それぞれの新しいフィールドで、今までの知識・経験を最大限に活かして、新しい価値を提供していく。かつての仕事仲間との旧交から刺激と勇気をもらうことができました。
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編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2017年2月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。