オリンピックは要らない

小幡 績

あえて今書こう。

正確に言えば、IOCは要らない。

もっと正確に言えば、開催地決定プロセス、招致活動は要らない。


開催地を競わせるのは、IOCの力を強めるためだけのことであり、ソルトレイクで示されたように、汚職の温床だ。

官僚制の典型で、開催地決定プロセスにおいて激しく競わせることにより、個人的にベネフィットを得ると同時に、立候補地に、多額の投資、あるいは成功を約束させ、自分たちの組織の失敗を回避、責任を回避している。

そして、開催決定プロセスですら大きなビジネスの利権となってきた。

ロサンゼルス以来、オリンピックはアマチュアアスリートのピュアな祭典から、ビジネスとなり、サマランチにより、それは組織の利益最大化となった。

私は、アスリートの活躍には感動するが、東京の招致決定にも、華やかなプレゼンテーションにも感動しない。

開催地は、地域ごとの持ち回りとし、これまでの選手の実績および開催を最低限実施できるかどうかの客観的な足きり基準を設けたら、その後は、出場選手数の多い順に機械的に開催すればよい。その国が辞退したい場合はもちろん自由だ。

それで何が悪い。

アマチュアスポーツの祭典として、安全にアスリートが力を発揮できればそれ以外は何も要らない。