韓国大田(広域)市教区のローマ・カトリック教会司教、You Heung-sik司教は朴槿恵大統領が罷免されたことに対し、「路上では朴大統領の罷免を喜ぶ市民で溢れ、まるで祭りだった。喜びと希望を感じさせた。朴大統領の罷免には韓国国民の86%が支持し、韓国憲法裁判所は8人全員が大統領をブルーハウス(青瓦台)から追放する罷免を支持した。罷免決定は正しい方向だ」と述べている。
バチカン放送独語電子版14日付は「朴大統領自身はカトリック信者だが、腐敗スキャンダルに陥り、セクトのような人々に取り囲まれていた。彼女の支持率は4%に急落していた」と紹介している。
韓国司教会議で「公平と平和問題」を担当する同司教は「韓国では、政界、経済界の腐敗システムに対してはっきりと拒否する動きが高まってきた」と評価。次期政権に対しては、「正直で透明性と公平さがある政権を期待している」と指摘、次期大統領については「対話と人権を尊重する人物を期待する」という。そして隣国・北朝鮮との関係では、「対話と和平への努力を願う。新しい軍備拡大競争は願わない」と主張した。
この記事を読んで、「キリスト者は人がいいというか、騙されやすいものだ」という思いを改めて持った。「誰から」騙されやすいか、というと、上記の場合、北朝鮮やそれを支持する韓国国内の親北派韓国人のプロパガンダにだ。
キリスト者は、「寛容」「人権」「対話」「和解」「和平」といった言葉に弱い。その言葉の魅力に対抗できないのだ。それを知っている人々はそれらの言葉を武器のようにキリスト者に向かって乱射する。その時、聖職者が「対話ではなく、武器で独裁者を射殺すべき時だ」と発言すれば、社会やメディアから激しい批判を受けることは必至だ。「寛容」「対話」を支持することは宗教者にとって自身の信仰の証と考える傾向が強いからだ。
冷戦時代、「パーチェム・イン・テリス」(Pacem in terris)と呼ばれる聖職者の平和運動「地上の平和」が活発だった。ソ連・東欧共産党政権は宗教界の和平運動を利用し、偽装のデタント政策を進めていったことはまだ記憶に新しい。興味深い点は、共産政権は「宗教はアヘン」として弾圧する一方、その宗教を利用して国民を懐柔する。中国共産党の官製聖職者組織「愛国協会」はその典型的な存在だ。
例えば、韓国のカトリック教会使節団は2015年、4人の司教と13人の神父、計17人から構成された大型使節団を北に派遣し、北人民議会副議長のKim Yong Dae氏(当時)に迎えられている。同使節団は平壌の長忠大聖堂で共同礼拝を行った。
ちなみに、キリスト者といえば、柔和なイメージを抱く人が多いが、イエス自身は決して柔和な青年ではなかった。新約聖書「マタイによる福音書」21章12節以下を読めば理解できるだろう。エルサレム入りしたイエスは宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、両替人の台やハトを売る者の腰掛をくつがえされたというのだ。イエスは時には激怒している。
ところで、北朝鮮の状況は対話と寛容、和解といった綺麗な言葉では解決できないところまで来ている。「北と戦争しろ」といっているのではない。北が核実験、ミサイル発射をしないように最大級の力による圧力が必要な時だと考えているのだ。そのような時、「対話と和平の努力」は北側に利用されてしまう危険性が高い。繰り返すが、洋の東西を問わず、独裁者は別の主人に仕える宗教人を弾圧する一方、自身の統治のためにそれを巧みに利用していることをくれぐれも忘れないでほしい。
北朝鮮が韓国の次期大統領選(5月9日)に強い関心を寄せていることは周知の事実だ。親北派の大統領が選出されれば、南北赤化統一も現実味を帯びてくる。大田広域市の司教の発言を読んで、一層その懸念を強くする。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年3月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。