一昨晩の零時過ぎ、ようやく汕頭大学に戻った。女子学生6人からなる訪日チーム「新緑」を引率し、3月25日の出発から9日間、たっぷり日本、九州を満喫した旅だった。病気もけがもなく、順調に取材が進んだのは、現地にいる多くの日本人、中国人の助けがあったからこそだった。
一昨日は福岡から上海に到着した後、以前の私の助手がわざわざマイクロバスをチャーターし、乗り継ぎのため浦東空港から虹橋空港まで届けてくれた。しかもその途中のあわただしい中を縫って、高級レストランで学生たちに上海料理を振る舞ってくれた。実にありがたかった。中国には「友だちが多ければ、人生の道は歩きやすい」ということわざがあるが、まさにその通りだった。
取材最終日の4月1日は、西日本新聞社の久永建志経済部デスクが、もっぱら好意で在福岡中国総領事館への表敬までアレンジしてくれた。何振良総領事は気さくな人物だった。日中の国民感情悪化を示す世論調査データをあげながら、実体験は必ずしもそうでないと指摘した点は、学生たちみなが今回のツアーで感じたことだった。
1日の夜は久永氏が我々を地元の著名四川料理店「中国大明火鍋城」に招いてくれた。彼は27日も我々一行を新聞社に招き、社内見学のほか、環境保護においてメディアが果たす役割などについて、学生たちの質疑に応じてくれた。彼とはお互いが北京駐在時代に知り合った仲である。旧交を温めながら、人の縁のありがたさをつくづく感じた。
この日は昼食をとる時間が十分なく、コンビニのパンやおにぎりで済ませたため、学生たちは久しぶりの中華料理を夢中で平らげていた。そのいとおしい姿に、この間、我々を助けてくれた多くの人々の顔が重なった。そして宴席の最後、総括のあいさつをしている最中、涙があふれてろくな話ができないまま終わってしまった。我ながら失態であった。
ただ大学に戻ってから、一人の学生が次のようなメッセージを送ってくれた。
「虽然之前知道准备这次行程很不易,加藤老师费尽心力,但没想到那么艰难,艰难到让老师在我们面前掉泪,好心疼,原来多的是我们不知道的事。原来每件事都不容易,觉得容易,是因为有人替我们承担了那一份不易」
(今回のスケジュールを用意するのが大変で、加藤先生が心血を注いだことは出発前から知っていたけれど、ただ、そんなにも困難で、先生が私たちの前で涙を流すほどだとは思わなかった。とても心が痛む。もともと私たちは多くのことを知らなかったし、一つ一つのことが容易ではなく、しかも簡単に思えたことでも、それはある人たちが困難を引き受けてくれたからなのだ)
彼女はまた、
「たとえ見ず知らずの人でも、私たちが拙い英語で、滑稽な動作で道を尋ねても、親切に行き場所を探してくれ、私たちをまったく不安にさせなかった。まさに先生が言うように、国家の壁はなく、ただ人と人が触れ合い、私が笑えば、相手も応じてくれるということなのですね」
と書いてよこした。別の学生は、「どんなに幼稚な質問をしても、たとえ予定時間がオーバーしても、日本の大学の先生はまったく気にせず、親切にわかりやすいように説明をしてくれた」と感想を送ってきた。メールのやり取りだけで取材に応じてくださった九州大学応用力学研究所の千手智晴氏、北九州市立大学国際環境工学部の高偉俊氏には、頭が下がる思いである。
尽きない話がある。これから一つ一つの物語を記していきたい。(続)
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年4月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。