外交機密と報道の自由

池田 信夫

秘密保護法はマスコミを対象としたものではないが、彼らばかり騒ぐのでおまけ。


西山事件は「秘密保護法ができるとこうなる」というホラーストーリーとして語られるが、これは逆である。なぜなら西山記者は現行法で逮捕されたからだ。軍事機密や外交機密ばかりでなく、朝日の報じた原発についての内部文書も、経産省が機密指定すれば、漏洩した官僚も記者も逮捕できる。秘密保護法があってもなくても同じだ。

では、なぜそういう事件が西山事件以来40年以上も起こらなかったのだろうか? それは「法律は条文がすべて」ではないからだ。外交機密費をギャンブルや飲み食いに使っていたことは外交機密だったが、検察は起訴できなかった。他方、西山事件は「情を通じ」という本筋ではない点をとらえて起訴したが、毎日新聞社は西山記者を支援しなかった。

逆にいえば、今でも国家機密を暴くのは違法行為である。情報源を秘匿しても、共犯者不詳で逮捕して情報源を自白させる手がある。法廷に証人として呼べば、証言を拒否できない。事実、2005年にNYタイムズのJudith Miller記者は、連邦大陪審で情報源を明かすことを拒否し、法廷侮辱罪に問われて投獄された。NYタイムズ社は“This is a proud but awful moment for The New York Times and its employees”と書いて彼女を支援した。

国家機密とは、そういうきわどいものだ。大事なのはテロの定義がどうとかいう技術論ではなく、報道内容の公益性である。たとえばペンタゴン・ペーパーは明らかに違法だったが、連邦最高裁はその内容に公益性があると判断して差し止め命令を出さなかった。本当のスクープは暴かれるべき国家機密を暴くから、起訴できないのだ。

法の支配とは「法律は条文がすべて」という実定法主義ではなく、憲法に定める表現の自由とのバランスを常識(コモンロー)で判断することである。朝日新聞は石破幹事長の言葉尻をとらえて下らない騒ぎを起こす前に、外務省が恐れ入るような外交機密を暴いてみろ。

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