12月1日の就活解禁から1週間。就活関連の話題といえば、ドワンゴによる「受験料徴収採用」だ。しかし、大学教職員の間で、それよりもずっと物議を醸している件がある。リクナビのOpen ESという仕組みである。
率直にこれは、雑であり、ズサンだ。あえて言おう、カスであると。
Open ESとは何か?説明しよう。簡単に言うと、リクナビが導入した共通化エントリーシートである。この仕組みを使うことにより、学生は一度作成したエントリーシートを複数の企業に送付することができ、手間を軽減することができる。
この件については、メリット、デメリットを、この記事にまとめたのでご覧頂きたい。
NEWSポストセブン|就活エントリーシートを共通化しても学生は救われないと識者
http://www.news-postseven.com/archives/20131023_223374.html
要するに、学生の手間を軽減することは評価できたとしても、企業にたくさんの応募が集まり、大量にさばく採用になってしまう、リクナビ型就活のデメリットは何も解消されないのである。
『地獄のミサワ』のキャラクターを使ったCMが、学生をバカにしていないかという点も問題だと感じた次第だ。
リクナビの『地獄のミサワ』CMはなぜ気持ち悪いのか
https://agora-web.jp/archives/1568485.html
このエントリーシート共通化構想は2010年の9月にリクルート(当時)が発表した「7つの約束」の中でも予告されていたし、2015年度版のリクナビから実装されることが2013年10月16日付の日本経済新聞にも掲載されていた。リクナビを運営するリクルートキャリア社からも2013年11月5日付で同社のホームページにて告知されている。
ただ、11月下旬になり、ここに「紹介文」なる項目があることが大学教職員の間で話題になった(もっとも、振り返って確認すると、同社のプレスリリースをよく読むと、この項目は既に発表されていることがわかる)。
簡単に言うと、自分を知る人から紹介文を書いてもらうことができる機能である。なお、この項目は任意の項目ではある。
これはポジティブに捉えるとするならば、画期的な機能ではある。自分をアピールするのが苦手な人でも、他者からの評価でアピールできるなどのメリットはあるだろう。
ただ、やや見切り発車的でズサンだった。
大学教職員はこの件について、対応をどうするか、頭を悩ませている。大学も、大学関連の団体も、対応を考えているという。
何が問題なのか?法政大学教授の上西充子先生が作成したまとめがあまりに秀逸なので、ご覧頂きたい。現在、18000Viewをこえている。
リクナビ2015で新たに導入されたOpenESの「紹介文」って・・・ – Togetterまとめ
http://togetter.com/li/597390
問題点が山積しているので、論点をすべて紹介するのも大変だが、単純に言ってみても紹介文を学生が掲載するかどうかは任意とはいえ、手間がかかるのではないか、学生間の格差が起こるのではないか、大学教職員は紹介を依頼された際に、どう対応するかなどの問題がある。
なお、上西先生が出している論点は、一部、解釈や意見が分かれるものがあるだろう。
端折って説明するなら「賛否両論」という話にまとめられてしまいそうだが、それ以前の問題がある。
サービスの品質として?なのだ。
私は次の点が、サービスの基礎的な品質において問題だと考える。
1.他者からの「紹介文」であり、「自分では編集できない」と言いつつ、編集できてしまう。
→これがシステム上、もっともズサンだと感じる部分である。紹介者に届く依頼文のメールを転送すると、そのURLから誰でも編集できてしまう(12月8日の夕方現在、この現象が確認された)。だから、依頼者から転送してもらったり、依頼主のアドレスに自分のアカウントの一つを入れると詐称は自由にできる。
2.紹介者のなりすましが可能である
→1と同様に、自分の別アカウントなどを使い、ネット上の写真などを使って紹介文を偽造することができる。
3.紹介者の個人情報が第三者にわたる仕組みである
→紹介者は、その紹介文がどの企業にわたるのか、管理することができない。もちろん、記入時に規約などは表示されるのだが、ちゃんと読んでいるだろうか。出力したエントリーシートには、名前、所属、メールアドレスなどが記載される。これが、応募先に悪用されるリスクをどれだけ紹介者は理解しているだろうか。ブラック企業に個人情報がわたる、個人情報が悪用されるなどのリスクがある。
サービスに関する致命的な欠点はこの3点である。
さらに、私が危ういなと思ったのは、次の点だ。
1.紹介者について、原則、教授や職員への依頼を控えるように促している。
→FAQなどにおいては「なお、紹介文は自分のことをよく知っている人に書いてもらうことが大切です。大学推薦や教授推薦とは異なるため、原則、教授や職員(キャリアセンター・就職課)への依頼は控えましょう。」とある。
これは大学教職員への配慮とも言えるだろう。大学側がまさに対応に悩んでいる点の一つは、教職員に紹介文の依頼がきた際にどうするかという話である。
ただ、大学推薦、教授推薦とは異なるとしつつも、普段からの学生のことを最も知っている(はず)なのは、指導教官ではないか?学業を再評価しよう(少なくともポーズでは)という最近の流れと逆行していないか?
なお、同社のこの機能に関するCMは当初、30秒バージョンと70秒バージョンがありYouTubeにアップされていたのだが、後者においては、明らかに教授などをイメージする人が登場していたという(現在、削除されている)。また、「原則、教授や職員への依頼を控えるように」という但し書きは当初存在しなかった。大学での混乱をもとに、追記した可能性が極めて高い。
配慮はわかるが、これもまた、紹介の本質からずれてないか。
2.学生の手間と格差を増やさないか?
→紹介者を得るために学生の手間を増やすのではないか。もちろん、紹介文は任意項目ではあるのだが。「人とのつながり」「居場所があるかどうか」は現代の学生生活の課題である。OB・OG訪問をする学生の割合などは、明らかに上位校の方が高いというデータもある。居場所のない弱者がますます苦しむスパイラルにもなりそうだ。
もちろん、もともとのサービスの理念では、紹介文というものがあるが故に、弱者でも自分のアピールポイントを企業に伝えることができるとも言えるのだが。
他にも、紹介文で国籍や思想・信条に関することがさらりと暴露されてしまうリスク、政治家など明らかに社会的ステータスが高い人の紹介文にどう対応するのかという問題もあるだろう。
そもそも、リクナビのこの仕組みの紹介は、他人からみた強みを企業に伝えることができると明るく説明されているわけだし、肯定派はこの部分を推している。そのメリットは私も理解できるのだが、とはいえ、紹介文というのは、そもそも気を使わなくてはならない、面倒なものなのだ。
これに対する説明と配慮が、リクナビ編集部には明らかに足りなかったと言えないだろうか。
そして、今回の騒動は、実は、昨今の就活をめぐるトレンドを象徴していると言える。
一つは、就活格差、就活差別である。これは日本の就活の歴史をさかのぼってみても、そもそもそうなのだが、公平、平等そうで学校名などによる差別、区別が横行していたのが、日本の就活の歴史である。
昨今のターゲット校を重視した採用、採用基準のバーのアップ、採用条件の提示などはまさにこの流れだと言える。この、任意項目とはいえ、紹介文をもらえるものと、そうではないものの区別というのが、最近の流れを象徴していると言えるだろう。
もうひとつは、リクルートキャリア社の焦りである。2015年度採用は、リクナビ型就活がこれからも存在感のあるかたちで残るか、残らないかのせめぎあいだと見ている。今回のOpen ESの取り組みは明らかに、リクナビ型プラットフォームへの取り込みにより生き残ろうとしている動きである。これは、AppleやGoogle、Facebookなどによるプラットフォーム競争にも似ている。
00年代後半の採用活動の課題は、リクナビ型システムからどう離れるかという模索だったと私は捉えている。ターゲット校へのダイレクトなアプローチ重視の動き、インターンシップによる早期からの囲い込みはまさにそうだろう。
今回の雑な取り組みは、なんとか学生と企業を囲い込みたいリクナビの焦りを感じるものである。
とはいえ、これで大学教職員が混乱し始めていることは事実である(ネットでの反応をみる限り、学生はまだエントリーシートを書かないので、それほど混乱していないが、これからもめるだろう)。
まずは、編集長の岡崎仁美をはじめとするリクナビ編集部は、このずさんなシステムと、雑な広報によって大学教職員を混乱させてしまったことについて、敬虔な反省を持つべきではないだろうか。
なお、最新の単著『「就社」志向の研究』という本で、リクナビについては1章かけて批判しているので、よろしければご一読頂きたい。
我々は、大人の事情で学生が踊らされているこの現実を虚心に直視するとともに、監視しなければならない。こうやって若者の魂は空白化していく、退廃と頽廃の連鎖が起こるのである。
学生と大学教職員はもっと怒った方がいいと思う。
バルス。