菅総理は「最小不幸社会」を作ることが政治の役割だ とし「日本の置かれた状況は、経済的にも低迷し、3万人を超える自殺者が毎年続くという社会の閉塞感も強まって、何か全体に押しつぶされるような時代になってしまった。それに比べ、自分の育った時代は、モノはなかったけれども、新しいいろいろなモノが生まれてきて、まさに希望に燃えた時代」であったと回顧され「このような閉塞的な日本を、根本から立て直してもっと元気のよい国にしていきたい。世界に対してももっと多くの若者が羽ばたいていくような国にしていきたい」と挨拶を結ばれました。
この就任挨拶を聞き、安倍、福田、麻生、鳩山と続いた「ノータリン」総理よりは遥かにまともな総理だと勇気ずけられました。
然し、「最小不幸社会」の実現に向けての方針に「経済、財政、社会保障の立て直し」を強調しながら「閉塞的」な国家の元凶に触れなかったのが残念です。
2008年の世界統計では、官僚統制国家として悪名高い日本(5位)韓国(8位)を除きますと、自殺の多い国の上位は軒並み旧社会主義国家が占めています。この自殺統計や貧困国家であった時代の日本では自殺が少なかった事からも「希望の無い閉塞的社会」が自殺の一因になっている事は明らかです。
それに比べ、世界の殺人統計では、アフリカ、中南米の貧困国が上位を独占しており、貧困が殺人を呼び、閉塞的な社会が自殺を呼ぶ傾向がはっきり伺われます。
総理は又、「スウェーデンなど多くの国では、社会保障を充実させることのなかに雇用を生み出し、そして若い人たちも安心して勉強や研究に励むことができる。まさに社会保障の多くの分野は経済を成長させる分野でもある」と述べられましたが、北欧各国の高い国民負担、低い法人税の保証された極めて自由な企業風土の現実を説明しなかった事は如何にも片手落ちです。
競争力、付加価値能力、生産性、経済自由度など殆ど全ての分野で世界の経済指標のトップクラスを占める北欧諸国は、時に50%を超える高い累進所得税に加えて、平均26%前後の消費税(付加価値税)と日本より実効税率が20%近く低い法人税、移民や外資への門戸開放を含めた徹底した経済社会制度の自由化など、殆どが日本の対極にある行政モデルが前提だと言う事実を知る必要があります。
北欧の様に、社会の透明を高め、国民に選択の自由を与える事が国民を大人にします。日本での透明度が担保されれば、日本国民が健全な判断をする事は疑いの余地はありません。
その点、今回の内閣のモットーから透明度を阻害する「脱官僚制度依存」が消えて仕舞った事は甚だ心外です。、首相の女房役の官房長官に就任した仙谷由人氏が、公務員制度改革担当相として熱心に取り組んできた公務員制度改革関連法案は廃案にしても、郵政改革法案審議や労働者派遣法改正案の成立を図りそうな現状は言語道断です。
菅総理が嘆く様に、日本の財政状況がこれまで悪くなった原因は、税金が上げられないから郵政と言う簡便な貸し出し機構を使って大きな借金を繰り返して来たからにほかありません。100に近い空港を造りながら韓国インチョン空港に対抗出来るまともなハブ空港が一つもない事実も、全く脳なしの官僚依存政治に頼ったからではなかったからではありませんか?厚生年金のスキャンダルの原因が組合と官僚の馴れ合いであった事も明白です。
日本国民に、欧米先進国並の機会平等、情報と選択の自由が与えられれさえすれば、日本国民が官僚の繰り返した、これほど低劣な判断をするとは考えれません。日本の官僚制度の最大の被害者が、高い潜在能力と志を潰された官僚自身であることも無念です。
増税問題にしても、日本国民は恵まれない人々への社会保障をケチる様な国民では有りません。国民が増税に反対する最大の理由は、税の使い道を信用出来ないからです。
1974年に「出たい人より出したい人を!」のモットーを掲げ、組織に頼らず個人的な支援者が手弁当で選挙運動を行う「理想選挙」を続け、選挙浄化運動を起こした市川女史の参議院選挙にスタッフとして参加した事が契機となって、政治に目覚めた菅総理が、組合の傀儡となった社民党や郵政一家の国民新党、政治と金を巡って噂の絶えない小沢氏と同じレベルの政治家に転落しない事を願っています。
この際蛮勇を奮って、利益集合体の連立を解除して民主党の目標達成に集中すれば、民主党が大勝する事は間違いありません。
ニューヨークにて 北村隆司
コメント
菅首相は以下の相違点にも触れていませんでした。
・スウェーデンの人口密度 20人/km²
・日本の人口密度 337人/km²
・日本はすぐ近くに世界の工場であるアジアがあり、そこと厳しい競争をしなければならない。
こういう地政学的な要因を無視してシステムだけ真似しても間違いなく失敗するでしょう。
官僚に対する見方について一言二言触れさせて頂きたいと思います。
まず、「脱官僚制度依存」が消えたわけではありません。菅総裁の頭の中にあるのはおそらく、政治のリーダーシップをもっと発揮して政策の大綱を官僚に示し、細かいところは官僚と「ともに」詰めていくというものです。菅総理の発言は、官僚をのけ者にして手痛いしっぺ返しを食らったという鳩山内閣の反省からくるものです。官僚がいないと行政は回らないわけですから。官僚との付き合い方を見直したということです。そして、これが自民党政権のように官僚に依存するわけでないことは明白です。
次に、官僚自身が「脳無し」だとか「低劣」だと受け止められかねない表現は不適切です。彼らは現在の行政システムを踏まえて、極めて合理的な判断をしているだけです。メディアに洗脳されてひたすら感情的に行動する多くの国民のほうが「脳あり」だとどうして言えるのでしょうか。行政に関するノウハウは官僚機構に集中しているわけですから、官僚の協力なしに国民が成熟することはありえません。「脳無し」だとか「低劣」とか言う前に、国民が独り立ちをするために官僚をどのように利用すべきかを考えないと、ただ選択を迫られた国民が成熟した判断ができるとは到底考えられません。医療に関する知識やノウハウがほとんど無いのに「方法Aと方法Bとがあります。メリットはこうこう、デメリットはこうこうです。あとはご自分で決定してください」と医者に言われるようなものです。
氏には賛成できる点も多いのですが、言葉の選択に若干問題があるように思いましたので、コメントさせていただきました。
敗戦後、国民、政治家、官僚皆が日本の復興の為に一丸となった。一応の復興を遂げると、政治家は自分の選挙区、官僚は自分の所属する官僚組織の利益を優先するようになった。一億円の利益を掠め取る為に、100億円の無駄な事業を行う。その結果が、100の空港であり、グリ-ンピアであり、私の仕事館であり、ヒグマしか走らない道路であり・・・。
確かに官僚は、与えられた条件から正しい答えを出すことに長けている。特にキャリアと呼ばれる人達は有能かもしれない。しかし、有能な人間が常に正しいことをやるとは限らない。官僚にとって正しいことは、国の利益であり、国民の利益であり、官僚自身の利益ではない。事ここに至り、選挙の先例をうけなければならない政治家は少づつ反省が見えてきた。しかし、官僚にはまだその反省が見られない。今こそ、あの敗戦直後の、あの精神に戻らなければ、日本の復興はない。