「どこから戦争や対立は来るか」 --- 長谷川 良

アゴラ

ローマ法王フランシスコは2月24日、サンタ・マルタ館(ゲストハウス)の慣例の朝拝で「どこから戦争や対立は来るか」と問いかける説教をした。

法王は新約聖書の「ヤコブの手紙」を読みながら、「あなた方の中の戦いや争いはいったい、どこから起きるのか」と問いかけたのだ。非常にタイムリーな問題提示だ。


法王は「今年は第1次世界大戦勃発100年目を迎えた。戦争では多くの人間が亡くなった。われわれはその大戦を追悼するが、今日も小さな戦争が世界各地で起きている」と指摘する。そして「自分は子供時代、カインがアベルを殺害したという聖書の話を聞いてショックを受けたことを思い出す。しかし、今日、われわれは戦争や紛争で多くの人が犠牲となっていても、もはや何の感慨も湧かなくなってきた」と強調した。

そして「どこから戦争は来るのか、戦争や敵愾心は市場で買うのではない。戦争はわれわれの心から生じてくるのだ。過分な欲望、憎悪、妬みなどが人々を殺している。ヤコブが指摘しているように、戦争はあなた方の肢体の中で相戦う欲情から生じるのだ」と述べている。

「あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起きるのか。それはほかではない。あなた方の肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う」(「ヤコブの手紙」第4章1~2節)

今年は第1次世界大戦勃発100年目を迎える。その一方、中東ではシリア内戦、欧州ではウクライナ紛争が起きている。われわれはフランシスコ法王が提示したテーゼについてじっくりと考えてみる必要があるのではないか。
 
わたしたちは平和を願いながら、その欲望を充足するため他者と争い、紛争する……この心の矛盾が家庭の不和、国家間の対立、戦争となって表れてくる。ヤコブの主張は簡潔だが、ズバリ言い当てている。“パウロの嘆き”と通じる内容だろう。

「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則にたいして戦いを挑み、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしを虜にしているのを見る。わたしは、なんという惨めな人間なのだろう」
(「ローマ人への手紙」第7章22~23節)

フランシスコ法王は洒落た言い方で「市場から購入してきたものではない」と述べ、わたしたちに内省を促す。

しかし、問題は、その人間の心の戦いをどのように克服できるかだ。イエスの使徒たちはイエスの十字架を信じることで救われると主張してきた。しかし、現実のキリスト教会の姿や聖職者の性犯罪多発という不祥事を目撃すると、その主張の信頼性は限りなく揺れ出す。

フランシスコ法王は戦争が絶えず生じている現実に対し、「泣き、嘆き、謙遜になることがキリスト者の義務だ」と述べ、それ以上は語らない。

私たちの心の矛盾や葛藤の原因が外の世界(体制、機関、思想など)にあるのではなく、内の中にあるという診断は大きな飛躍だが、その治療方法は依然、提示されていない。未来に対して現代人が漠然と感じる焦燥感と不安はそこらに起因しているのではないか。簡単に表現すれば、「わたしたちは良くなりたいが、どうしたら良くなれるか分からない」という閉塞感だ。 

飛躍するが、21世紀に入り、細胞の再生医学が急激に発展してきたのは、私たちの心の矛盾が初期化できることを告げる象徴的な現象ではないだろうか。

旧約聖書の「アモス書」第3章7節は「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れたことを示さないでは、何事をもなされない」と記述している。当方は、細胞の再生医学の発展に“神の手”を感じる一人だ。すなわち、わたしたちの心の矛盾を初期化し、本性が蘇る、という確信だ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年2月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。